第18話 名剣に干す
物干し竿を肩に担いで、宿を出た。
シャツが一枚、まだ引っかかっていた。
「なんでそれ持ってくのよ」
「乾かしてる途中だった」
「建国の名剣でシャツ乾かしながら歩いてるの、王都であんただけよ」
大通りは、昼の人出でにぎわっていた。シャツがはためくたびに、すれ違う人が振り返る。
リゼが、前を向いたまま言った。
「向こうは、衛兵を呼べないわよ」
「なんで」
「呼んだら、首輪のことを聞かれるでしょ」
「殴っても怒られないってことか」
「……そういう意味じゃないから。それと、金貨は二枚以外取らないこと。取ったら強盗よ」
〈銀秤商会〉の看板は、昨日と同じように通りを見下ろしていた。銀色の天秤の彫り物だ。
奥の部屋で、ロウェルは昨日と同じ笑顔で立ち上がった。部屋の隅には、ジルがいた。こっちを見ないようにしている。
「これはこれは。昨夜は災難でしたね。荷は衛兵に取られてしまったそうで」
「残りの二枚、もらいに来た」
ロウェルは、少しも笑顔を崩さなかった。
「もちろんです」
机に、金貨が二枚置かれた。その横に、もう三枚。
「こちらは、次のお仕事の前金です。あなたほどの方なら、もっと大きな仕事も――」
「首輪か」
「……ええ、まあ。扱いは同じようなもので」
「受けねえ」
ロウェルの親指が、帳簿の端をめくり始めた。
ぱら、ぱら。
ぱらぱらぱらぱら。
笑顔は変わらないのに、指だけが止まらない。
「残念です」
ロウェルが手を叩くと、扉が開いて、男たちが入ってきた。六人。昨夜、川沿いで伸びていた連中より、ずっと体が大きい。
袋から、銀貨を一枚つまんだ。ジルの紹介料だ。
「これ、お前らの金だろ。返すぜ」
親指で弾く。
ぱちん、と先頭の男の額で音がした。男は白目をむいて、後ろにひっくり返った。
二枚目。三枚目。四枚目。
銀貨が一枚当たるたびに、一人ずつ倒れる。
残った二人が、同時に飛びかかってきた。
襟首を一つずつつかんで、そのまま振りかぶる。
表の戸を突き破って、二人は大通りまで転がっていった。
通りが一瞬静かになり、それから、ざわめきが広がった。
ジルが、腰の剣に手をかけていた。
目が合う。
ジルは、剣を抜かなかった。柄から手を離して、一歩下がった。
「……無理だよ、旦那。こいつには」
「ジル!」
ロウェルの声が、初めて裏返った。
部屋の奥に、鉄の金庫があった。俺の背丈くらいある。
扉の取っ手をつかむ。鍵がかかっている。
引いた。
蝶番ごと、扉が外れた。
勢いあまって、扉は壁を突き破り、大通りに倒れた。壁の穴から、昼の光が差し込む。
金庫の中から、帳簿の束が雪崩のように崩れ落ちた。穴から吹き込んだ風が、ページをめくって通りへ運んでいく。
「やめなさい、それは――それは、組織の――」
ロウェルが、這いつくばって帳簿をかき集めた。
その襟首をつかんで、持ち上げた。
そのまま壁の穴から、大通りへ出る。
人だかりができていた。
リゼが、俺の袖をつかんだ。
「ちょっと、ノア……」
言いかけて、リゼの目が、人だかりのほうへ動いた。
前のほうに、痩せた男が立っていた。首に、輪の形の古い痕がある。隣の女にも。その後ろの少年にも。
みんな、黙ってロウェルを見ていた。
リゼの指から、力が抜けた。
袖から手が離れる。
リゼは目をそらして、小さく言った。
「……やりすぎないでよ」
店先の柱と柱の間に、物干し竿を渡した。シャツをどけて、代わりにロウェルの襟を引っかける。
ロウェルの足が、地面から浮いた。
「お、下ろしなさい! これは、これはなんの――」
じたばたするたびに、物干し竿がしなる。しなっても、折れない。さすが建国の名剣だ。
「おい、あれ……暁の剣じゃないか?」
「宝物庫のと同じだって噂の……」
「銀秤の旦那が、名剣に干されてる」
誰かが噴き出した。
笑いが、通りに広がっていった。手を叩く者もいる。首に痕のある痩せた男が、口の端だけで笑っていた。
看板を見上げる。銀色の天秤が、まだ通りを見下ろしている。
気に入らねえ。
柱を蹴った。
看板が落ちて、石畳の上で真っ二つに割れた。
店に戻って、机の上の金貨を拾う。
一枚、二枚。
隣の三枚には、手を出さなかった。
「……ちゃんと二枚だけなのね」
リゼが、壁の穴から覗いていた。
「強盗になるんだろ」
「……覚えてたんだ」
金貨を袋に入れる。じゃらりと、いい音がした。
野次馬の輪の、いちばん後ろ。
仕立てのいい灰色の外套を着た白髪の男が、足元に飛んできた帳簿を一枚拾った。
目を通し、静かに畳んで、懐にしまう。
名剣に吊るされたまま、ロウェルは帳簿の束を胸に抱えていた。あの笑顔は、もうどこにもなかった。
白髪の男はそれを一度だけ見て、人波の中へ消えた。




