第3回|適応する侵略者
王都の庭園は、だいたい二種類に分かれる。
ひとつは、庭師の努力と貴族の見栄がちょうどよく噛み合い、薔薇は薔薇らしく、芝は芝らしく、噴水は無害に水を噴く、たいへん上品な庭園。
もうひとつは、朝には整然としていた花壇が昼には半分枯れ、反対に雑草だけが妙に元気よく膝丈まで伸び、植え込みの小鳥が誰に教わったのか「にげろ」「にげろ」と鳴き続ける、たいへん示唆に富んだ庭園だ。
そして本日の王宮中庭は、後者だった。
「趣があるわね」
「趣って便利な言葉ね」
私は日傘を差したまま、花壇の縁へしゃがみ込んだ。
白百合は茎の途中から黒ずみ、薔薇は花弁だけを残して急速にしおれ、その間から見事な勢いで見知らぬ雑草が伸びている。見知らぬ草という表現はだいたい研究不足を誤魔化す方便だが、今回は本当に知らない。葉脈が薄く発光している。腹立たしいほど元気だ。
ノーラが靴の先で一本つついた。
「これ、抜く?」
「だめ。抜いたらたぶん増える」
「嫌な予感に具体性がありすぎる」
私は魔素濃度計を地面へ差し込んだ。
針がぶるりと震え、地中の一点を指して止まる。中庭の中央付近。昨夜、A-07が立っていた場所だ。
中和剤散布以降、王都全体の魅了現象は沈静化した。
だが代わりに、局所的な異常が増えた。植物の枯死、雑草の異常繁殖、小動物の不穏な挙動。おまけに、A-07の周囲にいた者ほど「妙に心がざわつく」「話してもいないのに考えが頭へ入ってくる気がする」と訴える。
非常に面倒だ。
面倒だが、筋は通っている。
「一次のフェロモン誘引が封じられた結果、適応したのね」
「進化って、もう少し時間かけてくれない?」
「外来種は空気を読まないものよ」
背後から、ひどく不機嫌そうな声がした。
「つまり、私は空気を読まない相手に婚約者を狙われていたわけか」
振り向くと、レオナルトがいた。護衛を二人だけ連れている。最近の彼は以前よりずっと表情が冴えていた。中和剤の効果もあるし、A-07から距離を取らせている成果もある。だがその分、状況への理解が追いついてきて、眉間の皺が増えた。
「狙われていたというより、感情誘導の高感受性個体として反応しやすかっただけです」
「言い換えで傷が深くなることがあるな」
「殿下は固有種として非常に価値が高いので」
「その説明も別の方向でつらい」
私は立ち上がり、日傘を閉じた。
彼の足元に伸びてきた雑草を、護衛が剣の鞘でそっと押し返している。剣で雑草を威嚇する衛兵という絵面はなかなか新鮮だ。
「近づきすぎないでください。まだ環境が不安定です」
「わかっている。だが君がこういう場所に平然と立っていると、こちらだけ退くのも落ち着かない」
「私は観察者ですので」
「それを免罪符みたいに使うな」
使えるものは使うべきだ。
私は花壇の中心を見た。
枯れた花と繁殖した雑草。その境界が、妙にくっきりしている。まるで“この土地にふさわしいもの”と“ふさわしくないもの”を、見えない何かが選り分けているようだった。
その仮説に名前をつけかけたところで、中庭の反対側がざわついた。
人垣が割れる。
白いドレス。白金の髪。A-07だ。
以前と同じく見目麗しい。だが印象が違う。
甘い香りはほとんどない。その代わり、彼女が視線を向けた瞬間だけ、周囲の者がはっと息を呑み、言葉を失う。空気ではなく、もっと直接、頭の内側へ触れてくる感覚。
「二次能力、確認」
「嬉しそうに言わないで」
「確認は嬉しいものよ」
ノーラが小声で呻く。
レオナルトの護衛が一歩前へ出たが、A-07はそれを見ても微笑むだけだった。
「エレオノーラ様」
声は穏やか。
だがその一音で、背後の若い侍女がぼうっと立ち尽くす。香りではない。耳から入っているのでもない。認識への直接干渉。精神魔法の系統だ。
「お会いしたかったです」
「私は研究棟の方が好きです」
「つれないのですね」
「ええ。たぶん、かなり」
A-07は一歩踏み出した。
その足元だけ、芝がじり、と褪せる。反対に、脇からあの見知らぬ雑草がまた伸びる。まるで彼女の周囲で、生態系が悲鳴を上げながら帳尻を合わせようとしているみたいだ。
私は胸の奥で何かが繋がるのを感じた。
魅了が解けたあとに出た変異。
局所的な植物異常。
雑草の異常繁殖。
A-07自身の魔素出力の変調。
彼女が環境へ適応したのではない。
環境そのものが、彼女を異物として処理しようと反応している。
だが、証拠がまだ足りない。
「殿下、下がって」
「君も下がれ」
「私は必要です」
「それは知っているが、それと危険でないことは別だ」
珍しく真っ当な反論だ。困る。
私は少しだけ黙った。
その隙を突くように、A-07の瞳が私を射抜く。
頭の奥へ、言葉にならない圧が滑り込んできた。
見ろ。
理解しろ。
同情しろ。
私を救え。
命令ではない。もっと厄介な、感情の形をした訴えだった。普通の人間なら、きっと胸を掴まれたように立ち尽くす。
実際、ノーラは「う」と短く呻いて眉を寄せたし、護衛の片方は剣を取り落としかけた。
だが私は、反射的に観察手帳を開いていた。
「干渉型に移行。媒介なし。範囲は視線中心、推定半径四から六メートル」
「エレオノーラ! 今それ記録する場面か!?」
「今しか記録できません!」
レオナルトが額を押さえた。
そうしている間にも、A-07の瞳は揺れている。きれいだ。きれいだが、安定していない。焦点が定まらず、輪郭が微妙に滲む。無理に別の器官を増やした生物みたいな不自然さがあった。
「……あなたは、本当にひどい人」
A-07が言った。
「初めて会った時から、ずっと私を人として見ていない」
「見ているわ」
「嘘」
「違う。人として見た上で、分類しているの」
ノーラが両手で顔を覆った。
レオナルトが「なぜそこで表現を丸くできない」と低く呟く。無理である。精度を下げた言い回しは誤診のもとだ。
A-07は笑った。
笑ったが、その端から頬色がすうっと失われる。
「……ねえ、エレオノーラ様。あなたには聞こえませんか」
「何が」
「この世界が、私を拒んでる音」
一陣の風が吹いた。
その瞬間、中庭の雑草が一斉にざわめいた。花壇の白百合がぼろ、と崩れ、逆に見知らぬ草だけがさらに伸びる。護衛の足甲にまで絡みつき、彼が「うわっ」と声を上げて飛びのいた。王宮中庭で雑草に悲鳴を上げる精鋭騎士。たいへん情緒がある。
私は膝をつき、崩れた白百合の根元を見た。
根に、細かい魔素焼けの痕。外から毒を入れられたというより、環境の側が急激に排除へ動いた痕跡だ。
間違いない。
「世界の免疫反応……」
「何?」
レオナルトが聞き返す。
私は立ち上がった。
A-07を見た。
白く、美しく、異様に整っていて、それなのに輪郭の端から少しずつこの世界に馴染めなくなっている存在。
「殿下。駆除は不要です」
「は?」
「この個体は、すでに世界から異物認定されている」
周囲が静まり返る。
A-07の睫毛が、かすかに震えた。
「あなたはこの世界に愛されていない」
口にしてから、自分でもひどい台詞だと思った。
だが、観測結果としては正確だった。
A-07は傷ついた顔をするかと思った。
泣くかと思った。
怒るかと思った。
だが彼女は、むしろ一瞬だけ安堵したように見えた。
「……そう。やっぱり」
その声は、初めて“聖女”ではなく、一人の疲れた少女のものに聞こえた。
同時に、彼女の周囲で魔素が不規則に脈打つ。危ない。
「下がって!」
私は叫んだ。
次の瞬間、A-07の足元から光が逆流した。
噴き上がるほどではない。だが体の内側から外へ、制御を失った流れが漏れ出している。彼女はよろめき、手すりへ指をかける。
レオナルトが駆け寄ろうとして、私は反射的に腕を掴んだ。
「行ってはだめ」
「放せ、倒れる!」
「だからです! 今近づけば殿下まで巻き込まれる!」
彼は振りほどこうとして、だが私の顔を見て止まった。
私はたぶん、ひどい顔をしていた。学者の顔でも、婚約者の顔でもなく、その両方が噛み合わずにきしんでいる顔だ。
「……君は」
「わかってる」
わかっている。
目の前にいるのは研究対象だ。
同時に、倒れかけた人間でもある。
私は駆除を選ぶべきか。封じるべきか。助けるべきか。ただ見るべきか。
胸の奥で、結論だけが冷たく形を取る。
駆除は不要。
不要なのに、手を出せば観測を壊す。
観測を壊せば、この現象の本質は永遠に記録されない。
「エレオノーラ」
レオナルトの声が低く落ちた。
「君は冷たすぎる」
その言葉は、想像していたよりずっと深く刺さった。
私は思わず笑ってしまった。笑うしかなかった。
「ええ。知っています」
「なら――」
「でも、冷たくなければ守れないものがあるの」
自分で言って、少し驚く。
喉の奥が熱い。嫌だ。感情は視界を濁らせる。
「私は、全部を助けられるほど器用じゃない。だから、壊れるものと残すべきものを見分けるしかないの。殿下は守る。この世界も守る。そのために、私はちゃんと見なければならない」
レオナルトが何か言いかけ、黙る。
代わりに、ノーラが小さく息を呑んだ。たぶん私が長文で感情を述べたことに驚いている。私も少し驚いている。
A-07は中庭の中央で、荒い息をついていた。
雑草はなおも伸び、花はなおも枯れる。世界が、彼女を押し返している。
私は観察手帳を閉じた。
「学会長に連絡を。論文の結論部を書き換える必要がある」
「書き換えるって、どこを?」
ノーラが問う。
「仮説全部の土台」
私はもう一度、A-07を見る。
侵略者が適応したのではない。
世界が排除へ動き、その結果として彼女は自壊へ向かっている。
駆除の主体は私ではない。世界だ。
風が吹く。
中庭の雑草が一斉に揺れ、枯れた花弁が舞い上がる。やたら壮大なのに、足元では護衛がまだ草を踏まれまいとぴょこぴょこ避けていて、全体として締まらない。だが現実はだいたいそういうものだ。
私は静かに告げた。
「駆除は不要だった。世界が、彼女を拒んでいる」




