街外れの屋敷
陽が落ちたあと、俺たちはとっぷりと暗くなるのを待って屋上庭園に出た。
おあつらえ向きに月の無い夜だ。
無論、王宮には煌々と明かりが灯っているし、彼方に見えるルリオンの市街もほんのりと明るいが、家屋の無い丘陵地帯の方は真っ暗な闇の中に沈んでいる。
郊外に点在する農家なんかも大抵は倹約家で、屋外用に魔石ランプを無駄遣いしたりはしない。
「シンシア、シエラの口に魔石ランプを咥えさせておくのは問題ないか?」
「はい御兄様。ランタンの把手を紐で牙に引っかけさせて貰えば仮に口を開けても落ちないでしょうから」
シエラを庭に降り立たせる時、手持ちタイプの魔石ランプ、俗に言うランタンを咥えさせておけば、誰がどう見ても野生では無く『人の支配下にあるワイバーン』だとすぐに認識できるはずだ。
野生のワイバーンが、夜の空が暗いからって魔石ランプを咥えて飛んだりする訳が無いからね・・・
「シンシアさま、シエラの牙とランタンの紐を少しだけ固着しておいた方が良いのではないかしら? 今回は宙返りとかなさらないでしょうけど、ね?」
マリタンがさり気なくツッコミを入れる。
昼に豪快な試乗をやった時は、シンシア自身は固着魔法でシエラの背中にぺたりとくっ付いていたけど、マリタンも問答無用で曲芸飛行に付き合わされていたからな・・・
もしも高所恐怖症の人族だったら間違いなく失神してるだろう。
え?
マリタンって高所恐怖症とかじゃ無いよね?
なんだか、ずーっと黙ってたけど失神してた訳じゃ無いよな?
もしかして本でも失神するの?
「そうですね...ええ...」
シンシアも、マリタンの口調でなんとなく察したらしい。
それはともかく、シンシアから魔石ランタンを咥えさせられつつ指示を黙って聞いているシエラの様子を見ていると、少なくとも『馬並み』か、それ以上の知力がありそうに思える。
いつも俺の馬車を牽いてくれている魔馬達だって言葉は喋れないけど、こちらの指示はおおよそ理解しているように思えるし、もし喋れたら返事してくるだろうなって思うシーンは多い。
言葉の代わりに仕草で示してきたりとか・・・
エスメトリスの言い様だと、ワイバーンの知能は種族差とか個体差とかが激しいみたいに聞こえたから、シエラの賢さが平均的なのか卓越しているのかは分からないけどね。
この様子だったら、鞍みたいな装具を着けるのも厭がらないんじゃ無いかな?
「なんかさー、シエラちゃんが急に可愛いものに見えてきたんだけどー!」
「分かるぞパルレア」
「え、シエラは最初から可愛いじゃないですか御姉様!」
「いや、見た目とかじゃ無くてなシンシア。本来なら怖いと感じる相手でも、知性や愛嬌を感じると、怖さを感じなくなるって話だ」
「あ、まあ、それは分かりますけど...」
心なしかシンシアが憮然としているように見えなくもない。
良く分からないけど、シンシアの審美眼にとっては一目見た時からシエラは『可愛い』と見えていたのかもしれないな。
俺には基準が分からんが・・・
あと俺もシンシアを見習って、あの魔馬達にもちゃんと名前を付けてあげるべきなんだろうか?
いつも革袋に入れっぱなしですまん・・・
ともかく、次はブリュエット嬢に上手く転移門を渡せるかどうかが、この作戦のキモだな。
ワイバーンへの試乗というか試験飛行の様子からすると、シンシアとシエラの意思疎通にはまったく問題無さそうに思える。
不可視状態のシンシアが騎乗した状態でシエラに転移門の罠を運ばせることや、その場で銀ジョッキを屋敷に送り込むことには特にリスクもないだろう。
もしもの時も、俺とアプレイスが近くに潜んでいればなんとかなるだろうし・・・
++++++++++
早速、屋上庭園を飛び立って郊外の森に有るというブリュエット邸に向かった。
真っ暗な中で地表の様子はほとんど分からないけど、そこはアプレイスがいるので問題ない。
オブラン宰相に貰った地図で位置は確認してあるから、アプレイスはほとんど間違いなく目的地に行き着けるだろう。
シンシアも、シエラに騎乗して俺たちの真横を並んで飛んでいる。
なんだか、すっごい楽しそう・・・
改めて考えてみるとシンシアは、アプレイスの背中に乗せて貰っている時でも、俺が革袋から出した荷馬車や乗用馬車に乗っている時でも、基本的には俺に同伴しているだけだった。
北部大山脈に向かったドラゴン・キャラバンの時には少しだけ御者をやってたけど、それも自分の意志で走り回ってたりはしていない。
そういうシンシアにとって、シエラの背に乗って自分が思うように飛び回れるっていうのは自由で楽しいことなんだろうな。
< 御兄様、森の縁に少し大きな屋敷が見えます。分かりますか? >
< ん? ああ、木立の中に建ってる黄色っぽい壁の家だな? 窓に明かりも点いてるようだ >
< はい、位置的にも外観的にも、あれがブリュエット邸のはずです >
こぢんまりした貴族の屋敷だけど、もちろん一人住まいで維持できるような規模じゃあ無い。
離縁されたとは言え、元は国王の側室で子爵家の娘だからな。
いまでも、それなりに使用人を雇える程度は年金の類いが支給されているのだろう・・・国庫からか実家からかは知らないけど。
< いけるかシンシア? >
< 打合せ通りに私だけが不可視になって、シエラには前庭に降り立って貰います。もし家人がシエラの降りた気配に気が付かないようなら、軽く音でも慣らしてみましょう >
< くれぐれも慎重にな? >
< 大騒ぎになるようなら、一度空に上がって様子を見ますね。もしも平気でシエラの咥えている鞄を改めるようなら、その合間に銀ジョッキを突入させます >
< よし、やってくれ >
< シンシアちゃん気を付けてねー >
< はい、行きますっ! >
威勢の良い返事と共に、不可視状態のシエラがブリュエット邸に向けてスッと急降下していく。
そのまま真っ直ぐ庭に降りるかと思ったら、上空で屋敷の周囲をぐるりと旋回し始めた。
用心深いシンシアらしく、周囲に不穏な気配が無いかを探っている。
もしもエルスカインがブリュエットを直接動かしているとすれば、俺たちの罠に掛かったフリをして、逆に罠を張って待ち構えるぐらいのことはやりかねないからな・・・
「周りの森はフツーだねー」
「だよな?」
「ちびっ子も多くはないけどさー。何かを避けてるってホドでも無いし」
パルレアが精霊の視点で注意深く見ても、周辺の森からちびっ子たちの姿が消えてるなんてことも無いようだ。
俺も精神を集中して屋敷周辺の気配を探るが、なにも怪しいモノは感じない。
「この様子なら、屋敷の中にホムンクルスがウジャウジャいるなんてこともなさそうだな?」
「だねー!」
やがてシンシアが自分の不可視状態を保ったままシエラの姿だけが見えるようにして屋敷の前庭に降りていった。
仮にその様子を誰かが窓から見ていたとしても、一頭のワイバーンが不意に空から現れた、という風にしか思えないだろう。
俺たちは少し上空に待機して全方位を警戒し、万が一の奇襲に備える。
< 着地しました。まだ屋敷内に動きはありません >
< 庭に降り立つ時に音はしたか? >
< シエラの体重で生け垣を踏みつけましたから、それなりにバキバキする音が響いたと思います >
< じゃあ、そのまま少し待って見ろ。向こうも用心しているのかもしれん >
周囲は闇に沈んでいるけど、玄関前の門灯が点いているから前庭全体が真っ暗という訳では無いし、何よりもシエラが顎の下にぶら下げているランタンの明かりが目立っているはずだ。
誰か着地の物音に気が付いて外を見た者がいたとすれば、その明かりに照らされたシエラの姿が必ず目に入るだろう。
さて、次に屋敷の者がどう動くか・・・それで答えがおおよそ決まるな。
< 御兄様、誰か屋敷から出てきます! >
< 使用人か? >
< いえ服装が...質素ですけど貴族風のドレスですね。エプロンもしていませんし... >
< 騒いでる様子は無いか? >
< いえ、ありません。戸口の奥には使用人らしい女性達も見えます。そっちの人達は恐る恐る覗き込んでる感じですけど、外に出てきた人は真っ直ぐ立ってこちらを観察してます >
< 随分と肝が据わってるな...なら、ブリュエット嬢の可能性が高い。油断するなよ? >
< はい! >
それにしても、ホムンクルスじゃ無い普通の人で、しかも貴族の子女だぞ?
目の前にワイバーンが降り立ってるのに動じないっていうのは、例えエルスカインの支配下にあるとしても相当な度胸じゃ無いかと思う。
俺が勇者になる前の只の破邪だった時代だったら、自分からワイバーンに向かって歩いて行く度胸は無かった気がするよ。




