第19話 [2023/3/21 16:13][かすみ野国際駅前][二年前4]
水が滴る音がした。たんっ、たんっと床に落ちた水滴が床を鳴らして、こもった反響音になって鼓膜を揺らす。それが耳鳴りじゃないとすぐにはわからなかった。
椅子に座っていた。項垂れていて、倒れ掛かるのを後ろに回された両手が支えていた。
「ぼぉっとするだろう?」
シャワーヘッドを私に向ける影がそう言っていた。人影には違いないが、しかし、やはり影としか言いようのない人影、あの男だった。
バスタブには空の注射器が置かれていた。
・・・・・・・、
・・・ああ、
同意とも感嘆ともつかない声を漏らす。声だけじゃなくて鼻水に涎も、顔だけじゃなくて全身が濡れていた。
何も服を着ていなかった。
「誤解されがちな事実として、大抵の場合、尋問や拷問は情報が本当の目的じゃないんだ」
私は捕まっていて、恐らく拷問を受けている。はっきりしないのは・・・打たれた薬のせいか・・・、
薬薬薬・・・何の?
「情報とは信頼の上に成り立つ。手荒に扱った相手から誠意のある言葉が返ってくるなんて思えないだろう?」
男の言葉はまるで教師のように分かりやすかった。呑気な頭が手荒に扱われている本人である事を忘れ、なるほどと納得を反芻する。
男が私の頬に拳を打ちおろした。
機械的に、感情を込めず、だから然程強いとは言えない力だったが、しかし、殴られているとは認識できる強さで何度も、何度も何度も何度も拳を打ちつけてきた。
「だから、これはそう、手順さ」
そう言って風呂場の外からラップトップを引っ張り出して、画面を開いて見せた。
ここではないどこかの光景が映し出されていた。
※※※
[2023/3/21 16:13][XX XX]
裏路地ファイル編集部
現場ルポ担当 久瀬 涼介
五年くらい前、その名刺を見た瞬間の俺は、多分、何というか、何とも言えない表情をしていたのだと思う。
「・・・安直過ぎじゃないですか?」
「これくらいで良いんだよ」
デスクの向こうで膝を組んだ男は気のない様子でそう言って返していた。見るからに仕立ての良いスーツ、この男も一応は副編集長だったはずだが、とてもアングラ系雑誌の編集者のようには思えなかったからだ。
「微妙なちょいずらしの方が、呼ばれた時にミスりにくい」
「そんなものですかね」
「あと、行く前に格好、それらしくしろよ?」
「格好?」
スーツの襟を摘んで持ち上げた。
「警察官丸出しだろ、アングラ雑誌に記者らしく、ガラ悪くしとけよって話」
大学卒業後、警察官になった俺は幾つかの交番を経て強行犯係の刑事になった。殺人事件の犯人を追い回している内に、気がつけば制服や手帳を手放してアウトローのけつを追う『部署』に飛ばされていた。
世の中は冗談みたいな脅威が闇に潜んでいる。
俺は宇宙人、と思われる何者かを追っていた。年単位で追っていた複数人の全て、中身が同一人物であることを突き止めた頃には一緒に追っていた『出向組』の先輩は港で水死体で見つかっていた。
仇を取ってやらなくちゃ、でも、手が出せなかった。
情報もまるで足りてない。そんな頃にあの子と、父親を殺された少女、白石桜とは出会ったのだ。
『ダメです。県警に問い合わせましたが、オービスにも引っかかってません』
「そうか」
簡易の指揮所となったワンボックスで、PHSに短く返した。車内は出払っていて俺しかいない。
「他のチームに応援を頼むしかないか」
『もう問い合わせました。どこも似たような状況です』
失踪が相次いでいるという事か、
一斉に姿を消したなら逃亡の線が濃厚だが、あいつが、白石桜が逃げるか?弟を置いて、宇宙人と手を組む?
あり得ないとは言わないが、そんな器用に振る舞えるやつじゃなかった。
なら、拉致、攻撃を受けている?
「・・・タイミングは?」
言葉が返ってこなかった。
「おい、どうした、返事しろ!」
通話が切れる。すぐにかけ直すが繋がらない。
無機質な自動音声が不通を告げる。
「くそっ!」
攻撃だ。間違いない。
この街に潜入した仲間達は情報漏洩を恐れて最低限しか連絡を取り合っていないが、それでも車両や配置、背格好から見る者が見ればわかるだろう。
こんなハイペースに手際良く、裏切り者が居ないと絶対に不可能だ。本部に一度連絡を・・・いや、本部に裏切り者がいたら・・・、
「くそ、どうするのが正解だ?」
・・・あいつは無事なのか?
ワンボックスを出て足早にその場を離れる。車両の情報が漏れている可能性もある。早く離れて・・・逃げるのか?
この街は、かすみの国際駅の周辺は人を人と思わない宇宙人どもの楽園になっている。弟を連れて離れたい、その願いを俺は助けたつもりでいた。同じ組織の仲間となり、先輩として導いているつもりですらいたが、しかし、本当にそうか?
自分じゃない誰かのふりをしないと正気を保てなくなってしまったあいつに、俺は、
「あの、少し良いですか?」
俺は、振り返ってしまった。
つば広の帽子から簾のような髪を溢す影の男、そのカラスみたいな瞳が俺を覗き込んでいた。
※※※
鼓膜を震わせる感触がした。地響きみたいな、何の音かわからない低い音、エンジン音か何かかとも思ったが、それにしてはか細く繊細な音だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ・・・」
誰かが、叫んでいた。
「良いぞ良いぞ、責め苛むのは自分自身であるべきだ」
私だった。
男は笑っているようだった。口角を持ち上げて、白い歯の並ぶ歯茎を晒してもなお、それが笑顔だとは思えなかった。
ラップトップには誰かが映し出されていた。煙草を吸う男、バイクに跨がる女、ベンチに座る老人、次々と入れ替わっていって意図が分からなかった。
でも、すぐに分かった。切り替わってゆく映像の何人かには見覚えがあったからだ。見知った誰かであると、表情の強張りや視線の囚われ方で知らせてしまうと、視界の両脇から腕が伸びて、彼ら彼女らの首を絞めたり、ナイフを刺したりしていった。
君が悪いんだぞ?君が、ニヤついた笑みを浮かべていた。
目を瞑って、殴られても頑なに目を逸らしても、男はおっといけないと呟いて、思わず目を開けると血みどろ母親に子供が縋りついていた。
間違えてしまったな、でも、違うならそう言ってくれないと、関係ない人が巻き込まれるのは嫌だろう?
君が悪いんだぞ、君が殺したんだ。
さあ、ちゃんと見て教えておくれ、関係ない人達の命を救うんだ。
私は見た。それ以外にどうしたら良いかわからなかった。映像に頷いたり、あるいは首を横に振ったりもしていた。他にどうしたら良いか分からなかった。
やがて、最後の一人だと言って見せた男は見知った、ここ数年の相棒とも言える男だった。
「やめて・・・」
振り返った久瀬の首を掴む。
「ッ・・・んだ、お前はっ」
答えず、摘んだコインを近づけてゆく。六角形の、どこかで見たあのコイン、久瀬はそのコインを恐れて払いのけようとしていた。
『コア・ポゼッション』
額につけて男がそう言うと、コインはずるりと飲み込まれてゆく。まるで自販機に入れるみたいに、久瀬の身体が電撃を受けたかのように震え始める。
「書き込まれた記憶となる時、人は人道を踏破する権利人となるのさ」
やがて、震えがぴたりと収まった。
・・・ああ、
『ようこそ、私』
『インスタンス・オーバーライト・・・ありがとう、私』
久瀬はぐるりと眼球を動かして、あのカラスみたいな瞳を私に向けた。
・・・・・ああ、
ぐらりと焦点がボヤけ、視界が眩み始める。
寒かった。項垂れていて、倒れ掛かるのを後ろに回された両手が支える。震えが止まらなかった。
光と音が遠くなってゆく。
「おい、待て待て、まだ死ぬな」
死ぬのか、私は・・・、
でも、不思議と怖さは感じなかった。それこそ投与された薬のせいかも知れないけれど、でも、感じていたのは走馬灯のような安らぎでも、あるいは命を奪われる恐怖でもなかった。
怒り、ただ怒りだけがあった。
お前の思い通りになるくらいなら、それこそ死んだ方がマシだ。
「お楽しみはこれからだと言うのに、頑張れ」
ふざけるな、ざまぁ見ろ、そう思って重たい瞼に閉ざされながら男を睨んで、そして意識を手放した。
読んでいただきありがとうございます。
次回は5/11(月)21時更新予定です。




