12. おかえり
串焼きを、かじった。
脂が、じゅうっと口の中に広がる。
「……うめえ」
1年ぶりの、屋台の串焼きだ。サボテンタ以外の味がする。
気がついたら、5本目を食っていた。
「食べすぎ」
隣でリゼが言った。そう言いながら、自分も3本目だ。
マレは1本を両手で持って、少しずつ大事そうにかじっている。
金ならある。賭場で勝った金貨200枚。借金も、もうない。
「もう5本」
「やめなさい」
治療院の裏に戻ると、ヒゲチョロが首を伸ばしてきた。
俺ではなく、リゼに。
鼻先をリゼの胸に押しつけて、甘えた声を出している。1年間、俺には一度も出したことのない声だ。
「ヒゲチョロ。元気だった?」
リゼが首を撫でると、ヒゲチョロは目を細めた。
それから、こっちを見た。
尻を向けられた。
「……あいつ、俺に1年分の飯の恩があるはずなんだけどな」
「賭けたからでしょ」
リゼの声が、少しだけ低くなった。
その夜、治療院の屋根に上がって、町を見ていた。
足音がして、リゼが隣に座った。
しばらく、何も言わなかった。
「ねえ」
「ん」
「ヒゲチョロのこと、賭けたんだってね」
来た、と思った。
「勝ったけどな」
「そういうことじゃない」
リゼは、膝を抱えた。
「1年前も、そうだったでしょ。勝てる気がして、止まらなくなって。気がついたら全部なくしてた」
何も言えなかった。
「あんたが勝ったのは、運がよかったから。でも、悪かったら? 次は、何を賭けるの」
リゼの声は、怒っていなかった。
それが、一番こたえた。
「……治ってない」
正直に言った。
「賭けは、たぶん一生好きだ。でも」
夜風が吹いた。
「もう、人のものは賭けない。お前のも、ヒゲチョロも」
リゼは、しばらく俺の顔を見ていた。
「……約束だからね」
「ああ」
リゼは、ふっと息を吐いて、町の方を向いた。灯りが、ぽつぽつと消えていく。
「言い忘れてた」
「何を」
「おかえり、ノア」
目の奥が、熱くなった。
1年前、この町から逃げた。帰る場所なんか、もうないと思っていた。
「……ただいま」
翌朝、イサナが治療院に来た。白髪は、きっちり結い直されていた。
「昨日の望みだが」
イサナは、ずしりと重い袋を机に置いた。
「夜杯から押収した金の一部だ。救い出した者たちへの分とは別に、君の取り分として認める」
「金か!」
「望みどおりだろう」
表情は変わらない。変わらないが、たぶん、からかわれている。
それから、イサナは封蠟を押した手紙を差し出した。
「王都の冒険者組合への推薦状だ。魔物退治や護衛の仕事を仲介する所でな。君の力なら、そこで食っていける」
「遊び人でもか」
「遊び人でも、だ。受付で一度は笑われるだろうがな」
イサナは、続けた。
「ひと月後、ナハトと執事の裁きが王都である。証人として来てもらう」
「伯爵は、どうなる」
「私はしばらくハルカに留まる。治療院にも、町の者にも、手は出させん」
エダ婆さんが、腕を組んだまま鼻を鳴らした。
裏庭で、ディアンがじっと何かを見ていた。
物干し竿の剣だ。洗ったシャツが、何枚もかかっている。
ディアンは、シャツを一枚ずつ丁寧にどかして、柄の紋章に顔を近づけた。それから、刃の形を、根元から先まで指でなぞった。
長いこと、何も言わなかった。
「……ノア君。この紋章は、王都の宝物庫にある名剣と同じだ。形も、そっくりだ」
「同じ剣ってことか?」
「そんなはずはない。あの剣は、この世に一本しかない。今も宝物庫にある」
ディアンの声が、わずかに震えていた。
俺は、剣を見た。
「……じゃあ、高く売れるのか?」
「売るな」
王都。
証人、推薦状、それに物干し竿の正体。
行く理由は、そろっていた。
「リゼ」
「行く」
「……まだ何も言ってないぞ」
「どうせ王都に行くんでしょ。治療する人間がいないと、あんたの周りはすぐ怪我人が増えるから」
「怪我するのは、相手のほうだろ」
「だからよ」
エダ婆さんが、お玉で俺の頭を叩いた。なぜ俺なんだ。
「行っといで。あたしは、まだ死なないよ」
マレが、図録を抱えて一歩前に出た。
「私も行きます。先生と一緒に。……あの剣、まだ鑑定してないので」
3日後、俺たちはハルカを出た。
ヒゲチョロの背にはリゼ。隣を歩くマレとディアン。俺は、物干し竿の剣を担いで、荷を背負っていた。
門番が、何も言わずに手を振った。
あの婆さんのとこには、イサナからもらった袋を置いてきた。
気が付いて、心臓止まらなければいいけどな
丘を越える時、一度だけ振り返った。
小さな町だ。でも、帰る場所だ。
首元の黒い石が、ほんのりと赤く光った。
ずっと後ろの街道を、黒い外套の旅人が一人、同じ方へ歩いていた。




