32. 寝るな
報酬は、金貨二十枚。
奥の部屋で、組合の責任者がそう言った。しっぽ六百八十三本の、ざっと三倍だ。
「北の迷いの森のそばに、ルト村という村がある。そこで、村人が弱っていく。病でもない、怪我でもない。朝起きるたびに痩せて、起き上がれなくなって、そのまま死ぬ。もう何人か、墓に入った」
責任者は、机の上で太い指を組んだ。
「病なら治癒師の仕事だ、魔物なら冒険者の仕事だと、押しつけ合っているうちに人が死んでいく。先に銀級の組を一つ送ったが、まだ戻らん」
「迷いの森ってのは」
「昔から、入ると迷って出てこられない森だと言われている。村の者も、奥へは入らん」
金貨二十枚。ネズミより、ずっといい。
「なんで俺なんだ」
「下水の主を、一晩で仕留めた。それに、初めての報告が神代の遺跡だ。腕か運か知らんが、両方あるなら、なおいい」
横を見ると、リゼが黙りこんでいた。膝の上で、手を握っている。下町のパン屋の娘の、腫れた指を治していた手だ。
「受けます」
俺より先に、リゼが言った。
鑑定院の奥の部屋をのぞくと、マレが机に突っ伏していた。
寝息を立てている。目の下が、真っ黒だった。机の上には、写しと古い本と、書きつけた紙が山になっている。
ディアンが、紙を一枚つまみ上げた。
「二晩、寝ていない。止めても聞かん」
止めても聞かないのは、誰に似たんだか。
物音で、マレががばっと顔を上げた。頬に、紙の跡がついている。
「ノ、ノアさん! リゼさん! 少しだけ、読めたんです!」
マレは、紙の束をめくりながら早口になった。
「神々は、邪神を封じるのに、力を使い果たしたそうです。だから、残すことにしたって。〈庫〉を、いくつも作ったんです。物の庫は、大砂漠の環庫です。それから……」
マレの指が、一行をなぞった。
「『北の森の、すべての種を生む木の下に、種の庫』」
「北の森?」
「はい。それと、旅人の神は環庫を出て、西の港へ向かった、と。その先は、まだ読めていません」
リゼが、ディアンを見た。
「私たち、明日、北へ行くの。迷いの森のそばの、ルト村ってところ」
ディアンが、手にした紙を取り落とした。
何も言わなかった。言えなかったらしい。
「わ、私も……」
マレが、立ち上がりかけた。そのまま、ふらりと傾いた。
ディアンが、肩をつかんで椅子に戻した。
「お前は、続きを読め。それがお前の仕事だ」
マレは、何か言いかけて、唇をかんだ。それから、小さくうなずいた。
部屋を出る前に、来る途中で買った串焼きの包みを、マレの机に置いた。銀貨七十三枚のうちの、一枚分だ。
「冷める前に食えよ」
マレが、包みを見て、俺を見た。
「……ノアさんが、食べ物を人に」
「うるせえ、食ったら少し寝ろ」
北への道は、二日かかった。
ヒゲチョロは、宿の厩の干し草にすっかり飽きていた。道端の草を見るたびに、首を伸ばして食おうとする。引っぱると、尻を向けてくる。知るか。
二日目の昼すぎ、森が見えた。
空の下半分が、黒かった。見たこともない大きさの木が、壁みたいに並んでいる。昼なのに、森の中は夜みたいに暗い。
「……あれが、迷いの森」
リゼが、小さく言った。
村へ続く道の先から、人が来た。
三人。いや、一人は担がれている。
先頭は、斧を背負った大男だった。四十がらみで、ひげ面。肩に、若い男をかついでいる。後ろから、弓を背負った女が、荷物を全部抱えてついてくる。
担がれた若い男は、生きていた。目を開けている。けれど、顔が土の色をしていた。頬がこけて、手首が枯れ枝みたいに細い。
「どいて!」
弓の女が、怒鳴った。
リゼが、道をあけずに前へ出た。
「私、僧侶です。診せてください」
女が、何か言い返しかけた。大男が、黙って若い男を地面に下ろした。
リゼが手のひらをかざす。淡い光が、若い男の胸に落ちた。
何も、変わらなかった。
顔は土の色のまま。手首は細いまま。若い男が、かすれた声で「……ありがとう」と言った。
気づいたら、口が動いていた。
マレの首輪を外した時と同じ、下手くそな歌だ。
若い男の顔は、土の色のままだった。
「こんな時に、何歌ってんのよ!」
弓の女が、目をむいた。
口を閉じた。治らねえ。
リゼが、手を下ろした。
「傷じゃない。……何かが、なくなってる」
大男が、若い男をまた肩にかついだ。
「三晩、村に泊まった。毎朝、こいつが痩せていった。俺たちには、何も見えなかった。何も聞こえなかった」
それから、村のほうと、俺たちの顔を見比べた。
「ルト村か」
「おう。依頼でな」
「やめとけ」
大男は、それだけ言って歩き出した。三歩行って、足を止めた。
振り返らずに、言った。
「行くなら、一つだけ守れ。村で、寝るな」
風が、森のほうから吹いてきた。湿った、土のにおいがした。
「寝たら、終わりだ」




