第3話 帰る理由
マレの話は、短かった。
ハルカの地下には、夜杯商会に捕まった人たちが閉じ込められている。薬や包帯を運んでくるのがリゼで、そのリゼも、夜は作業棟から出してもらえない。
「番人が話してるのを、聞いたんです」
マレは膝の上で手を握った。
「リゼさんは、幼馴染の借金の保証人になったんだって。逃げた人の代わりに、働かされてるって」
頭の中が、真っ白になった。
金貨280枚。
俺が砂漠へ逃げた、あの借金だ。
それを、あいつが背負っていた。
1年前の夜を、思い出す。
賭場の裏で殴られて、路地にうずくまっていた俺を見つけたのは、リゼだった。
「何やってんの、バカ」
開口一番、それだった。
あいつは自分の袖で俺の口の血を拭いて、治療院の裏まで引きずっていった。そこに、栗毛の馬がつないであった。給金を貯めて買ったばかりの、あいつの馬だ。
「逃げて。街道は見張られてる」
「お前の馬だろ」
「貸すだけ。ちゃんと返しに来てよね」
手綱を俺の手に押しつけて、リゼは笑った。いつもの、人を小馬鹿にしたような笑い方だった。
『私は大丈夫だから』
あの時、あいつの手は震えていた。
気づいてた。
気づかないふりをしたんだ。
帰らなかったのも同じだ。現実を見る勇気がなかっただけだ。
俺がサボテンタを食って、ヒゲチョロと朝飯を取り合っていた1年。あいつは、俺の借金で働かされていた。
大丈夫なわけ、ねえだろ。
「……ノアさん?」
マレが、俺の顔を覗き込んだ。
落とした椀を拾って、砂を払う。
「帰る」
「え?」
「ハルカに帰る。リゼを連れ戻す。お前の先生も、ついでにな」
マレは目を丸くして、それから勢いよく頭を下げた。
「道なら、案内できます!」
「助かる。町の場所は分かるけど、地下なんて知らねえからな」
入口で寝そべっていたヒゲチョロが、片目を開けた。
「聞いてたか。お前の飼い主んとこ、行くぞ」
ヒゲチョロは鼻を鳴らして、また目を閉じた。
と思ったら、のそりと立ち上がって、俺の背中を鼻先でどんと押した。
つんのめった。
「分かってるよ。行くって言ってんだろ」
翌朝、出発の支度をした。
岩場の奥には、1年分のガラクタが積んである。剣が、鎧が、蓋の開かない箱や使い道の分からない金属の棒など無数に、雑多に積まれている。
全部、町で売れば金になる、はず。
借金を返す金に。
「全部持っていく」
「無理です」
マレに即答された。
構わず、ヒゲチョロの背に剣を3本くくりつけた。
ヒゲチョロが、その場に座り込んだ。
「おい、立てよ」
鼻を鳴らして、そっぽを向く。サボテンタを差し出しても、立たない。
「1年一緒に砂食ってきた仲だろうが」
ヒゲチョロは、こっちに尻を向けた。
交渉決裂だ。
仕方ねえ。持っていくのは、軽くて高く売れそうなやつだけにする。
「マレ、お前も欲しいもんがあったら持ってっていいぞ」
「え、いいんですか?」
マレはガラクタの山の前にしゃがみ込んだ。一晩寝て、魔力が少し戻ったらしい。品物を一つずつ手に取っては、目を輝かせている。
「これ、すごそうです。図録で似たのを見た気がします」
手にしていたのは、銀の留め金がついた古い革表紙の本だった。
「表紙の字は古いけど……たぶん、道具の図録です」
「じゃあ持ってけ。俺には枕にしかならねえ」
マレは本を胸に抱え、それから奥を指差した。
「あの箱、中身が何でも、細工だけで売れると思います」
蓋の開かない箱だ。さすが鑑定師、金の匂いが分かってる。
俺のほうは、宝石のついた短剣を2本と、銀の杯を袋に詰めた。小さくて、いかにも高そうなやつだ。最後に、物干し竿の剣も外した。売れたら儲けもんだ。
ヒゲチョロの背に載せると、今度は文句を言わずに立ち上がった。
「物がいくらでも入る袋でもあればな」
ぼやきながら、指輪を撫でた。金色のやつは、今日もカッコいい。
追手の4人は、あいつらが乗ってきた荷車に積んだ。町の組合に突き出してやる。荷車を引くのは俺で、ヒゲチョロにはマレを乗せた。
1年住んだ岩場を、一度だけ振り返る。
「帰ってきたら、片付けるか」
ヒゲチョロは、もう歩き出していた。
昼過ぎ、枯れた水路沿いを進んでいると、マレがヒゲチョロの上で身を固くした。
「あれ……」
水路の先に、幌のついた荷馬車が止まっていた。
荷台には、人がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。みんな首に、鉄の輪がはまっていた。
見張りの男が2人。1人が水袋をぶらぶらさせて、荷台の女に見せびらかしている。
「欲しけりゃ、もっと上手に頼めよ」
女が伸ばした手を、男は笑って払いのけた。
荷車の取っ手を、地面に置いた。
「マレ、ここで待ってろ」
近づくと、水袋の男が振り返った。
眉をひそめ、俺の顔をじろじろ見る。
それから、にやりと笑った。
「お前……ノアか? 1年前に逃げた、遊び人のノア」
覚えてやがった。
「夜杯商会に借金残してトンズラした奴が、のこのこ戻ってきたのか。ちょうどいい、あの女も喜ぶぜ」
「……あの女?」
「リゼだよ。お前の代わりに、毎日こき使われてる」
男は、水袋をぶらぶらさせた。
「昼間は減らず口ばっか叩いてるけどな。ありゃ、夜はひとりで泣いてるぜ。笑えるだろ」
笑えねえよ。
男の額の前に、指を構えた。
銅貨はもったいない。
デコピンした。
パチン、と気の抜けた音がした。
男が、消えた。
正確には、吹っ飛んで、荷馬車の向こうの砂丘に頭から突き刺さった。
足だけが、砂から生えている。
「……あ」
やりすぎた。
足が、じたばた動いた。生きてる。よし。
荷台が、ざわついた。
「今の……指で?」
「指、だったよな……?」
もう1人の見張りが、棍棒を構えたまま固まっていた。俺と、砂から生えた足を、交互に見ている。
「お前も、デコピンいるか?」
男は棍棒を放り出して、両手を上げた。
荷台の人たちが、ぽかんと俺を見ていた。
「もう大丈夫だ。首輪も、たぶん外せる」
荷台へ近づいた、その時だった。
両手を上げていた男が、懐から何かを取り出した。手のひらほどの、黒い板だ。
「道連れだ!」
男が板を握りしめる。
荷台の首輪が、一斉に赤く光った。
悲鳴が上がる。9人分の悲鳴だ。
男の手から板を叩き落とした。でも、光は止まらない。
どうする。
答えは、もう分かっている。
昨日、マレの首輪を止めたのは、俺の歌だった。
苦しむ9人を見た。駆け寄ってきたマレを見た。砂から生えた足を見た。
下手くそ、と怒鳴られた歌だ。
あれを、この人数の前で歌うのか。
「……マジかよ」




