風の終着
朝の森は静かだった。
静かすぎた。
「……なんか今日、妙じゃない?」
先頭を歩いていたリズが立ち止まる。
弓を持ったまま、周囲へ鋭い視線を向けていた。
「妙って?」
レオが聞き返す。
「気配が少ない」
短い返答。
でも、その意味は重かった。
僕も周囲を見る。
確かに。
いつもなら浅層で見かけるはずのゴブリンが、ほとんどいない。
物音も少ない。
森そのものが、妙に静かだった。
「ラッキーじゃね?」
レオはあまり気にした様子もなく笑う。
「奥まで安全に進めるってことだろ!」
「……ならいいけど」
リズは納得していないようだった。
でも。
結局僕たちは進んだ。
最近は調子が良かった。
討伐にも慣れてきた。
ゴブリン程度なら対処できる。
そんな感覚が、どこかにあった。
正常性バイアス。
きっと後になって思えば、そういうやつだったんだと思う。
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森の奥。
普段なら新人冒険者が来ない領域。
そこまで、驚くほど簡単に来れてしまった。
「ほんと変だな……」
ミーシャが小さく呟く。
その時だった。
「――っ!」
リズが振り返る。
「音」
空気が張り詰める。
耳を澄ませば、確かに聞こえた。
金属音。
叫び声。
断続的な戦闘音。
「誰か戦ってる!」
レオが剣を抜く。
「行くぞ!」
僕たちは走った。
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最初に見えたのは、血だった。
若い冒険者のパーティー。
まだ装備も新しい。
そのうち一人が脚から血を流し倒れていた。
周囲を、六匹ほどのゴブリンが囲んでいる。
「くっ……!」
「やばい、押されてる!」
でも。
妙だった。
ゴブリンたちはすぐに止めを刺さない。
囲む。
離れる。
追い込む。
まるで。
逃げ場を残したまま、遊んでいるみたいだった。
「レオ!」
「分かってる!」
考えるより先に、レオが突っ込んだ。
「うおおおおっ!!」
横薙ぎ。
一匹の首が飛ぶ。
「若葉の風だ!!」
ミーシャの支援魔法が飛ぶ。
僕も火球を放った。
「《フレイム》!」
爆ぜる炎。
ゴブリンたちが悲鳴を上げる。
リズの矢が喉を射抜く。
一気に戦況がひっくり返った。
「だ、大丈夫ですか!?」
ミーシャが負傷者へ駆け寄る。
若手冒険者たちは涙目だった。
「た、助かった……」
「死ぬかと……」
でも。
その時。
リズが、低く言った。
「……囲まれてる」
ぞわり、と背筋が冷える。
気づけば。
周囲の木々の間に。
黄色い目が並んでいた。
一匹。
二匹。
五匹。
十匹。
もっと。
ゴブリン。
しかも。
さっきまでの個体と違う。
静かだった。
騒がない。
じりじりと距離を詰めてくる。
「……なんだよこれ」
レオの声が硬くなる。
僕も気づいた。
これは。
普通じゃない。
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その時だった。
木の上から、何かが降りてきた。
ドサリ、と重い音。
現れたのは。
一回り大きなゴブリン。
赤黒い皮膚。
傷だらけの身体。
濁った黄色い瞳。
そして。
腰には、デカい斧。
「……っ」
リズが息を呑む。
ゴブリンは。
笑っていた。
「ゴブリン……リーダー……」
誰かが呟いた。
そいつは、ゆっくりと周囲を見る。
そして。
真っ直ぐレオを見た。
次の瞬間。
爆発的な速度で踏み込んだ。
「レオ!!」
金属音。
レオが辛うじて受け止める。
重い。
明らかに普通のゴブリンじゃない。
「くっ……!!」
リーダーはレオだけを狙っていた。
前衛。
指揮役。
生命線。
理解している。
それが、何より恐ろしかった。
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戦闘は、一気に地獄になった。
ゴブリンたちは連携していた。
逃げ道を塞ぐ。
孤立を狙う。
魔法詠唱を妨害する。
新人パーティーを囮に使って、こちらの動きを縛る。
「う、うわあああっ!!」
若手冒険者の一人が引き倒される。
その悲鳴へ反応したレオが動く。
そこを、別個体が襲う。
完全に。
狩りだった。
「トマ!!」
ミーシャが叫ぶ。
僕は反射的に魔法を撃つ。
火球。
風刃。
でも数が多い。
押し返せない。
リズの矢が飛ぶ。
正確だった。
でも。
「っ!!」
一瞬。
木陰から飛び出した個体へ反応が遅れた。
ゴブリンの爪が、リズの顔を裂く。
「リズ!!」
血。
片目。
赤。
リズが膝をつく。
「ぁ……っ……!」
「回復を――」
ミーシャが動こうとした瞬間。
背後のゴブリンが棍棒を叩き込んだ。
「がっ……!」
ミーシャが倒れる。
意識が飛んだ。
「ミーシャァ!!」
レオが叫ぶ。
でも。
その隙を、リーダーは見逃さなかった。
重い一撃。
レオが吹き飛ぶ。
「っ……!」
地面を転がる。
血。
かなり深い。
それでもレオは立ち上がった。
「トマ」
低い声だった。
「みんな連れて逃げろ」
「……え」
「早く!!」
レオが剣を振るう。
ゴブリンを押し返す。
でも分かる。
もう限界だった。
「嫌だ!!」
僕は叫んだ。
「まだ――」
「ミーシャを頼む」
その言葉で。
頭が真っ白になった。
レオは笑っていた。
怖いくらい、いつも通りに。
「お前なら逃がせる」
「……っ」
「行け!!」
ゴブリンリーダーが迫る。
僕は。
震える手で。
魔法を構えた。
「《フレイムバースト》……!!」
爆炎。
轟音。
レオと。
ゴブリンリーダーごと。
炎が呑み込む。
その瞬間。
僕はミーシャを抱えた。
「リズ!!走れ!!」
リズは片目を押さえながら立ち上がる。
若手冒険者たちも必死で走った。
背後で。
ゴブリンの叫び声が響く。
でも。
その中に。
レオの声は、もう無かった。
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森を抜ける直前。
僕は振り返ってしまった。
見てしまった。
炎の向こう。
倒れたレオへ。
ゴブリンリーダーが剣を突き立てるのを。
周囲のゴブリンたちが。
その身体へ群がるのを。
僕は。
最後まで見れなかった。
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ギルドへ戻った時。
もう夕方だった。
医務室。
血。
怒号。
担架。
でも。
誰も騒がなかった。
受付嬢のエマさんは、一瞬だけ目を伏せ。
静かに言った。
「また、森ですか」
まるで。
よくある事故みたいに。
実際。
そうなんだろう。
新人冒険者の死因。
その多くは。
森でゴブリンに殺されることだ。
それが。
この世界の日常だった。




