21. ふたよりまし
起きたら、目の前に無精ひげがあった。
「うおっ」
跳ね起きようとして、起きられなかった。両肩を、がっちりつかまれている。
「これを、どこで手に入れた」
バルトだった。昨夜、串を両手で受け取っていた男と同じ顔とは思えない。目が血走っている。あれから、寝ていないのかもしれない。
バルトの肩越しに、物干し竿が見えた。朝日を受けて、刃が白く光っている。シャツは干したままだ。
「どこで手に入れたと聞いている!」
怒鳴り声が、岩場に響いた。
毛布から顔を出したリゼが、固まった。サボテンタの皮をかじっていたヒゲチョロも、口を開けたまま止まった。皮が、ぽとりと落ちた。
「……放せよ」
「答えろ」
「サボテンタだよ」
「……何?」
「サボテンタが落としたんだよ。そこらへんで」
顎で砂丘のほうをしゃくる。
「……ありえん」
バルトの声が、かすれた。
「サボテンタが落とすのは、ガラクタだけだ。俺は、この砂漠で何百と狩った」
肩をつかむ手から、力が抜けた。
バルトは俺を放して、のろのろと立ち上がった。物干し竿の前まで歩いて、そこに座り込む。背中の鞘を下ろして、膝の上に抱えた。
それきり、動かなくなった。
「……なんだよ、あいつ」
「知らないわよ」
リゼが小声で返して、毛布をたたみ始めた。
朝飯のサボテンタを焼いて、食べ終わっても、バルトはまだ座っていた。鞘をなでては、物干し竿を見上げる。また、鞘をなでる。
口が、ときどき動いた。
「砂漠の、守り人……」
そんなふうに聞こえた。
ヒゲチョロがバルトの後ろに回って、鞘の匂いを嗅いだ。食えないと分かると、鼻を鳴らして離れていった。
日がだいぶ高くなってから、バルトはようやく顔を上げた。
「……そういうこと、なのか」
「何がだよ」
バルトは答えずに立ち上がり、俺の前に来て、深々と頭を下げた。
「礼を言う」
「は?」
「この剣の鞘は、俺の家に伝わるものだ。中身は、とうの昔に王家へ納めた」
空の鞘を、物干し竿の横に掲げてみせる。並べると、反りも長さも、ぴたりと同じだった。
「……ああ。王都の宝物庫のやつか。それ、向こうでも言われた。本物と同じだって。おかげで泥棒扱いだ」
「王家に納めたって……あんた、何者?」
リゼが聞いた。
「今は、ただの剣士だ」
バルトは、物干し竿と俺の顔を何度か見比べた。何か言いかけて、やめた。
「それを譲れとは言わん。お前が拾ったものだ」
「やらねえよ。物干し竿がなくなる」
バルトの口の端が、昨夜と同じように、少しだけ上がった。
「頼みがある。しばらく、お前たちと一緒にサボテンタを狩らせてくれ」
「なんで」
「確かめたいことがある」
それ以上は、言わなかった。
「取り分は」
「いらん。食う分だけでいい」
悪くない。
「いいぜ」
ヒゲチョロが、バルトに尻を向けた。食う分が減る、という顔だった。
バルトの剣は、速かった。
腰に差した古い剣を抜いたと思ったら、もうサボテンタが二つに割れて転がっている。棘の一本も、こっちに飛んでこない。
「……やるじゃねえか」
「毎日、これを狩っている」
ただ、バルトが狩ったサボテンタは、何も落とさなかった。五匹狩っても、十匹狩っても、砂の上には何も残らない。
俺が殴ったほうは、だいたい何か落とす。
片方だけの手袋。割れた皿。また鍋のふた。
「八枚目だ」
ふたを金色の指輪に放り込んでいると、バルトが、俺の足元をじっと見ていた。
「……サボテンタが、こんなに落とすのは初めて見た」
「そうか?」
「俺は半年、ここで狩っている。拾ったのは、木のさじが二本だ」
「さじは使えるぞ」
「そういうことではない」
次の日の昼だった。
バルトが、いつもどおり剣を振り下ろした。
キン、と嫌な音がした。
サボテンタは割れた。剣も、根元から折れた。刃が回りながら飛んで、砂に突き刺さる。
バルトは、手に残った柄を、しばらく黙って見ていた。
「……長く、使った」
それだけ言って、柄を外套の内側にしまった。
替えの剣は持っていないらしい。岩場に落ちていた枯れ枝を拾って、重さを確かめている。
「それで狩る気かよ」
「ないよりはいい」
金色の指輪に手を突っ込む。岩場の寝床から詰め込んだ剣が、二十本は入っている。一本つかんで引っ張り出した。飾りのない、まっすぐな鉄の剣だ。
「ほら」
「……何だ」
「やる。どうせ俺は振れねえし」
抜き身のまま受け取ったバルトは、刃を日にかざして、目を細めた。さっきまでと、目つきが違う。
「……傷が、一つもない」
「新品だからな」
「これも、サボテンタか」
「そうだよ」
バルトは剣と、割れたサボテンタを見比べた。また、あの考え込む顔になった。
「恩が、増えた」
「いいって。余ってんだ、物干しにも使いにくそうだし」
「あんたねえ、借金あるんでしょ」
リゼの冷たい声は無視した。
その日の夕方、一匹のサボテンタが、小さなものを落とした。
砂の上で、夕日を受けて何かが光った。
拾い上げる。細長い銀の留め具に、青い石が一つはまっていた。髪留めだ。
……髪留め。
俺がつけても、しょうがない。
振り返ると、リゼがヒゲチョロの背の上で、風に流れる髪を手で押さえていた。砂漠に入ってから、ずっとそうしている。
「ほら」
放った。
リゼが、慌てて両手で受け止めた。
「なに、これ」
「髪留め」
「見れば分かるわよ。なんで」
「ふたよりましだろ」
「……ふたと比べないでよ」
顔が熱い気がしたので、次のサボテンタを探しに歩いた。夕日のせいだ。
しばらくして振り返ると、リゼの髪が、うしろでまとまっていた。青い石が、夕日に光っていた。
何も言われなかった。俺も、何も言わなかった。
バルトが、俺とリゼを交互に見て、なぜか空を見上げた。
三日目の朝、バルトが足を止めた。
「風が変わった」
「は?」
空を見る。雲一つない。
「何も変わってねえだろ」
「南の空の端を見ろ」
地平線が、黄色くにじんでいた。にじみは、見ているうちに膨らんでいく。
「砂嵐だ。岩陰へ」
走った。ヒゲチョロを岩の裏に押し込んで、伏せさせる。リゼをその横に座らせて、俺とバルトで外側をふさいだ。
音が来た。
ごう、と空そのものが吠えたみたいだった。昼なのに、あたりが夕方のように暗くなる。砂が顔を叩く。目を開けていられない。
リゼが、髪留めのあたりを片手で押さえて、頭を伏せていた。
こん、と何かが鳴った。
薄目を開ける。拳ほどの石が、リゼの頭の手前で弾かれて、砂に落ちたところだった。続けて、もう一つ。同じところで、跳ね返る。
白い指輪が、また守ってくれたらしい。
バルトが、それを横目で見ていた。何も言わなかった。
嵐は、昼過ぎまで続いた。
風がやんで、顔を上げた。
景色が、変わっていた。
岩場の向こうにあった大きな砂丘が、半分なくなっている。削られた斜面から、石が突き出していた。
二本の柱と、その上に渡された横石。門だ。上のほうだけが砂から顔を出しているのに、それでも俺の背の倍はあった。
「……こんなもん、あったか?」
「なかった」
バルトが、もう歩き出していた。
近くで見ると、横石の表面に模様が刻まれていた。大小の輪が、いくつも重なり合っている。すり減ってはいるが、線ははっきり残っていた。
リゼが横石を見上げて、眉を寄せた。
「これ……あの柱と同じ」
「どの柱だよ」
「伯爵の手下が掘ってたやつ。輪が重なってた。覚えてない?」
「覚えてねえ」
「……でしょうね」
バルトは、門の前に立ったまま動かなかった。背中の鞘に、手をやっている。
「言い伝えでは」
低い声だった。
「先祖は、砂に埋もれた遺跡で、守り人から剣を授かったという」
バルトの目が、門から、遠くの砂丘へ動いた。嵐をやり過ごしたサボテンタが、何匹か、のそのそと砂から這い出してきていた。
「ここだ」
言い切った。
「宝、あんのか?」
「分からん」
「分からんのかよ」
柱の根元を、手で掘ってみる。掘ったそばから、さらさらと砂が流れ込んでくる。腕を肩まで突っ込んでも、底に届かない。
十回ほど掘って、やめた。
「これ、何日かかんだよ」
「掘るなら、人手と板が要るわね」
リゼが、腰に手を当てて門を見上げた。
「それに、ノア。借金」
「……分かってる」
のんびり砂遊びしてる暇はねえ。まずは借金を片づけて、身軽にならねえとな。
金色の指輪の中には、大量のものが入っている。
500枚になるかどうかは、王都に戻ってみないと分からない。
ため息をつくと、リゼが荷物から炭の筆を取り出した。紙を探して、きょろきょろしている。
それから、俺の胸元で目を止めた。
懐から、勝手に手配書を引き抜かれた。
「おい」
リゼは手配書を裏返して膝に置き、横石の模様を写し始めた。輪を一つずつ、丁寧になぞっていく。
「俺の顔の裏に描くな」
「表には描いてないでしょ」
「そういう問題じゃねえ」
「マレに見せるの。あの子なら、何か知ってるかもしれない」
その夜、焚き火の前で、バルトが言った。
「俺は、ここに残る」
「一人でか」
「お前たちの話では、伯爵の手の者が、この辺りを掘っているのだろう。嵐で門が出たなら、いずれ見つける」
リゼが、小さくうなずいた。
「先に見つけたのは、こっちだ。渡すわけにはいかん」
「掘るのか、それ」
「掘る」
バルトは、それきり黙って、折れた剣の柄を指でなぞっていた。
次の朝、バルトは門の前に立って、俺たちを見送った。腰には、俺がやった鉄の剣が、布を巻いて差してある。
「恩は、まだ何も返しておらん」
「いいって」
「よくない。戻ってきたら、返す」
頑固な奴だ。
「戻ってくるわよ」
ヒゲチョロの背の上から、リゼが言った。
「この人、サボテンタがないと生きていけないから」
「生きていけるわ」
バルトが、少しだけ口の端を上げた。
しばらく進んでから振り返ると、バルトはまだ砂丘の上でこっちを見ていた。その後ろで、門の影が長く伸びていた。
同じころ、王都オルデン。
王立鑑定院の書庫は、日が暮れると、ほとんど人がいなくなる。
背の高い棚のあいだで、マレは本の山に埋もれていた。机の上のランプが、じじ、と鳴る。
大砂漠の古い記録。神代の遺物の目録。百年前の行商人の日記。
ノアたちが砂漠から何を持って帰ってきても、すぐに値打ちを言えるようにしておく。王都に残された自分にできるのは、それくらいだった。
……置いていかれた、とは思っていない。
思っていない、けれど。
ページをめくる指に、力が入った。
向かいの席では、ディアンが分厚い目録を読んでいた。夕食の時間はとうに過ぎているが、ディアンは気づいていない。マレも、言わなかった。
何冊目か分からない本を開いた時だった。
表紙の革がぼろぼろに崩れた、薄い記録だった。字は古く、ところどころ虫に食われている。
――大砂漠に、緑の番人あり。
マレは、ランプを引き寄せた。
――番人は砂に棲み、あらゆる品を落とす。剣も、器も、名もなき日用の品も。番人は門を守り、門より遠くへは行かぬ。
その下に、絵が一枚描かれていた。
二本の柱と、横石。横石には、大小の輪がいくつも重なり合った紋様。
「先生」
声が、うわずった。
ディアンが顔を上げる。マレの指さすページを覗き込んで、そのまま、しばらく何も言わなかった。
マレは紙を引き寄せて、紋様を写し始めた。輪を一つずつ、丁寧になぞる。
手を動かしながら、もう一度、記録の文を口の中で読んだ。
「緑で、砂に棲んで、何でも落とす……」
どこかで、聞いたことがある気がした。




