第15話 ジルのおごり
ジルは、俺の肩をばしばし叩いた。
「生きてたのか! お前、生きてたのか!」
痛くはない。でも、なんだか目の奥がむずがゆい。
ハルカで、一緒に安酒を飲んだ顔だ。組合の掲示板の前で、割のいい仕事がないと一緒に文句を言った顔だ。
「死んだと思ってたのかよ」
「思うだろ。砂漠に逃げたって聞いたぞ」
ジルは笑った。昔と同じ、人の良さそうな笑い方だった。
「いい鎧だな。儲かってんのか」
「王都で護衛をやってる。商会の旦那のな。……それより」
ジルの顔から、笑みが引っ込んだ。
「あの店のこと、聞いた。すまなかった。まさか、あんな所だとは知らなかったんだ。あの後すぐ、店に乗り込んだんだけどな」
そうか。
こいつも、だまされてたのか。
一年前、「いい店がある」と俺を連れていったのはジルだ。恨んだ夜もあった。でも、鉛のサイコロを振ったのはナハトだ。
「もういい。ナハトなら、ぶっ飛ばした」
「……は?」
「ハルカの夜杯、潰れたぞ」
ジルが、ぽかんと口を開けた。
横から、低い声がした。
「あんたが紹介した店でしょ」
リゼだった。腕を組んで、ジルを見ていた。笑っていなかった。
「リゼ……。大変だったって、聞いた。保証人になってたって」
「聞いたなら、なんで来なかったの」
「知ったのが、最近なんだ。ずっと王都にいたから」
「店に乗り込んだのに、保証人のことは知らなかったんだ」
ジルが、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……追い返されたんだよ。何も教えてもらえなかった」
リゼは、何も言わなかった。
ジルは頭をかいて、俺に向き直った。
「詫びだ。今夜は俺がおごる。好きなだけ食え」
好きなだけ。
「リゼ。こいつ、いい奴だぞ」
「……あんたって、ほんとに簡単ね」
広場の屋台で、串焼きを十本頼んだ。
人の財布だと思うと、いつもの倍うまい。
「よく食うな」
「一年、サボテンタしか食ってなかったんだ。まだ取り返してない」
「サボテンタ?」
「砂漠の、緑の、棘のやつ」
今日、この説明を何回したか分からない。
マレは、ジルにおごられた一本を、なぜか申し訳なさそうに少しずつかじっていた。
「そういえば、昼に妙な噂を聞いたぞ」
ジルが、身を乗り出した。
「宝物庫の名剣を担いだ遊び人が、組合で衛兵に連れていかれたって」
「俺だ」
「……そうなのか」
「物干し竿だったんだけどな。鑑定院に取り上げられた。洗濯物、どうすんだよ」
「取り上げられたんじゃなくて、預けたの。報告が済んだら返すって言ってたでしょ」
リゼが、横から口をはさんだ。
ジルは、腹を抱えて笑った。
その時、後ろから大きな影が差した。
「ジル。こんな所にいたのか」
ジルと同じ鎧を着た、大男だった。首が太い。腕は、俺の脚くらいある。
「ガロ。こいつ、昔の仲間でな。ノアだ」
ガロは、俺を上から下まで眺めた。
「職業は?」
「遊び人」
ガロが、吹き出した。
「遊び人! 遊び人が王都に何しに来た。踊って小銭でも拾うのか」
周りの客まで笑った。
ジルも、笑っていた。
「まあ、そのくらいにしてくれ。悪い奴じゃないんだ」
串を一本、口に入れた。笑われるのは慣れてる。
ガロは、空いた樽にどかっと肘をついた。
「腕相撲だ、遊び人。銀貨五枚。勝てたら、ここの串を全部おごってやる」
銀貨五枚。
賭けだ。
指が、勝手に財布へ伸びた。
「ノア」
リゼの声がした。
「……自分の金だぞ」
「自分の金ならいいって顔、してんじゃないわよ」
してる。
「人のものは賭けてない。約束は守ってる」
リゼは、長いため息をついた。
「……さっさと終わらせなさい」
樽を挟んで、ガロの手を握った。でかい手だった。
左手には、食べかけの串を持ったままにした。
「串くらい置けよ」
「冷めるだろ」
ガロの額に、青筋が浮いた。
「始め!」
ジルの声と同時に、ガロが全身の重さをかけてきた。
樽が、みしっと鳴った。
まずい。
樽を割ったら弁償だ。騒ぎになれば、また衛兵が来る。昼で懲りた。
力は入れずに、ガロの手を止めたまま、串の肉をかじる。
ガロの顔が、赤くなった。それから、紫になった。
「もういいか?」
返事はなかった。返事をする余裕がないらしい。
ガロの手を、樽の上へゆっくり倒した。ことり、と小さな音がした。
倒しきった瞬間、ガロの肘が樽の縁から滑った。大きな体が、そのまま後ろへ転がって、地面に尻もちをついた。
広場が、しんとした。
ガロは地べたに座ったまま、自分の手を見つめていた。
「おい、あいつ。今……力、入れてたか?」
「のんきに、肉、食ってたぞ」
次の瞬間、周りの客がどっと沸いた。
「おい、遊び人が勝ったぞ!」
「次は俺だ! 銀貨三枚!」
「俺もだ!」
日が沈むまでに、ガロのほかに六人倒した。
勝った銀貨は、三十七枚になっていた。ガロにおごらせた串も、全部食った。
いい日だ。王都、最高だ。
じゃらじゃらした銀貨を手のひらに載せて、入れ、と思う。
銀貨が、消えた。
「……今の、どこにやった」
ジルの声が、少しだけ低かった。
「指輪。今日分かったんだけど、物がしまえるんだ。便利だろ」
「ノアさん!」
マレが、慌てて俺の袖を引いた。
「そういうことは、人前で言わないほうが……」
「なんで」
「なんでもです!」
顔を上げると、ジルが俺の指を見ていた。
笑っていなかった。
目が合うと、ジルはすぐに、いつもの人の良さそうな顔に戻った。
「すげえな、お前。本当に、すげえ」
なんだ、今の。
考える前に、次の串が焼き上がった。
別れぎわ、ジルが言った。
「ノア。割のいい仕事がある。うちの旦那が、腕の立つ護衛を探してるんだ。一日、金貨一枚」
「金貨!」
すねを蹴られた。リゼだ。
「明日の昼、この広場で待ってる。考えといてくれ」
ジルは手を振って、人混みに消えた。
リゼが、その背中をずっと見ていた。
「……私、あいつ嫌い」
「なんでだよ、悪い奴じゃなかったろ」
「昔から嫌いだったのよ」
初耳だった。
――――
王都の、大通りから一本入った商会。その奥の部屋。
若い男が、帳簿をめくっていた。年は、ジルとそう変わらない。指先で、帳簿の角を何度もはじいている。
「生きてました」
ジルは、戸口で頭を下げた。
「ノア・ベル。ハルカの夜杯を潰した遊び人です」
帳簿をめくる音が、止まった。
「……で、いくら持ってる」
「稼いだ銀貨を、指輪に消していました。物をしまえる指輪だそうです。夜杯の金庫の金も、たぶんそこに。それと、宝物庫と同じ〈暁の剣〉をもう一本。今は鑑定院が預かっています」
「腕は」
「化け物です。ガロが、片手で負けました」
男は、しばらく黙っていた。
「上には」
「まだ、誰も」
「なら、いい。殴り合わなければいいだけだ」
男は、帳簿を閉じた。
「夜杯の穴は、あいつで埋める。上に知られる前にな」
それから、窓の外に目をやった。王宮の塔が、夜の中に白く浮いていた。
「ナハトが、裁きで口を開く前に」




