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「ーー…………え」
ふとエリシアは足を止める。
ランタンの頼りない灯りが廊下に人影を映し出したからだ。
「……ナディア?」
ランタンを掲げてエリシアが問えば、彼女はしかめ面でエリシアを振り返った。
眉間に深くシワを刻んだ顔はあからさまに不機嫌だった。
「あなた、ここで何をしているの? 明日は早いでしょう」
「いい子ちゃんのお姉様には関係ないし」
吐き捨てるように告げるナディアにエリシアはほんの少しだけムッとした。
どうして彼女はそう喧嘩腰で返してくるのだろう。
「関係なくはないでしょう。妹が嫁ぐことは家全体に関わることなのよ。もう決まったことにまだ不満があるの?」
「逆に聞くけど、どうして不満が出ないって思うの」
刺々しい返答にエリシアは顔をしかめる。
けれどもナディアはさらに言葉を続ける。
「結婚ってさ、人生でとっても大事なことでしょ。人生の節目になるようなそんなことを相手のことだって、日取りだって何ひとつ当事者に知らせず決められるなんて不信感しかないのは当然でしょ」
「……でも、貴族の政略結婚ってそういうものでしょう」
「お姉様っていつの時代の人なわけ? 今はもうそういう時代じゃないんだよ。お姉様のそういう何にも自分で見ないでお父様やお母様の言葉を鵜呑みにしてるところ、イライラする」
まるでパチリと散った火花が掠めたような気分にエリシアは首をすくめる。
「お姉様さ、茶会とかでなんて言われてるか知ってる? 時代遅れのお人形さんって笑われてるんだよ。いっつも地味なドレスでお母様の後ろで愛想笑いしてるだけでさ。流行りのことも何にも知らないし、趣味や好きなこともまともに話せない。多少勉強はできたとしても、頭空っぽすぎ。そんなんで跡取り娘とかバッカじゃない」
「ナディア」
あまりの言われようにさすがのエリシアも語気を強くした。
「何よ、本当のことでしょ。お姉様ってお父様やお母様には強く出ないくせに私にはそうやって強く出るよね。そういうところも大っ嫌い」
「ナディア、いい加減にして。あなたはいつも感情に任せすぎだわ。どうしてあなたはいつもそうやって人を傷つけるような言葉ばかり選ぶの」
「だからそういうところ。姉ぶって諭す振りして話を逸らさないでくれる?」
「あなたがあまりにもあんまりなことを言うからでしょう。その奔放さがいつでも許されて通用するなんて思わないで」
「はいはい、言うことまでお母様そっくり。言うこと聞いてるとそういうところも似るものね」
「ナディア」
からかうような言葉を嗜めるように彼女の名前を呼ぶ。
そこでナディアは一度口をつぐんだものの、エリシア相手に一歩も引くような様子は見せなかった。
真っ直ぐと自分を睨みつけるナディアの目をエリシアもまた睨み返す。
「お姉様はさ、これから先もお父様が何もかもを決めて、勝手に決めてきた男と結婚して、お父様やお母様がいなくなったら今度はそいつの言うことを聞いて生きていくことに何にも疑問に思わないんだろうね」
「ナディア」
「でも私にもそれを強要しないでくれる? 私はね、私の大切な人生に関わる大事なことまで勝手に決めてしまうような人に私の人生の舵取りなんて任せたくないの。だってそいつは私の人生に対して何の責任も負ってくれないのに」
そうはっきりと断じるナディアにエリシアは言葉を詰まらせた。
頭の中にはそんなことはない、と。お父様は応えればちゃんと考えてくれる、と言葉が巡っていた。
けれどもその言葉は喉元で重石のように固まって出てこなかった。
エリシアが言葉に詰まって立ち尽くせば、ナディアはそんなエリシアを鼻で笑って踵を返した。
「じゃあね、お姉様。いつまでもそうやってお父様やお母様……誰かの機嫌をとって生きてれば?」
嘲るような声にエリシアは動けなかった。
彼女の姿が闇に溶けて見えなくなるまで、足に根が張ってしまったように固まって動けずにいた。
やがて闇に消えていったナディアの気配が消えて、それから蝋燭の灯りがジジジ……と聞こえるほどの静寂が訪れた頃、エリシアはようやく大きな息をつけた。
けれども胸には気鬱が大きな塊のようにつっかえていた。
「……でも、だからってどうするのよ……」
小さく吐いた言葉はあまりにもかすかだった。
「……あなたと第一王子殿下との結婚はすでに決まってるのよ。今更騒いだって覆せるはずがないわ……」




