第22話 おつり
「ふたは、値がつかん」
ディアンが、鍋のふたを床に戻した。
八枚もあるのに。
「一枚もか」
「一枚もだ」
鑑定院の奥の部屋は、床が見えなくなっていた。剣、盾、鎧、片方だけの手袋、割れた皿などなど。金色の指輪から出したものを端から並べたら、こうなった。
王都に戻ったのは、今朝だ。門をくぐってまっすぐ鑑定院へ来ると、マレが戸口に立っていた。目の下に、くまがあった。俺たちの顔を見るなり何か言いかけて、結局、床の品の前にしゃがみ込んだ。
マレが剣を一本取り上げて、目を細める。
「〈王国兵の剣〉。兵舎で配られる、良い方の剣です。新品なら、一本金貨三枚くらい」
「三枚」
同じのが十八本ある。五十四枚。
悪くない。悪くないが、五百には遠い。
「次。その盾だ。ぴかぴかだろ」
マレが盾に手を当てた。
「〈樫の丸盾〉。……銀貨五枚です」
「ぴかぴかなのに?」
「ぴかぴかなのは、新品なのとメッキだからです」
窓の外で、ヒゲチョロが鼻を鳴らした。
マレの手が、鎧の前で止まった。胸のところに、小さな槌の刻印がある。
「〈ドルン工房の板金鎧〉……」
声が、裏返った。
「ドルン工房ですよ!? 二百年前に絶えた工房で、残ってる鎧は王都に三つしかなくて、書庫の目録には一つ一つ図まで載ってて、金貨百八十枚は――」
早口すぎて、息が続かなくなった。
「百八十」
口元がゆるむ。
次は、片方だけの手袋だった。砂から拾った時、捨てようか迷ったやつだ。
「〈竜革の手袋〉」
マレが、ゆっくりこっちを見た。
「……片方でも、金貨九十枚です」
「捨てなくてよかった」
「捨てようとしたんですか!?」
そこから先は、高いのと安いのが交互に出てきた。銀の燭台だと思ったのは〈白鉄の燭台〉で、銀貨二枚。飾りのない長剣は〈ハイロの長剣〉で、金貨百六十枚。鎖帷子が三十枚。木の椅子の脚が一本、銅貨一枚。
そのたびに俺が叫んだり頭を抱えたりするので、リゼが何度もため息をついた。
十四個目を読み終えたところで、マレが額の汗をぬぐった。
「すみません。今日は、あと一つしか読めません」
「……十五もかよ。前は五つくらいで、へばってなかったか」
「ディアン先生に、コツを教わったんです」
マレは、自分でも不思議そうに首をかしげた。
「でも、それだけじゃなくて。砂漠から戻ってから、なぜか急に増えたんです」
鑑定は魔力を使う。一日に読める数には、限りがある。
残りは、ディアンが黙って引き取った。一つ読んでは、紙に名前と数字を書きつける。全部読み終えると、最後に線を引いた。
「売れば、金貨五百十四枚。銀貨と銅貨が少し」
「足りた!」
両手を上げた。十四枚余る。十四枚あれば、うまい飯が――
「売り歩く気?」
リゼの声が冷たかった。
「この量の新品を王都で売って回ったら、どうなると思う」
「……儲かる」
「また泥棒扱いよ。物干し竿の時、忘れたの」
忘れてはいない。つい最近の話だ。
ディアンが、紙から顔を上げた。
「品のまま渡せばいい。目録は私が書く。名と値と、すべて新品であること。私の名で」
「それで、受け取ってもらえんのか」
「目録のついた品を突き返せば、値を知らぬ者と思われる。向こうは、それを嫌うはずだ」
ディアンは、もう新しい紙に目録を書き始めていた。
その時、マレの目が、リゼの頭で止まった。
「リゼさん、それ……」
青い石の髪留めだ。
「最後の一つ、それを読ませてもらっても、いいですか」
リゼは少し迷ってから、外さずに、頭をマレのほうへ傾けた。マレが、青い石にそっと指を触れる。
「〈月雫の髪留め〉」
マレの目が丸くなった。
「これも、書庫の目録で見ました。昔の公爵家の奥方が使っていた品で、金貨八十枚は……」
「八十!?」
思わず声が出た。ふたの何倍だ。
「それと――」
マレが、言いかけて止まった。
リゼが、髪留めに手をやっていた。指先で、青い石の形をなぞっている。目を細めて、口の端が、ほんの少しだけ上がっていた。
「……ノアが、くれたんだ」
小さな声だった。
「ふ、ふたよりましだろ」
窓の外を見た。ヒゲチョロと目が合った。鼻で笑われた。
マレは、口を閉じていた。俺とリゼを、交互に見ていた。
「……いえ。なんでもないです」
「なんだよ、言えよ」
「なんでもないです!」
顔を赤くして、マレはディアンの目録のほうへ逃げていった。
――――
書庫で読んだ記録には、続きがあった。
――この髪留めをつけた者は、わずかに運を落とす。
ほんの、わずかだ。呪いと呼ぶのもためらうくらいの。
マレは、ペンを走らせるディアンの手元を見るふりをして、もう一度だけリゼの横顔を盗み見た。
それに、リゼのそばにはノアがいる。サボテンタから鎧だの竜革だのを拾ってくる、あの馬鹿みたいな運の人が。
……おつりが、きますね。
マレは、何も言わないことにした。
――――
昼過ぎ。〈銀秤商会〉の戸は、閉まったままだった。新しい看板が、斜めに掛かっている。
「で、そのコーセイってのは、どこにいんだよ」
向かいの路地に、柄の悪い男が一人、壁にもたれていた。さっきから、ずっとこっちを見ている。
近づいて、襟首をつかんだ。そのまま持ち上げる。男の足が、地面から離れた。
「お、おい!」
「コーセイはどこだ」
「い、言えるか! 言ったら俺が消される!」
足をばたつかせながら、男は俺の顔をまじまじと見た。
「……あんた、遊び人のノアだろ。ロウェルの旦那を吊るしたっていう」
「だったら何だよ」
「この辺じゃ噂になってんだよ。砂漠へ逃げたって話だったが」
「逃げてねえ。取りに行ってたんだ」
「何をだよ……」
男は、つかまれたまま器用に肩をすくめた。
「居場所は言えねえ。けど、伝言はしてやる。あんたが戻ったって聞きゃ、向こうから来るさ」
手を離す。男は尻もちをついて、そのまま路地の奥へ走っていった。
「……逃げたんじゃねえの、あいつ」
「伝言しに行ったのよ」
リゼが言った。
「たぶん」
その日の夕方、宿に男が来た。昼間の男とは別の、口数の少ない男だった。
「コーセイさんがお呼びだ」
ディアンとマレも連れて、男の後をついていった。下町の奥にある、看板のない家だった。窓には板が打ちつけてある。
中は、がらんとした広い部屋だった。奥の机に、白髪の男が座っている。灰色の外套。壁際には、体の大きい男が四人。
「お戻りになったと、聞きました」
「おう」
「半年、と申し上げたはずですが」
コーセイは、俺の顔を見た。それから隣のリゼと、後ろのディアンとマレを見た。
「……ずいぶん、お早いですね」
「五百枚は、ねえ」
壁際の男たちが、一歩前に出た。
「品で払う」
部屋の真ん中で、金色の指輪に手を突っ込んだ。つかめるだけつかんで、放り出す。
どさどさと、中身が落ちた。剣、剣、剣。鎖帷子。竜革の手袋。〈ハイロの長剣〉が、山の上を滑って転がる。最後にドルン工房の鎧を片腕で引っ張り出して、どんと置いた。
ついでに、鍋のふたが八枚、からんからんと床を転がっていった。
床板が、鉄で埋まった。
壁際の男たちが、口を開けたまま、鉄の山と俺の指輪を見比べていた。片方が、目をこすった。
コーセイだけが、動かなかった。
ディアンが前に出て、目録を机に置いた。
「鑑定師のディアンだ。名と値は、ここに書いた。売り値で、金貨五百十四枚」
コーセイは目録に目を落とした。しばらく読んでから立ち上がり、山から鉄の剣を一本抜いた。
刃を、ランプの明かりにかざす。
裏返す。柄を見る。もう一本抜いて、同じことをする。鎧の胸を、指でなぞる。手袋の内側をのぞく。
その顔から、血の気が引いていった。
「……どれも、使った跡がない」
低い声だった。
「盗品なら、お返しするつもりでした。面倒ごとが増えますので」
コーセイは、剣を山に戻した。
「どれも、誰の手にも渡っていませんね。これだけの品が、どこかの工房から出たという話も聞きません。……どちらで、手に入れられました」
「サボテ」
すねを蹴られた。
「拾い物よ」
リゼが、にこりともせずに言った。
「砂漠で」
コーセイは、リゼを見た。俺を見た。床の山を見た。
それから、長く息を吐いた。
「……そうですか」
それ以上は、聞かなかった。
「お受けします。約束は約束です。ロウェルの件は、これで終わりにいたしましょう」
壁際の男たちに、顎で合図する。男たちが二人がかりで鎧を持ち上げようとして、重さに顔をしかめた。片腕で出したのを見ていたせいか、二人とも俺のほうを見ようとしなかった。
「十四枚、余ってんだけど」
今度は、足を踏まれた。
コーセイの口の端が、ほんの少しだけ動いた。
「次にお売りになる時は、まず私にお声がけください。余りの分は、その時に色をつけましょう」
それから、戸口のほうへ、手のひらを向けた。
「本日は、これで」
壁際の男が、転がっていたふたを拾い集めて、黙って俺に突き返した。
家を出ると、夜風が冷たかった。指輪が、ずいぶん軽くなった気がした。
宿の食堂に戻ると、急に広く感じた。
椅子に体を投げ出して、机にふたを八枚積む。
「マレ。これ」
リゼが、荷物から折りたたんだ紙を出した。俺の手配書だ。
裏返して、机に広げる。輪がいくつも重なった、門の紋様。
マレの手が止まった。上着の内側から、自分の紙を出す。広げて、隣に並べる。
大きな輪の位置も、小さな輪の数も、同じだった。
マレが二枚を重ねて、ランプにかざした。線が、ぴたりと一つになった。
「これ、どこで」
声が震えていた。
「砂漠。砂嵐のあとで、門が出てきたの」
「書庫の古い記録に、これと同じ門が描いてあったんです。大砂漠には緑の番人がいて、その門を守っているって」
マレは、二枚の紙を何度も見比べた。
「緑で、砂に棲んで、何でも落とす……」
マレの目が、机の上の鍋のふたで止まった。
「……まさか」
そこで、口を閉じた。
ディアンは何も言わず、紙の上の輪を、指でなぞり続けていた。
椅子の背にもたれて、天井を見上げる。
王都に来てから、ろくなことがなかった。泥棒扱いされて、首輪を運ばされて、旧友に売られて、金貨五百枚を吹っかけられた。
「王都は散々だし、砂漠のほうがいいぜ」
リゼが、髪留めに手をやった。青い石が、ランプの明かりを受けて小さく光った。
「付き合ってあげるわよ」




