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その女、お嬢様にして仮面のヒーロー 〜弟を奪われた少女は、お嬢様の仮面で怪物を殴る〜  作者: H.B.Archives


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第20話 [2023/3/21 XX:XX][二年前5]

 仄暗い水の底から、空を眺めている気がした。揺れる水面に光が散って、ボヤけた視界を僅かに照らした。


 苦しかった。


 ただただ、今の苦しさから逃れたくてもがいた。

 

「大丈夫、大丈夫だから、そろそろ勘弁してくれよ」


 うんざりしたような声で誰かが私の肩を押さえていた。


「・・・あなた・・・ここは・・・」


 ガンメタルの人影が、顔はヘルメットで覆われていて分からなかったが、やれやれと肩をすくめる。


 私はアスファルトの上に寝転がっていた。伽藍としているのは相変わらずだったが、すぐそこに二又に別れた高層ビルがあった。


 これは確か、実物を見るのは初めてだったが、


「新宿だよ」


 都庁ビルだった。


「この辺りはクリーナーが少ないから良かったけど、本当に参ったよ」

「あの、何が・・・」

「心神喪失状態って言うの?全然会話にならなくてさ、定期的に発作みたいに暴れるし、ここまで連れてくるのも結構苦労したんだよ」


 心神喪失・・・、


 ・・・・・?


 寒い・・・苦しくて、息を吸い込んでも、吸い込んでも、その苦しさは治らなかった。


「大丈夫、大丈夫だからな・・・ったく、何があったんだ」


 話そうとする私に「今は良いから」と背をさすった。


「しかし、困ったな・・・あ・・・」


 声に釣られて視線を上げた。路肩に停められた車の影から小さな女の子がこちらを覗いていた。


「ああ、もう、しまったな・・・こっちおいで」


 ててて、と走ってくる。


「ああ、そんな急ぐと・・・あ・・・」


 べたっと転んだ。


「ああ、だから言わんこっちゃない」


 駆け寄って助け起こすと、そのまま抱っこしてしまう。

 

「あの、その子は?」

「うん?・・・ああ、まあ、娘みたいなものかな」


 宝井の乗っ取りの被害者か、


「少しは落ち着いたみたいだね」


 答えを返す前に遠くの空から『ボオオオオオ』と低い汽笛みたいな音が響いた。


「ああ・・・そろそろか・・・」

「何が・・・」

「クリーナー、少ないとは言っても巡回しにくる奴はいるから」


 どうしたら、いや、逃げないと、でも、今までみたいに現実世界に逃げても、そもそも私はまだ生きているのか?


 怖い痛い苦しい怖い、戻るのも確かめるのも、


 また、身体が震えてくる。


「とりあえず、ついておいで」


 手招きして駆けてゆくシグの後を追った。何も変わっていなかった。結局、私は誰かの後をおっかなびっくり追いかけている。


 向かった先は地下だった。地下鉄、都営大江戸線のホームは非常灯が薄ぼんやりと照らすくらいで何も見えなかった。


「ようこそ、我が家へ」


 ホームにはテントに焚き火台とキャンプ用品が広げられていて、生活の痕跡が見てとれた。


「ご飯にしようか」


 焚き火の灯りを囲んでサバの缶詰を突いた。消費期限が二年くらい過ぎていたが、この手の缶詰は十年くらいは過ぎても大丈夫なように作られているらしい。


 売れはしないが役には立つ。このサバ缶も庁舎に防災備蓄として大量に保管されていた物だそうだ。


 食事中も、食べ終えてしばらく経ってからも会話はなかった。


「さて、話を聞こうか」

 

 あの女の子はテントの中で毛布に包まっていた。


 言葉を探した。今はもう、恐怖も、理不尽に対する怒りも過ぎ去っていて、私の中にあるのは呆然と火を眺める疲労感だけだった。


「・・・ドジを踏んだだけですよ」

「まあ、話したくないなら良いけどね」


 何も、見つからなかった。


 私に、何が残っているだろう。父を失い、母も、薄情に思えるかも知れないが、あれは失ったようなものだろう。


 家も、もう私にとっては温かいものではなくなってしまった。だから弟を、孝也を連れ出して、結局、私は失ったものを取り返すのに躍起になって、それに弟を付き合わせてしまっただけなのかも知れない。


 孝也・・・、


 焚き火を見つめた。穏やかな時間が流れているような気がした。少なくともシグと、あの名前も知らない女の子の間には、


 孝也がここに居たのなら、きっと私も、こんな終末みたいな世界で、それが残酷で自分勝手な思いだとは分かっていたが・・・、


 ・・・?


 何か違和感を感じた。


 何かを捉えかけたような気がした。


「あの」


 捉えかけたものの正体が分からないまま、居ても立っても居られず話しかけるが、シグは反応を示さなかった。


 寝てしまったのだろうか?


「あの・・・あ・・・」


 焚き火の火が揺らいでいなかった。


 凪いだ空気の中で、カツン、カツンと足音が聞こえた。その足音は徐々に近づいて、やがて揺らがない焚き火に照らされその姿を晒した。


「ご機嫌よう、ルサールカ」


 白い男が柔和な微笑みを浮かべていた。


「ようやくエコーラインが成立した」


 機械仕掛けの棺桶が並ぶ広大な空間、バイオプリンター、そして渡されたコインの記憶、白い男が軽く腰を折り、手を差し出した。


「これが作法なのだろう?」

「え?」

「そう教わったのだがな、まあ良い」


 手を掴まれると、ふわりと浮遊感が身を包み、同時に掴まれた腕が残像のようにぶれた。爪先が地面から離れ、身体が完全に宙に浮かぶと、下には腕を掴まれた姿勢のまま固まる私が見えた。


 どんどんと高度を上げてゆく。


 ホームの天井に亀裂が入り、クレバスのように大きく割れた。空が見えた。止まった世界を、シグ達を置いて、地下を抜けて空へ、


 まるでフランダースの犬だ。


 どんどん地上が遠くなってゆく。ビルの林を抜けて空へ、そしてすぐ近くをあの腹の透けた鯨が通り過ぎてゆく。


「あれは魂の焼却炉、口さがない下の住人はクリーナーなどと風情のない呼び方をしているらしいが、天使みたいなものだ」


 空が近くなってゆく。どこまでも広がっていると思っていた空は、しかし、クリーナーを見下ろす高さから仰ぎ見ると静かな湖面がなだらかに広がっていた。


 どんどん湖面が迫ってくる。


「あ、ちょっと」

「すぐに終わる」


 どぷん、と水に浸かる。思いっきり息を吸い込んで構えたが、男の言う通りそれはすぐに終わった。


 浮遊感が消えた。


 また水の中に、そう思って重力を感じながら手足をばたつかせるが、湖面は床になって落ちるのを阻み、つまるところ私は転んだのだ。


「ってて・・・」


 何もない空間だった。空があるのかも分からない、ただ白い空間、光もなく、でも不思議と見渡せる、ただ白いだけの空間。


 男が歩き始める。隠れてないのに色味に隠れて見失ってしまいそうだった。


 人をかたどる薄い影を追って歩く。


 濡れたはずの服は乾いていた。


 男が一歩進むにつれ、空を阻むガラスの床が曇り、徐々にカツン、カツンと硬質な音を返してゆく。


「ここは楽園なんだ。ナノハザードによってリアル文明の崩壊を経験した人類は地上と肉体を捨て、量子の揺らぎの中で暮らすようになった」


 私達が歩いているのは巨大な装置の上みたいだった。等間隔にガラスの棺が並んでいた。そのうち一つの前に止まり、天面を指先で撫でる。棺の中には六角形の鏡みたいなコインが宙に浮いていて、くるくると回り続けていた。


 左右から挟み込むように針が近づいてゆく。


「彼らは記憶の保全がある限り、それを殺人とは認めない」


 何かが繋がったような気がした。


 ここは・・・、


 記憶をなぞるように「彼ら?」と問い返す。


「セルメタルは思考する地形を想像し、人意識の集合思考層を接続する。だから肉の身体は枝葉の一つ、通過点に過ぎないというのが彼らの捉え方なんだ」


 頷く男の言葉はやはり雲を掴むような話で捉え所がなかった。棺の中に形成されてゆく人の形の方が余程分かりやすくて、だから「来たまえ」と男が背を向けるまで、言葉を聞き逃している事に気がつかなかった。


「さて、そろそろ返事が欲しいな」

「返事?」

「言っただろう?取引には契約が必要だ」


 何の話だ?戸惑う私に「まあ良い」と何かを差し出した。


「受け取れ、契約の有無は関係ない」

 

 六角形の薄く虹色に輝くコインだった。


「これは・・・」

「セルメタルのコインだとも。残り少ない貴重な品だが、これから必要になる」


 ・・・これからって、今さら・・・、


 こんな幽霊みたいな状態で今さら何を、現実の私は命を落としているはずだ。


 小さく耳鳴りがした。きぃんと耳奥に響いて、それがどんどん大きくなってゆく。


「時間のようだな」

「っ・・・何が・・・」

「本体が目を覚ますのだろうさ」


 目を、もしかして、私はまだ死んでないのか、


「い、嫌だ・・・」

「それではまた、いずれ」


 視野が狭まり遠くなってゆく。暗く、見えてるようで見えていない、意識すらもぼやけ、解けてゆく。


 笑い声が聞こえた。


 つまらないコメディに合わせた愛想笑い、やる気のないスネアドラムみたいなそれは徐々にテンポを上げてゆく。


 あっはっはっは、はっはっはっはっは・・・、


 万雷をもって薄ぼんやりと幕の上がった意識の中で、狂ったような笑い声が聞こえた。


「あははははっ!!ひっひっひ、はあっはっはっはっはっ!!」

「良いぞ、段々と愉快になってきただろう」


 笑っているのは私だった。


 あの、うろみたいな瞳が私を覗いていた。


 何で笑っているのか分からない。何がおかしいのか分からない。でも、可笑しくって、冒しくって侵しくって犯しくって、お菓子食って、あはははあは、


 あははあは、あははははははは、ひっひっひっひ、ふふ、ひゃはあははは・・・、


 男は悪戯が成功した子供のように静かに笑いながら、空の注射器をバスタブに捨てた。笑いながら、ああ、薬かと、どこか冷静に精神と乖離してゆく肉体の反応を観察していた。


 最初、私は拷問が性的なものだったらどうしようと思っていた。覚悟はあったが、性行為の経験がなかったから、自分の身体がどういう風に反応するか分からなかったからだ。


 でも、多分、こういう感じか、


 犯されてた方がマシだったかも知れない。


「さて、そろそろ本当のお楽しみタイムと行こうか」


 なんだ、ようやく犯す気にでもなったか、でも、苦痛にしろ快楽にしろ今と違うそれならそれでも構わなかった。楽しみですらあったが、男はさっきと同じようにラップトップの画面を見せながら、動画を再生し始めた。


 またそれかと、少しがっかりすらしていた。


読んでいただきありがとうございます。

次回は5/12(火)21時更新予定です。

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