23. 九枚目
鍋のふたが、八枚ある。
宿の親父に見せたら、「うちの鍋は足りてる」と言われた。市場の古道具屋には、手を振って追い払われた。鑑定院に置かせてくれと頼んだら、ディアンに黙って首を横に振られた。
「なんで、どこも引き取らねえんだよ」
「ふただからでしょ」
リゼが、ヒゲチョロの鞍に袋を下げながら言った。
翌朝の、宿の裏庭だった。ふたを金色の指輪に押し込む。ほかの品はきれいに片づいたのに、これだけは減らない。
鞍の両脇に、袋が三つ下がっていた。干し肉と、固いパンと、水袋。
「……三人分?」
「バカ。マレの分よ」
その時、裏口の戸が、がたんと鳴った。
マレが、自分の体ほどもある背負い袋を抱えて立っていた。
「あ、あの! 荷物は自分で持ちます。食べる量も少ないです。鑑定は一日十五しか読めませんけど、門の記録は頭に入ってますし、砂漠は二回目なので、たぶん前よりは――」
言い終わる前に、リゼが背負い袋を取り上げて、ヒゲチョロの尻に載せた。
「……え」
「乗るんでしょ。早くしなさい」
マレは口を開けたまま、俺を見た。
「なんだよ。来ねえのか」
「い、行きます!」
ヒゲチョロが、ぶるん、と体を振った。
背負い袋も、鞍の袋も、まとめて俺の足元にどさどさと落ちた。
「ヒゲチョロ!」
リゼににらまれて、ヒゲチョロが、ひん、と情けない声で鳴いた。
……俺には、そんな声出したことねえだろ。
「仕方ねえな」
袋を拾って、金色の指輪に押し込む。ふた八枚の上に、干し肉とパンと、マレの背負い袋が入っていった。水袋だけは、鞍に戻した。
戸口に、ディアンが立っていた。手に、紐で綴じた帳面を持っている。
黙って、マレに差し出した。
「書庫の、門の記録だ。写しておいた」
マレが帳面を開く。細かい字で、びっしりと埋まっていた。輪の紋様まで、一本ずつ線を引いて写してある。
昨夜、ディアンの部屋の明かりは、遅くまで消えなかった。
「……先生」
「門で見たものは、書いて送れ」
それだけ言って、ディアンは鑑定院のほうへ歩いていった。一度も振り返らなかった。
マレは帳面を胸に抱えたまま、しばらく動かなかった。
砂漠に入って、二日目。
ヒゲチョロの背には、リゼとマレ。俺は横を歩く。
マレがこの砂漠に来るのは、二度目だ。一度目は、首輪をつけたまま、追手から逃げてきた時だった。
「あの時は、景色を見る余裕なんてありませんでした」
マレが、きょろきょろと首を回す。
見るもんなんか、砂しかねえぞ。
砂丘の陰から、緑の影がぴょこんと顔を出した。サボテンタだ。
ヒゲチョロの耳が、ぴんと立った。
足元の石を拾って投げる。ぽこん、と当たって、サボテンタが砂に転がった。その陰から、何かが転がり出た。
「落とし物ですね!」
マレが鞍から飛び降りて、駆け寄った。鎧か、竜革か、とつぶやきながら両手で拾い上げる。指を当てて、目を閉じた。今日の、一つ目の鑑定だ。
「〈鍋の、ふた〉……」
九枚目だった。
マレの肩が、すとんと落ちた。
「一回分、使っちゃいました……」
「指輪に入れとくか」
ヒゲチョロはもう、転がったサボテンタにかぶりついていた。俺も、とげを落として一切れもらう。
昼に休んだ時、リゼの水袋の口がゆるんでいて、中身が半分、砂に吸われていた。
「ちゃんと締めたのに」
リゼが首をかしげる。
マレが一瞬だけ、リゼの髪の青い石を見た。それから、自分の水袋をそっと差し出した。
夕方近く、足の下の砂が、ふっと沈んだ。
「ノア!」
リゼの叫びと同時に、目の前の砂が盛り上がった。
口だった。家が一軒入りそうな、丸い口。ふちに、細かい歯が何重にも並んでいる。
あ、と思った時には、上からかぶさってきた。
真っ暗になった。
ぬるぬるする。くせえ。
またかよ。
着替え、あと二枚しかねえのに。
腹の内側を、思いきりぶん殴った。
ぶちっ、と何かが裂けて、光が差し込む。そのまま穴を広げて、外へ転がり出た。
後ろで、サンドワームが砂の上をのたうっていた。腹に、俺の形の穴が開いている。しばらく暴れて、動かなくなった。
リゼが、手綱を握ったまま、真っ白な顔で立っていた。マレは鞍にしがみついて、声も出ていない。
ヒゲチョロだけは、とっくに見飽きた顔で、あくびをしていた。
「……汚れるから、嫌なんだよ、これ」
髪の先から、どろりとしたものが垂れた。
リゼが、つかつかと歩いてきた。拳を振り上げる。
俺の顔を見て、止まった。ぬるぬるの肩を見て、もう一度止まった。
「……バカ!」
拳の代わりに、水袋を顔に投げつけられた。軽かった。半分しか入っていない。
リゼの目のふちが、赤かった。
「の、飲まれましたよね……? いま、中から……」
マレが、震える声で言った。
「何回も飲まれてる。出られるぞ」
「何回も!?」
次の日の昼過ぎ。門まで、もう少しというところだった。
岩陰から、デススコーピオンが出てきた。荷馬車ほどもある黒い背中に、太い尾が反り返っている。尾の先の針から、しずくが垂れていた。
「マレ、下がって!」
リゼが、マレの前に出た。
俺は、よだれが出た。
「肉だ」
「は?」
尾が振り下ろされる前に、頭を蹴り抜いた。黒い殻が割れて、デススコーピオンは砂に沈んだ。
尾をつかんで、引きずって歩き出す。
「バルトに土産だ」
「……それ、食べるの」
「うまいぞ。めったに獲れねえ」
リゼとマレが、そろって半歩下がった。
石の門は、砂嵐の時に見たまま、砂の上に立っていた。
その前に、人影がひとつ座っている。擦り切れた外套に、中身のない鞘。
「バルト!」
バルトが顔を上げた。頬がこけて、無精ひげが伸びていた。
「……戻ったか」
立ち上がりかけて、少しふらついた。
マレが、慌てて頭を下げる。
「マレです。鑑定師です。あの、ノアさんたちにはお世話に――」
「バルトだ」
それで終わった。
「なんだよ、痩せたな。サボテンタなら、そこらにいくらでもいるだろ」
「食っておらん」
「は?」
バルトは、門を見上げた。
「言い伝えの守り人が、あれやもしれん。……守り人を、食えるか」
「……は?」
二回言った。
「腹、減ってんだろ」
「減っておる」
「食えよ」
「食わん」
頑固なおっさんだ。
引きずってきたデススコーピオンを、バルトの前に放り出した。
「じゃあ、これ食え」
バルトは、しばらく黒い殻を見ていた。それから、深く頭を下げた。
「……恩に着る」
焚き火で、サソリの脚とサボテンタを並べて焼いた。
サボテンタの焼ける匂いがすると、バルトがわずかに顔をそむけた。
構わず、かぶりつく。うまくはない。だが一年、これで生きてきた。今さらやめられるか。
ヒゲチョロも、生のまま二匹目にかかっていた。
「……よく食えるな」
バルトが、低い声で言った。
「食わなきゃ死ぬだろ」
守り人だろうが何だろうが、これは主食だ。ヒゲチョロも同じ考えらしく、バルトに尻を向けたまま、三匹目に移った。
マレは、食べるのも忘れて、門の前にしゃがんでいた。ディアンの帳面を開いて、石に刻まれた輪と、一つずつ見比べている。
「……同じです。輪の数も、線の向きも」
バルトが、サソリの殻を置いた。
「その帳面は」
「鑑定院の書庫の記録です。大砂漠には緑の番人がいて、門を守っている、って」
「緑の、番人」
バルトとマレが、そろって、ヒゲチョロの口元を見た。
サボテンタの最後のひと切れが、ヒゲチョロの口の中に消えていった。
日が沈みかけた頃、バルトが立ち上がった。
「見ていろ」
「何をだよ」
「お前たちが発ってから、毎晩だ」
砂丘の向こうから、緑の影がひとつ、ころころと転がってきた。サボテンタだ。俺たちには目もくれず、まっすぐ門のほうへ向かっていく。
ヒゲチョロが首を伸ばした。リゼが、手綱を引いて止めた。
サボテンタは、門の柱の根元で止まった。
石に刻まれた輪が、ひとつ、ぼんやりと光った。
サボテンタの体が、砂に沈んでいく。もがきもせず、ゆっくりと。
光が消えた時には、もう何も残っていなかった。
「……食われたのか?」
「違う」
バルトは、門から目を離さなかった。
「帰っていくのだ。毎晩、あの下へ」
マレが、帳面を抱きしめたまま、息を止めていた。
……あの下に、何があんだよ。




