第16話 [2023/3/18 16:47][埼玉県南西部の病院][HCU][二年前]
ここから二年前編です。
[2022/3/18 16:47]
左手薬指の指輪を摘む。ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっと苦しそうな呼吸がリズミカルに響き、呼吸器の内側を曇らせる。
「ほら、お父さん、お父さん、娘さんが会いに来てくれたよ」
年配の女が寝ている男の肩を叩いた。男は苦しげに息を繰り返しながらも、しかし、その呼びかけに応える事はなかった。
「ごめんなさいね、聞こえてはいる筈だから」
「・・・いえ」
薬指の上で指輪をくるくる回しながら答える。嘘だ。父、父という事になっている男は少し前からかなり強い鎮静剤を投与されていて、少し呼びかけた程度ではそうそう目を覚ます筈がなかった。
「ほら、娘さんも何か、言葉かけてあげて?この人、結構ビビリなんだから」
そう言って男の前に立たされる。固く目を瞑り荒い呼吸を繰り返す男に、私は何を言えば良いのか分からなかった。
当たり前だ。本当は、別に親子でも何でもないのだから。話した事すらない。
「・・・お父さん」
肩を叩いた。温かい。
「お父さん、頑張って・・・大丈夫だから、大丈夫だからね」
男の眉間の皺が薄まる。微かに、本当に微かに瞼が開いて白目を見せた。それだけだったが、それだけでも、男が半ば眠った意識から必死で醒めようとしているのが分かった。
ああ、生きてるんだ・・・、
でも、やはりそれだけだった。
「行きましょうか」
「・・・はい」
女に促されてベッドに背を向けた。数歩歩いて振り返ると、もう二度と会わないであろう父と呼んだ男は見計らったように看護師が閉めたカーテンの向こうに消えた。
※※※
父、という事になっている男の、再婚相手の女の泣き言に散々付き合わされた私は、うんざりした疲労感と共に喫茶店を出た。
春先にも関わらず風は冷たい。レシートを雑に丸めてポケットに入れる。
あの女は先に帰った。明日も来るつもりらしい。
病院の周囲は薬局とコンビニ、病院関係者と見舞客をあてにした店と古びたアパートを除けば、田畑くらいしかなかった。
駐車場までの道のり、街灯が等間隔に照らす暗がりを歩いた。コートの内側から折り畳み式の携帯を出して電源を入れる。記憶を探りながら番号を押してゆくと、見計らったように震えて着信を告げる。
「はい」
「どうだった?」
「やはり、あと二、三日が峠みたいです」
「そうか、なら・・・」
何か言いかけて、ぶつりと切れる。直前に話し声が聞こえたから、向こうも向こうで忙しいのだろう。
駐車場に着いた。砂利が敷かれただけの、まばらに停まった車の中から自身のそれを探す。が、見つからない。
疲れ切っていた。
遠隔で解錠キーを押すと、ちかっと少し離れた位置が光って、ああ、あそこかと施錠と解錠を繰り返しながらその車に近づいてゆく。
白のワンボックス、その後部座席に転がり込むと、そのまま寝転がった。見知らぬ赤の他人のはずなのに、父と呼んでいると不思議とそのような気がしてくる。
苦しそうだったけど、お父さんも、あんな風に見送ってあげたかったな。
相変わらず上手く笑えなくて、だから急に娘だと言って押しかけた私もかなり怪しかったと思う。まともに話せない父親の娘を名乗る女、詐欺を疑わない方がどうかしてる。
でも、上手く笑えない無愛想さのお陰で、再婚相手の女は私を受け入れた。惨殺された本当の父親を重ねていたから、それも見舞いの態度にあらわれていたのだと思う。
ただ、本当に疲れた。暗がりで目を瞬いていると、徐々に瞼が重たくなってゆく。
意識に幕を下ろそうとする眠気に争う。まだ、考えなければならないこと、答えを出さなければならない悩み、まだまだ沢山あるんだ。でも、理性が『それって何?』と問い返して、私はそれに答えを見つける事ができなかった。
なら、良いじゃん、意識がさらに闇に引かれる。
望洋とした意識の中で感じていたのは、眠りに包まれる安らぎなんかではなくて、暗闇の中から恐ろしいものがひたひたと近づいてくるような、まるで死の予感に似た何かだった。
※※※
宙にメダルが浮いていた。六角形の鏡のタイルみたいなそれはゆったり、くるくると回り続けていた。
左右から挟み込むように針が近づいてゆく。
「彼らは記憶の保全がある限り、それを殺人とは認めない」
白い男がガラスの棺を見下ろしながらそう言った。白い、色白とか、そんなレベルではなくて、服も肌も目も髪も、何もかも脱色されたように真っ白だった。
彼ら?
男が頷いた。
「セルメタルは思考する地形を想像し、人意識の集合思考層を接続する」
雲を掴むような話だな、そうしている内に針に挟まれぴたりと止まったメダルを発条みたいな螺旋がゆっくりと包んで通り過ぎてゆく。
「だから肉の身体は枝葉の一つ、通過点に過ぎないというのが彼らの捉え方なんだ」
螺旋の内側から何か、さらに針のようなものがコインに向かっていた。その針は長くなったり短くなったりを繰り返しんがら、コインを囲みつつ何度も往復する。
プリンターみたい、そう思っていたら男が頷いた。言葉を待ったが黙して語らない。往復する螺旋に視線を戻す。コインには薄ピンクの何かが泡みたいに纏わりついて、蜘蛛の巣みたいな、いや、蜂の巣みたいなハニカム構造を作りながら徐々に立体を成してゆく。
螺旋は卵みたいな楕円形を成した後に通り過ぎてゆき、また次の、さっきのより少し大ぶりな螺旋がやってきて卵を囲む。
それは徐々に人を模っていった。
「バイオプリンター、才能が歩留まりに落とし込まれた時、人は悩む事を辞めたのだろうね」
来たまえ、見せてやろう。
ガラスの棺を指先で撫でながら、男は背を向けて歩いて行った。追いかける。周りの何もかもは男と同じように白いか、銀色で油断すると見えなくなりそうだった。
段々と目が慣れてきて周囲を見渡すと、同じような棺がぽつり、ぽつりと、だいたい二、三十メートルくらいの間隔で並んでいて、そしてどうやら私達が歩いている場所は巨大な装置の上らしい。
ポンプが何かを送り出す音、与圧した空気が抜ける音、何の音か分からないクリック音、それらが静かに、規則的に繰り返されていた。
さて、と男が振り返る。
「そろそろ返事が欲しいな」
返事?
「言っただろう?取引には契約が必要だ」
まあ良い、と六角形の、あのメダルを渡してくる。
「受け取れ、契約の有無は関係ない」
視界が靄に包まれる。
病院の廊下を歩いていた。顔のない医師と看護師、患者と思しき人影は入院着だけで、ふらふらと衣服だけが左右に漂ってゆく。
私はその間をさして疑問に思う事もなく歩いていた。
どこかを目指していた。どこかは分からなかったが、でもどこかを目指していた。
お父さん、お母さん、
待ってると、そのどこかで待ってると、そう思った。
不意にああと気づく。ここはあの病院だ。私が父と呼ぶ、赤の他人を見舞う為に訪れたあの病院だ。
探していたものが見つかったような気がした。
どこかへ向かう足取り、それが向かう先が、私は足を踏み入れた事のない小児病棟である事に気づく。廊下を彩るデフォルメされた動物達、どこか幼稚園のような、そんな雰囲気があった。
その病室に足を踏み入れた。
「え、ほんとに連れてってくれる?」
夢の国に、
「頑張ったご褒美だからな」
「ミラコスタね?ミラコスタ、あと石垣島」
個室のベッドを囲んで浮かれた様子の親子三人、喜色の浮かぶ子供の顔色は少し前まで起き上がるのも苦しい程だったのに、彼らの間には苦難を超えた希望の気配があった。
誰も、私を待ってなんかいなかった。
読んでいただきありがとうございます。
次回は5/9(土)20時更新予定です。




