第15話 [2020:12:25 11-49][四年前3]
[2020/12/25 11:49]
弟の孝也が通う小学校は住宅街と林の狭間にあった。林は山に連なっていて、たまに熊が出るらしい。
私は林の中で耳を澄ませていた。
『だってそれじゃあさ』『後でドッジやろうぜ』『悪い、親に早く帰って来いって言われてんだわ』
『白石は?うちでスプラやんね?』
問われたであろう少年は『うーん』と悩んで、
『やめとくわ、姉ちゃん気になるし』
『・・・あー、入院してんだっけ?』
『とっくに退院済み、マジでメスゴリラだよ、あの人』
通り魔、逆に追っかけ回したんだっけ?
やべえな、何もんだよ、お前の姉ちゃん、
『・・・ほんと、何を目指してるんだか』
ヒーローだよ、正義のヒーロー、私はヒーローを目指している。
イヤホンから聴こえるノイズまみれの音を聞きながら、睨んでいて受信機から目を放す。双眼鏡で覗く学校は冬休みの間際にあって、どこか浮かれた子供達の様子を写していた。
今日は終業式だった。
子供達が体育館に移動し始める。ぞろぞろと渡り廊下を歩く子供達の中に、ここ数日、監視を続けていた”対象”を見つける。高木賢治。十一歳。脳挫傷で病院で死体検案書まで書かれていた少年は、クラスメイト達と笑い合いながら体育館の鉄扉の中に消える。
とても、瀕死の重傷を追ったばかりのようには見えなかった。
仕掛けるべきか?ここ数日の悩みがまさにそれだった。もし、中身が本当に奇跡を復活を遂げた高木少年そのものだったら、無実の子供を傷つける事になる。
しかし、そんなもの、些細な事だった。
問題は、倒し切れるのかという事だった。中身が宝井ならば、例のロボットを繰り出してこないとも限らない。弟の傍に人の皮を被った化け物がいると考えると身の毛もよだつが、しかし、一方で宝井ならば理性もある。
自身の存在が露見するリスクは犯さないだろう。
だが、本当にそうか?
考えても考えても、答えは出なかった。
「何が正解だろう、何が」
ここのところ口癖になっていた言葉を口走る。ずっとずっと頭の中で弾き続けていた算盤に答えるように、耳のイヤホンからノイズが走る。なんだ、今日は妙にざらつくな、
「・・・・・あれは、何んだ?」
異変、何かの兆候かも知れない。そう思って目をさらにして学校を見渡すと、教職員用の玄関口に駆け込んでゆく男の姿が見えた。他にも遠目に校庭を囲むように停まる車から人が降りて、校舎に向かって駆けてゆく。
・・・何が年明け数日は、だ。
どうする?動くべきか?同士討ちは避けたいが、そこまで考えてくすりと笑う。
私は彼らの同士じゃない。それを拒絶されたんだ。
ならば、何を遠慮する事があろうか。はやる気持ちを抑えながら駆けて、見つからないように校舎に近づく。給食の調理室の裏手、今日は半ドンだから誰もいなかった。扉はもちろん、窓もしっかり鍵がかかってる。
迷っている内に空気が変わったような気がした。その空気の澱み方には覚えがあった。あの魚怪人、あれがあらわれた時と同じだ。
迷っている暇はない。窓ガラスを叩き割って調理場に入る。そのまま奥に、顔をマスクで隠しながら教室のある方を目指した。
人気のない長い廊下の端に倒れている人影を見つけた。駆け寄りかけて、もしかしたら罠かも知れないと思い直して、少し様子を見守る。
息があった。溺れるように床の上でもがいていた。
慎重に近づいてゆく。その男は顔を真っ赤にして苦しげに何かを吐き出そうとしていた。
「大丈夫・・・っ」
口の端に透明なものがはみ出ているのを見つけた。壺に入り込む蛸のようにずるずると入り込んでゆくそれを掴んだ。びくん、掴まれたそれはビチビチと跳ねて中に逃げ込もうとする。
「おごご、おおおっ」
苦しむ男は邪魔するように私の手を掴んだ。思わずかっとなって男の顔面を殴る。助けてやってんだろうが、こんなもん、絶対に飲み込んだらヤバいだろ。
引き摺り出したそれを床に叩きつける。それは、人一人の口の中に入っていたとは思えないほどの大きさで、透明なものの、まるで蛸のようにうねうねと触手を動かして這い逃げようとしていた。
グロテスクなスライムの中に赤く光る球体を見つけた。
「っ・・・ら゛っ」
思いっきり振りかぶって床に透明な蛸を叩きつける。何度も何度も、何度も何度も何度も、叩きつけて、リノリウムの床が乾いた音を鳴らすのを聞いた。
やがてぐったりと動かなくなったそれの内部から赤い球体を引きちぎって抜くと、蛸は急速に干からびて動かなくなった。
赤い球体も急速に色を失い灰のようになって崩れて消えた。
咳き込む男を抱き起こす。
「す、すまん、助かっ・・・え゛ほっ」
「何があったんですか?」
「数が、多いっ、アイツら、待ってやがったんだ!」
床に転がっていたリボルバー拳銃を拾った。
「借りてきますよ」
「あんた、誰だ?一体・・・」
答えず駆け出して怒鳴り声を上げた。
「私はここに居るぞ!ここに、居るんだ!」
人がぽつり、ぽつりと倒れていた。みんな、倒れながらも目を見開いで、どこか望洋とした瞳を虚空に向けていた。
どこだ、どこに居る・・・、
子供達が体育館から戻ってきた。身を隠そうとしたが、倒れる男達をさして気にした様子もなく、横を通り過ぎてゆく。
「あ・・・」
孝也が隣を通ってゆく。どこかぼんやりした、夢を見るような目で、呼びかける間際に咄嗟にガードを上げる。
カンっと硬い音が響いて衝撃を感じた。
カチ、カチカチカチカチ・・・、
廊下の宙にあの魚怪人が浮いて、ぬらりと光る鱗を晒していた。存在を主張するように鳴らされる歯の根、しかし、子供達はフラフラと操り人形のように教室に戻ってゆく。
キーンと頭が痛んだ。どくどくと慌ただしく鼓動が鳴り響き、怖気とも呼ぶべき何かがひたひたと全身を満たしてゆくのが分かった。
みんな、これでやられたのか、
叫び出したい恐怖に襲われながらも、私は心の中で久我に笑った。ほら見ろ、命に手をかけられた感覚を前に平気でいられる人間なんているはずないんだ。
「今日は素っ裸かよ、半魚人」
銃を向けた。撃った事なんてないけれど、撃鉄を上げて引き金を引く事くらい知っている。
初めて引いた引き金は思いのほか軽かった。花火なんて目じゃないくらい弾けた煙の中で、金属が打ち付けられる音が僅かに響いて、鉛玉を土手っ腹に食らった魚怪人は、歪な顔を不思議そうに歪めてぼたぼたと透明の液体をこぼす自らの腹を見る。
ドボドボと落ちるそれを止めようと腹を抑えて、そして床に広がるそれを残った液体に手をやるが、鎌の鰭はパレットナイフみたいに均して広げただけだった。
「死ね!」
魚怪人の腹をサッカーボールみたいに蹴り上げる。萎んでいたせいもあってか跳ねて転がり、追いかけた勢いのままに踏みつけた。滑って危うく転びかけるが、そのまま何度も何度も蹴りおろした。
動きがどんどん鈍くなってゆく。液体を噴き出す小さな銃痕を見つけ、両手の指を無理やり差し込む。抵抗が激しくなるのを身体ごと持ち上げて、何度も床に叩きつけて大人しくさせる。
「あああああああああっ!!」
渾身の力で魚怪人の皮を引き裂いた。残った液体がどぼりと溢れて、赤く光るあの球体が転がった。ファンタジーゲームのモンスターみたいに液体を伴って逃げようとする赤い球体を踏みつける。
が、力加減が弱かったのか、転んでしまった。
思いの外素早い魚怪人の中身、スライムがずるりずるりと逃げてゆく。
「くそ」
逃してたまるか、そう思って伸ばした手には銃が握られていた。
「・・・・・」
銃なんてさっき撃ったのが初めてなのに、それでも向けた銃口がはっきりとそれを捉えているのが分かった。
気がついたらもう、引き金を引いていた。粘度の高い液体の中で赤い球体が揺らいで、私はそれによろよろと立ち上がりなが近づいて足を踏み下ろした。
「死ねよ、ボケカスがぁ」
同じように灰になってゆくそれを、私と同じように見ている気配があった。子供、男の子だ。魚怪人を倒して催眠状態が解けたのか、
随分と物騒な、ガラの悪い言葉を聞かれてしまった気がする。
「あ、ぶないから、あ・・・」
廊下はもう疎らになっていた。子供がぽつりと、こっちを見て立ち尽くす。
件の高木賢治だった。空虚な、まるで子供のものとは思えない瞳、
「伏せろ!!」
身体を床に投げ出した瞬間ほど、全身にプロテクターを仕込んでおいて良かったと感じたことはない。抑制されたガス圧が立て続けに響き、遅れて高木賢治が着弾の衝撃で踊るような動きを見せた。
蜂の巣にされたと思えば倒れ伏して血の水溜りを作るところだったろうが、ふらりと下がっただけで、すぐにが腕を前に掲げて盾にして見せた。
「やっぱ貴方なんですか、宝井さん!」
高木賢治がギロリと私を睨んだ。
何か言葉を発しようとしていたが、しかし、一際大きな銃声が鳴り響いて高木賢治の頭部が吹き飛ぶ。中からあの、白銀のグレイ型宇宙人の顔があらわれる。
「露出確認!」
「突っ込むぞ!」
透明のポリカーボネートの盾を前面に押し出した男達が宝井を囲んで、引き倒してコードのついた槍を頭部に突き立てた。血潮の代わりに水みたいな液体を垂れ流しながら、アーモンドの形をした瞳を限界まで見開いて私を見ていた。
「お、れは・・・っ」
「良いぞ!やれ!!」
宝井の頭部、その内側が光った。焼け焦げる臭いが広がって、煙を立ち昇らせる。身の内側から焼かれるなんて、苦しみを超える苦しみだろう。しかし、宝井は顔を一瞬だけ歪めるとそのまま笑った。
「あっはっはっは、ひゃっはっはっは、あっはっはっはっは!」
やがて昇る煙はドライアイスみたいなそれに変わって、その表皮に霜をつけ始めた。
凍ってもなお、笑い声はしばらく続いていたが、それも徐々に緩慢になって止んだ。
「お前、無茶するな」
手を差し出す男、久我だった。助け起こされ、それでもふらついて足が震えた。
今さらになって心臓が暴れ狂っているのに気づいた。荒い息の合間に言葉を紡ぎながら、久我の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「これで、足手纏いとは言わせませんよ、あんたらの仲間だって助けてやったんだ」
「お前、今そんなこと」
誤魔化すなよ、
「おい、どうした、揉め事か?」
割って入るスキーにでも出かけそうな男、思わずといった調子で敬礼しかける久我の手を叩いて落とす。
「あなたが隊長ですか?」
「そうだが、君は?」
「私を・・・」
笑い声が聞こえた。凍りついた宝井の、僅かにできた影が不自然に膨れた。
「勝手に持って行かれては困るな。それは本来、私達の物だ」
膨れた影からつば広の帽子、緞帳みたいなコートが宝井に覆い被さりすっぽり隠した。
久我達はポリカーボネートの盾を掲げ、私も誰かが取り落としたものを拾ってそれに加わった。透明の盾越しの歪んだ視界の中で、影の男が簾みたいな髪を掻き分け、うろみたいな瞳で私達を睥睨する。
発砲音、引き金を引いたリーダーの男に続いて久我達が影の男に銃弾を浴びせかける。
私も引き金を引くが、もう弾切れだった。
倒れた影の男は自身が作った影の中に沈み込んで、後には何も残らない。そして少し離れた位置で泡のように膨れ上がってまた現れる。
受けた銃弾を意にも介さず笑う影の男、奇妙なまでに横に広がった影の男は指で私達を順番に指して、最後に私を指してピタリと止まった。
「ひひ・・・ノヴァは、君か?・・・」
謎の言葉を残して沈んだ影は後には何も残さず、本当に姿形もその残滓も消えてなくなってしまった。
超常の怪物に対してもなお、理解の範疇にない理外の怪人を前に誰一人として言葉を発する事ができなかった。
チャイムが鳴った。どこか気の抜けたその音に私の理性が復帰する。
「ッ・・・孝也!」
盾を放り出して5年1組の教室に駆け込む。言葉一つ発せず整然と席に座り、どこか茫洋とした様子で黒板を眺める児童の一人に駆け寄った。
「しっかりして、孝也、孝也!」
頬を叩く。徐々に視線の焦点が合って、私の姿に驚く。
「え、ね、姉ちゃん?」
「・・・行くよ」
手を引いて教室の外へ、強引に連れ出してゆく。
こんな場所に居るのは私一人で十分だと、そう思ったんだ。
※※※
【小学校で集団昏睡、31人搬送 設備異常と化学物質漏れか】
25日午前、栃木県かすみの市内の公立小学校で児童らが相次いで昏睡状態に陥り、教職員を含む31人が搬送された。全員命に別条はないという。
県警と消防は、校内のガス設備異常および化学物質漏れの可能性を視野に調べているが、詳しい発生経緯は明らかにしていない。市教委は同日夕、記者会見で「健康被害との因果関係を含め確認中」と述べた。
読んでいただきありがとうございます。
次回は5/8(金)21時30分更新予定です。




