第8話 [2020/8/07 16:57][山梨県南アルプス山中][五年前5]
高速を抜けて山間の、寂れてもいなければ栄えてもいない街に出た。地盤が硬くて地震の心配がない事を除けばこれといった特徴のない街だ。
初夏を過ぎ、夏に入った山は日が沈んでも蒸し暑かった。月明かりがあれば十分、とはいかなかった。現代人の私の目にはやはり暗闇で、先をゆくステアー達の影をおっかなびっくり追いかける。
ライトは使うなと言われていた。
「見えてきた」
「ああ、あれがそうか?」
「ああ、擬装解くから、少し待ってろ」
私には見えてこなかった。
どこから木々でどこから夜闇かわからない暗がりに、光を返さない奈落のような黒が広がってゆく。
目眩でも起こしたのかと思った。
だが、そうではない。さっきから慣れない山道で悲鳴を上げる脹脛の引き攣り、じっとりと肌に吸いつくTシャツも現実から遠ざかる気配はなかった。
白い光の線が走り、見上げる。
それは私達を跨ぐようにアーチを描いて、その内から冷えた空気、無味無臭のこことは異なる気配が流れ出る。
まあ、入れよ、前を進む影が遠ざかってゆく。
置いて行かれるのが怖くて、ただ暗がりに歩を進めた。
足裏に硬い感触、何も、何も見えない・・・、
暗がりは視界どころか音も、やがて上下左右の感覚さえも奪ってゆき、焦りに早める心臓の鼓動すらも遠ざけてゆく。
私はそれに必死で抵抗していた。滑り落ちかけた意識に必死でしがみついていた。死にたくない、何故か、そう思った。
いや、当たり前かも知れない。でも、
「少し驚くかも知れねえが、なに、心配は要らん」
でも、その暗闇はあっさり、指先だけで崖に引っかかっていた私の意識を闇の中に引き込み閉ざした。
※※※
真っ白な空間にいた。眩しいくらい白くて、でも眩しさを覚えない不思議な空間。視界はボヤけていて焦点を結んでいなかった。
「大丈夫か、しっかりしろ」
ムスッとしたその声はステアーか、シグの言っていた、彼が真面な話をする時は大抵が不味い状況というのを思い出す。
そうだ、早く起きなければ、
次第に焦点を結んでゆく視界の中で暗い色味の、ギラリと光るメタリックな輪郭が人の像を結んでゆく。
「え?」
「惚けるな」
ブルースカッドのコスチュームを纏ったステアーの姿があった。いつの間に、着替えたのか?何故、
ステアーは自身の姿を見下ろして、バッと両手を脇で交差させた。
「ブルースカッ!」
「うおぁっ」
びびって引っくり返ると不思議な感触、床は確かにそこにあるのに、触れているのに触れていない、触れられない境目がそこにあった。
「何これ」
床に触れる自らの手に、さらに何これ、
艶やかな白の薄いグローブに包まれた腕、腕だけじゃない。白のグローブからフリルを挟んで薄ピンクのサテンに切り替わり、それは胸から下の全てを覆っていた。
ドレスだった。
俯くと視界の左右に氷雨色の縦ロールが落ちる。これは・・・、
『全員起きたか?』
天から声が降ってくる。
『そこはエントランスルームだ。少し浮遊感があるかも知れんが、危険はないから安心してくれ』
少し離れないところでシグと思しきガンメタルが熱心にポーズの練習を繰り返していた。そして床に倒れる人影、礼服姿の倒れる男、宝井だった。
あ、
唐突に床が消えた。転んだかとも思ったが、違った。
私は落ちていた。
何処に?
地面に。遥か眼下に街が見えた。
「ひいああああああっ!!」
『落ち着けって、落ちてる訳じゃない』
「え?」
急速に迫りつつ地上、建物の屋上、灰色のアスファルト、しかし風を感じなかった。
速度が緩まる。ゆったりと迫る灰色の地面に恐る恐る足を伸ばした。
戻る重力。傾ぐ身体。踵が着かない。そこで初めてヒールの高いパンプスを履いている事に気づいた。ハイヒールなんて履いた事なかったから、当然バランスを崩して転ける。
「あでっ」
今度はしっかり痛かった。
蹲っているとステアー達が話しているのが聞こえた。落ち着かない様子で遠ざかる足音、待って、置いていかないでよ、
顔を上げるとそこには、やはり街が広がっていた。薄ぼんやりとした空の下には不揃いな、しかし無機質な建物が左右に並んでいた。
ヒールにフラフラしながら二人を追いかける。彼らはショーウィンドウを眺めていて、飾られたマネキン越しにはブティックの店内が広がっていた。
「ここは、なんなんだ」
ステアーが言った。
「銀座だよね、たぶんだけど」
「いや、そういう意味じゃなくて」
『日本の地形データにリンクさせてある』
「宇宙船の、中なのか?ここは」
『そうであるとも言えるし、ないとも言えるな。量子ブロックの中だから、構造物自体はドラム缶一つ分もない』
なら、じゃあ、まるでマトリックスじゃないか。
「この姿は?よく出来てはいるが」
『お前らの頭の中にあるセルフイメージ、その理想形に寄った姿だな。ポジティブな部分を拾わないと人じゃなくなってるリスクもゼロじゃない』
理想形。そう言われてステアーとシグが顔を見合わせて、まあ、そうだよなという納得の沈黙の後に私を見た。
「な、何ですか」
「お前、それが理想の姿なのか?」
『少し明かりを調整するぞ』
急に暗くなる。そして朝日が登ったように淡い光が満ち、やがて夕暮れへ、そして夜が訪れる。それを何度か繰り返して、昼過ぎくらいの明るさになるとそのまま止まった。
『こっちに来てくれ、日が沈んだ方だ』
「行くぞ」「ああ」
空から落ちる明かりがガラスに反射して鏡になっていた。
私は映し出された目の前の女に目を奪われていた。氷雨色の縦ロールは腰の辺りまで伸びて、薄ピンクのドレスは上品ながらも可愛らしいそれ、白い肌の細面もそうだが、何よりそのスタイル、シルエットの美しさは些細な事が本当に些細になる美しさを秘めていた。
寸胴でぽっちゃり気味な私とはまるで似つかない。
「どうした、行くぞ」
「は、はい」
ドレスの意匠に華美さはなく、縦ロールも自然の範疇で、上品に纏められたシルエットは色味さえもう少し抑えればディズニーのプリンセスのようだった。
こんなキャラクター、アニメにも漫画にも存在しない。強いて言うなら深夜アニメの魔法少女が元となってはいたが、敢えて簡易に言えば、これはオリジナルだった。
いわゆる、黒歴史という奴だ。
ちなみに、その黒歴史は今も続いている。デザイン画を起こして服を仕立て、SNSに投稿したりしている。
キャラクター設定まで作り込んでいる。執事の名前に通う学校、マスコットみたいな地球外生命体と共に異形の怪物と戦うのだ。
嫌なところばかり現実と符合していた。
「それ」とシグが話しかけてくる。
「何のキャラクター?」
「な、内緒です」
絶対に言えない。
しばらく、宝井の声のままに変わり映えのしない景色を歩いた。すぐにヒールが痛くなって、素足になった。
身体が軽かった。
ただ歩いた。
歩き続けた。でも、いつまで経っても変わり映えがしなかった。
「おい、いつまで続くんだ」
『・・・不味いな』
何が、問い返す前に、遥か前方に空から球体が落ちた。道を塞ぐ程の巨大なそれは緩やかな楕円を描いていて卵のようだった。
ぴしり、と軋みを上げて、頭頂部からひび割れが全体を覆ってゆく。
何かが生まれようとしていた。
『逃げろ!!』
ひび割れを血の気の失せた巨大な腕が突き破った。何故とか、どうしてとか、そんな悠長な問いを発している猶予はない。
一心不乱の脱兎、私達は全力で駆け出していた。
「なになになにっ、何なんだよあれ!?」
『待ってろ、すぐにっ・・・』
ぶつりと宝井の声が途切れる。
シグの言葉はそのまま私達全員の思いだったと思う。浅い付き合いでロマンチックの欠片もない関係だが確信があった。
オ゛ッ、オ゛ッ、オ゛ッ、オ゛ッ・・・、
「あああああっ!」
叫びながら走った。あっという間に息が切れて咳き込んで、垂れた涎も拭う間もなく、可憐とは程遠い有様で、ただ、走った。
ずしりとした震動を感じて振り返ってしまった。
卵殻を掻き分けてあらわれたそれは、手脚が奇妙なまでに細っそりと長く虫のようだった。それでいて爬虫類のような尾まであって、頭はつるりとした鎌首に剥き出しの歯茎が並んでいた。
目は退化しているのか見当たらず、鼻は利くのだろう。忙しなく嗅ぐような仕草を繰り返して首を振り、そして止まる。
私を見ていた。
「ッ・・・」
「止まるな!」
地面に手をついて四足歩行で歩み始め、それが次第に歩幅は変わらないまま、地響きを鳴らす間隔を狭めてゆく。
そしてその地響きはどんどん近づいていた。
特別な何かになりたかった。お姫様なんて、女の子が真っ先に憧れる存在の一つだ。そして今まさに理想の形そのものになったとしても、その特別を傷つける事にあの怪物は何ら躊躇いを示さないだろう。
理想と現実、その理想が現実と化しても尚、さらなる現実が横たわる。
死にたくなかった。でも、私の理想はどうしようもないくらい無力だった。
「先に行け!」
ステアーが立ち止まる。振り返って正気とは思えない光景に向かってボクシングみたいなファイティングポーズ、正気とは思えない行動を取った。
「ちょっと、何を!?」
「なら、俺もかな」
シグがそう言ってステアーの隣に並ぶ。
死にたくなかった。でも、彼らに背を向けるのもどうしようもなく、怖かった。
それこそ、死んだ方がマシなくらいに。
「な、なら、私も!」
「ダメだ!」
「相応しい役割ってあるんだよね」
その拒絶は、きっと優しさなのだろうが、でも、ショックだった。
傷ついた。仲間だと思っていたのに。
でも、だからこそ、
「お前が死んだら助けたのが無駄になる」
「俺達の記念すべき第一歩だからね」
「それに、俺達だって死ぬつもりはない」
そう言って空に手を伸ばした。
「来い!これが俺の理想とする姿なら出来るはずだ!足りない!ブルースカッドの、魂とも言える剣が!!」
天から光が落ち、ステアーの指先で長大な、恐らくはライフルを模った。
「タクティカル・サモン!ビヨンド・アブソルーション!!」
光が収束し、掴み取った白銀の装甲を持つそれを前に向け、発砲。轟音と共に赤黒い雷が白亜の怪物に落ちる。
「シグ、お前もやれ!」
「おう!」
同じように二丁拳銃を顕現させ、驟雨のごとく光の銃弾をばら撒き始める。怪物はそれを煩わしそうに振り払おうとしていた。
「行くぞ!」
二人は駆け出して行った。狙いは明白、注意を引くためだ。
何のために?
そんなの決まってる。
私を逃すためだ。
中途半端に手を伸ばす私の中にあったのは、さながらプリンセスの如く特別扱いをしてもらった後ろめたさでも、あるいは充足感でもなかった。
寂寥感。ああ、そうかと何かが腑に落ちる。ヒーローがいつだって先頭切って皆んなの為に戦うのはこんな気持ちが、きっと嫌だからなんだと。
待って。そう思って手を伸ばした。シルクのグローブに包まれていた指先がじりっと火花を散らした。火花は枯葉に燃え広がるように腕を、肩を、全身を覆ってゆく。
弟の顔を思い出した。
『だって、ブレイズの方が強えじゃん!』
腰におもちゃのベルト巻いて、自慢げに胸をはる孝也。ディズニーのどんなプリンセスより、そりゃ確かに強いだろうが、でも、そういう問題じゃないんだよ、
女の子の憧れは。でも、そう、だよなあ・・・、
火花に包まれた拳を握る。ぎちりと力強い感触を返した。
前へ、転がるように駆け出した。転ぶ一歩手前で出した足は根が張ったように支え、さらなる一歩が身体を前に押し出した。
前に、前に、前に、もっと前に、追いかける二人の背中が点描のように左右に溶けてゆく。急速に広がりゆく白亜の怪物、見上げるようなそれの顎先が、ゆったりと下へ、私を・・・、
声が、降ってきた。誰とも知れない声が祝詞を上げる。
終焉に残る一筋の光、受け継がれし残光こそ滅びぬ誓い、
跳躍しつつ形づくる飛び蹴りのつま先は見た事のない、見覚えのあるごついブーツに包まれていた。
超、必殺・・・、
「ブレイズ・フレアアアアアアアッ!!」
比喩表現抜きに炎すら纏った雷になって怪物の鳩尾に吸い込まれる飛び蹴り、超重量の反発力を利用して宙返りしながら着地したが、芯まで届いた確かな手応え。
「やったか!」とステアーが油断なく銃を突きつける。
「美味しいところ持ってかれちゃったな、それブレイズ?にしてはちょっと違うような」
「・・・どうやら、見せ場はまだ残されてそうだぞ」
怪物は鳩尾を押さえていた怪物は苛立つように唸った。
ドグンッ、ドグンッと心臓が鼓動を打ち鳴らしていた。人とは思えない力で放った人とは思えない一撃、効いてないという風でもなかったが、しかし、倒れるには程遠く見えた。
そうか、ヒーローになっても、戦うのって怖いんだ。
オオオオオオオオオッ・・・、
魂すら揺るがさん程の咆哮、ドグンッ、ドグンッ、自分のものとは思えない鼓動が身体が支配する。ステアーとシグが雄叫びを上げて駆け出した。きっと、勇気などではない。そうしないと立ち向かう自分を保てない程の強大さだった。
物理的な圧迫感すら錯覚する恐怖、ドグンッ、ドグンッ、しかし、二人のその背にかえって冷静になった私の心臓、鼓膜は確かに律動を刻む何かを近くした。
まるで足音のように、いや、
『待たせたな!』
それは確かに足音だった。私達を跨いで駆けた何かが勢いよく怪物の腰に取りついて上体を浮かせる。タタラを踏んで抵抗する怪物を引っこ抜いて強引に押し倒した。
それは人のように思えた。細っそりとしながらも力強く敏捷そうな人の形、全身を覆う白銀の装甲は騎士のようで、右腕だけが赤く、かつ悪魔のそれのように鉤爪になっていた。
ィィィィン・・・、
甲高い、徐々に回転を上げるエンジン音のような音が聞こえた。
『弾けろ出来損ない!』
馬乗りになって赤い拳を打ちつける。そう強い力ではなかった。しかし、白亜の怪物はびくりと痙攣すると、戦慄くように手足を四方に伸ばした。
湯気が、空気が揺らいでいるような気がした。
胴体からぶくぶくと急速に、まるで沸騰した水のように体積を増やしてゆき、やがて臨界点に達すると爆ぜてその全てを撒き散らした。
その光景に、ああ、知らなかったなって思った。
何がって、それは特撮ではありふれた怪人の爆散エンドは、それが体内の水分を一気に蒸発させるような高音でもない限り、内臓のミンチを辺りに撒き散らすという事に他ならないからだ。
どろどろの青白い粘液を浴びながら、今日一番、全身を覆うライダースーツに感謝しながら、ほとんど跡形のなくなった怪物の残骸をただ眺めていた。
※※※
「パーキング寄るけど、何か買ってくるか?」
ハンドルを握る宝井の言葉に返事は返ってこなかった。私も後部座席のサイドガラスに頭を預けたまま、呻き声ひとつ漏らす事ができなかった。
しばらく経って助手席のステアーが「何か食べるもの」と返す。
頑なに運転席を譲ろうとしなかったというのに、気にしてる余裕もないという事か。
殺風景なあの街で、白亜の化け物のミンチを浴びていた私達は気が付けば真夜中の山中に立ち尽くしていた。
「とにかく、今日は助かった。毎週毎週すまんかったな」
「仕事だからな・・・しかし、そんな事より、さっきのは・・・」
「話しても良いが、結構込みいった話になるぞ?頭入るか?」
「・・・・・今度にするか」
二人の話し声が車体を撫でる風に紛れて掠れた。窓の外に覗く高速道路の対向車線は、向かい合う速度差からどろどろに溶けた光の縞模様になって私の目に写った。
あの全身を漲るような力の躍動感、怪物に向かいながら左右に流れてゆく景色を思い出す。
「・・・・・」
腹の肉を摘む。近頃は痩せつつあるが、しかし、まだまだ、先行きは遠そうな腹の脂肪を前にぼんやりと、ダイエット頑張ろうと心に誓い、
そしてそのまま、意識を手放した。
読んでいただきありがとうございます。
次回は5/2(土)20時更新予定です。




