ブリュエット邸
< 女性がこっちに近づき始めました。少し年配のかたですが...この人が恐らくブリュエット嬢だと思います。シエラに首を下げさせますね >
< ああ、できるだけシエラが従順な感じに見えるようにしてくれ >
出発前にオブラン宰相がブリュエット嬢の肖像画を探し出してきたから、一応それを見せて貰っているけど、フェリクスを産んだのは三十年近くも昔なのだ。
人間族でもホムンクルスでも加齢のペースは変わらないはずだから、いまでは老けた感じになっていて当然だろう。
< 口に咥えている鞄を注視していますね。魔石ランタンも革鞄も人の手によるモノですから、シエラが誰かに送り込まれたということは、間違いなく理解してるでしょう >
< よし、あと少しだな >
上から見ていると、ブリュエット嬢らしき女性がゆっくりとシエラに向かって歩いて行くのが分かる。
「どう見えるパルレア?」
「ちょっと遠いケド、急に周囲の気配が変わったってコトも無いからだいじょーぶじゃないかなー?」
「よし、なら計画続行だ!」
シエラの口には、エルスカイン配下の錬金術師を装った手紙と転移門の罠を収めた小さな革の鞄を下げさせている。
その鞄を見てると言うことは、ワイバーンが自分の元を訪れた理由をそこに感じ取っているのだろう。
王宮に対して行われた大々的な、だけどアッと言う間に蹴散らされたワイバーン軍団による襲撃。
その際に、謎の危険人物が捕らえられて地下牢に押し込まれているという噂。
突然やって来た、王宮からの『人物確認のため』と言う面通し立ち会いの依頼。
これらを重ね合わせて考えれば、ブリュエット嬢の脳裏に浮かぶ可能性はかなり絞り込まれているはず・・・
そこに降り立ったワイバーンに対して、彼女は何を思うだろうか?
< 御兄様、ブリュエット嬢がシエラの咥えている鞄に手を掛けました。中身を確認するようですね >
ここまで迷いの無い行動を取るようなら、もうブリュエット嬢は完全にクロと言っていいだろう。
後は、上手い具合にフェリクスの元に転移門の罠を届けてくれるよう祈るだけだ。
< 予定通りでは有るけど、初めて見るワイバーンの口元に手を差しのばせるって、凄い度胸だよな? >
< どうでしょう...度胸とか勇気とか、そういう類いの感覚とは違うように見受けられます。操られているのとは違うと思いますけど、なんと言いますか...此処まで歩いてくる時の様子を見ても感情を感じませんでした >
< 無感情? >
< えっと...シエラを見た時も用心はしていましたけど、怯えてはいないという感じですね。恐れなくていいことを分かっているかのようで >
いつもながらシンシアの表現が的確だ。
『怖い物知らず』とは良く言うけれど、『恐怖に打ち勝っている』のと『怖さを知らない』のでは意味が全く違うもんな・・・
初めて見るワイバーンなのに恐れる必要が無いと思っている理由は、ここに来たことに必然性を感じているからに違いない。
< なるほど...王宮を襲ったワイバーンが自宅の庭に降り立っても動じないのは、ワイバーンが自分と同じ側、つまりシエラが自分にとって味方側の存在だと確信してるからだろうな >
< ソレはちょっと腹立たしいですね...あ、鞄から罠セットを包んだ革封筒を取り出しました! そのまま持ち帰るようです >
< よし、第一段階は成功だ >
< 銀ジョッキに後を追わせます。このまま突入させていいですよね? >
< 頼む >
< 銀ジョッキを残して、私達はそっちに上がります >
< 了解だ >
シンシアがメダルの不可視結界を作動させてシエラの姿を見えなくすると、すぐに飛び上がってくる。
「ライノ、少し高度を下げるか?」
「このままでいいよアプレイス。イザって銀ジョッキは破棄して逃げる」
「分かった」
シンシアもアプレイスの背中に移って二人で銀ジョッキの画面を見ると、玄関ホールに入ったブリュエット嬢の背中が大写しで現れた。
ブリュエット嬢の行動にくっついて移動しないと、部屋から銀ジョッキが閉め出されてしまうからな・・・
最初の銀ジョッキが、予想外な出来事の結果だったとは言え、どこでも『壁抜け』が出来たのは本当に便利だったよ。
「あの革封筒の中身を確認するのは、さすがに誰もいない部屋にするでしょうね。屋敷の使用人達はエルスカインの配下って訳でも無いでしょうし」
「みたいだな」
「あ、やっぱり使用人達を追い払いましたね。このまま自室に戻る気のようです」
ブリュエット嬢は神経質そうにホールの使用人達に対して居場所に戻るよう指示を出すと、急ぎ足で二階へと上がっていく。
定石通り、二階の朝日の当たる側のウイングが女主人の部屋らしい。
シンシアは銀ジョッキをピッタリと後ろにくっつかせて室内に侵入させると、ブリュエット嬢の斜め前に回って天井の角に移動させた。
この位置なら人の手も届かないし、部屋全体を見渡せる。
万が一にでも触れてしまう場所に銀ジョッキを定置させるのは危険だからな。
見ていると、ブリュエット嬢はソファに腰を落ち着けて手紙を読み始めた。
「一番上に乗せておいた手紙を読み始めましたね」
「これでどうでるかな?」
「シエラちゃんに乗って王宮に行こうとしたりしてー!」
「その危険もあるからサッサと退却させたんだぞ?」
「あ、そっかー」
手紙に書いてあることは、紙に描いてある魔法陣が秘術の転移門であること、以前に同じ方式をフェリクスの指示でジェルメーヌ王女を捕縛しようとして使ったことがあること、そして、今回はこの転移門でフェリクス王子を地下牢から脱出させるということだ。
実は転移門の先がどこにも開いておらず、物理的に『脱獄』させるのだという辺りはボカしてある。
どのみちブリュエット嬢が転移門の作動について理解しているとは思えないから大丈夫だろう。
「ブリュエット嬢も、これまでの行動からして無茶なことはしないと思いますよ? あえて選択の余地を残してますし」
「あったっけ、そんなの?」
「大したことじゃ無意ですけど、フェリクスに転移門を渡す時に怪しまれないような本を選んでそこに挟んで渡せとか、魔石は別にして上手く渡してくれとか、ブリュエット嬢に考える余地を与えてます」
確かにシンシアが捏造した手紙にはブリュエット嬢への指示として、そういうことが幾つか書いてあったな。
「すべてを誰かの言いなりで行うのでは無く、小さな事でも自分自身で考えたことがそこに含まれると、それは自分のプランになるんです。『どうするのが最適か?』と相手に考えて貰うことが重要だと。そういう要素が含まれないと、誰も自主的に動いてくれないのだそうです」
「なるほど...ちなみに、それって姫様の教え?」
「いえ、これはアルファニアの王立魔道士学校で習いました。魔道士として仕える主君からは、なんでもかんでも魔道士が魔法で片付けてしまうと思われることのないように、ほんの少しでも相手の考えや思いを取り入れていくことがとても大切だと...」
「シンシアちゃんって、そーゆートコロは領主さまっぽーい!」
「あの、御姉様?」
「まあ、そう言われると分かる気がする。破邪の魔獣退治でも似たようなところはあるからね」
「そうなんですか?」
「うん。村の近くに魔獣が出たからって『破邪を呼んで退治して貰って、もう安心』じゃダメなんだよ。村人みんなで、魔獣が出た原因は何かとか、どうやってお互いを守り合うかとか、そういうことを考えて貰わないと、いずれまた同じ事を繰り返す羽目になる」
「へー」
「確かにそうでしょうね...これまでと違う何かが起きたなら、その原因とか環境とかあるはずですし」
「そりゃー原因はあるよねー。魔力の乱れだったりしたら人族にはどーしょーもないけどさー」
「それこそ、ルマント村がそうだろ?」
「あ! たしかにー!」
「ルマント村はオババ様達が賢明で、すぐに村を捨てて移住する決断をしたから良かったんですね。誰も責任を取りたくなくて有耶無耶で対応してると、ある日突然崩壊するのだと思います」
「なるほどねー」
「そういうことだな...それぞれが自分なりの立場や考えで、色々と思いを巡らせないと上手い解決方法は見えてこないんだ」
なんて、これもまるっきり師匠の受け売りだけどさ・・・
シンシアやパルレアとそんな話をしている間に、画面に映っているブリュエット嬢は手紙を読み終えて、転移門の魔法陣と高純度魔石を革の封筒から取り出した。
今はまだ、魔法陣に魔石を飲み込ませていないから、ブリュエット嬢が好奇心に負けて開いても転移門が起動する危険は無い。
「あれ? また仕舞っちゃったよー、お兄ちゃん」
「手紙の内容に納得したんだと思うよ。でなけりゃ革封筒をテーブルの上に戻してるさ」
「なーるほど」
案の定、ブリュエット嬢は一式を納め直した革封筒を胸に抱えてソファから立ち上がると、部屋の反対側に並んでいる書棚の前に立った。
ああ、いかにも大切なモノを抱え込んでいるって姿だな!




