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「ーー以上が王都から届いたエリシア様の手紙になります」
エリシアの手紙を読み上げていたカイルがそう締めくくる。
それにオスカーは苦笑をするように鼻の頭にシワを寄せた。
「母上め。思った以上にエリシアの心を掴んだようだ」
覚えなくてはいけないことは膨大で、時に陰口に傷つくこともあるようだが、それでも王妃について学ぶ日々は彼女にとって良い刺激になっているようだった。
彼女が王都で萎縮し、また縮こまってしまうのではないかと懸念していたがどうやら杞憂だったらしい。
王妃の公務について貴族たちへの挨拶回りも順調そうで、手紙の中で初めての友達ができたとも報告があった。
彼女の手紙に出てきた令嬢の名前もオスカーが把握している中で何も問題のない令嬢であることにホッとする。
おそらくは王妃がそうした令嬢を選んで会わせているのもあるのだろうが。
「エリシア様に今すぐ返信を書かれますか?」
「ああ、うん。そうだな……いや」
カイルの問いにオスカーは頷きかけ、だが考え直して首を横に振る。
「……少し言葉をまとめる時間が欲しい。そうだな……夕食後までにはまとめておくからその時に代筆を頼む」
「かしこまりました」
一礼をするカイルを見てから、オスカーは執務室の窓辺を離れた。
空を見上げれば真っ青な空が広がっており、オスカーは眩しい日差しに目をすがめる。
今日もいい天気だ。
けれどもそんな天気とは裏腹に自分の気持ちはほんの少しモヤモヤと曇っている感覚があった。
その理由に気がついているから、オスカーは苦笑をするしかない。
「おや、殿下。今日もこちらでお過ごしになられますか」
「スティーブ爺、すまんな。仕事の邪魔ばかりをして。ここが一番落ち着くんだ」
「いいんですよ。殿下のために咲かせている花なのです。存分に愛でてやってください」
城の庭園を訪れれば、庭仕事をしていたスティーブがそう言って下がった。
オスカーはスティーブのいなくなった庭園の前に腰を下ろし、ぼんやりと庭木や花壇を眺める。
「…………デイジー」
花壇に咲く花を見て、ふとその名前を呟く。
風に吹かれて可憐に揺れる花はエリシアが好きだから植えさせた花だった。
その花に手を伸ばしかけ、鋭い鉤爪が花に触れる直前で止める。
「…………」
結局花に伸ばした手先は花に触れることなく、代わりに地面に落ちていた石をそっと摘み上げた。
人間の手であったのなら片手大ほどの石。
その石を指先で摘み、ほんの少しだけ力を込めた。
途端に石が脆い砂の塊だったかのように砕け散る。
ぱらぱらと崩れ落ちた石だったものを見下ろし、オスカーは深くため息をつく。
怪物の体はどうにも不便で仕方がない。
それはこの二年間で十分に痛感していたつもりだった。
鋭い鉤爪に引っ掛かれば何でも裂いてしまうし、大きな手のひらは力加減がうまくできずに全てを脆く壊してしまう。
大きな体では人間サイズの扉はくぐることができず、急に動けば近くにいる人を跳ね飛ばしてしまう凶器。
食事の量は人間と比べて尋常にならないほどに増え、一方で睡眠をほとんど必要としなくなった。
果たしてこんな自分は人間なのだろうか。人間ぶっているだけで魔獣そのものではないのだろうか。
幾度となくした自問は相変わらず答えはなく、オスカーはただまぶたを落とす。
そのまぶたの裏にエリシアの姿が浮かぶ。
エリシア。怪物となった自分の妃として当てがわれた哀れな娘。
小さく華奢な貴族令嬢らしい小娘の姿をした彼女は初め、小さな体を震わせて怯え、獣の檻に放り込まれたような顔をしていた。
逃げてもいいと逃げ道は示しておいたはずななのに、彼女は震えながらも必死に自らをこの場に縛りつけるようにするものだから、姿が哀れで仕方なかった。
母もこんなに哀れな女の子を送り込んでくるなど鬼か。
そうため息をついた日もあったが、
「…… ……………」
目の前でデイジーが風に揺れる。
茎を精一杯に伸ばして太陽を浴びる姿は伸び伸びとして心地良さそうだ。
その花に触れたくなる気持ちを抑え、オスカーは地面に手を縫い止める。
もどかしい。自分がこのような姿でなかったのなら、あの可憐な花に触れることができるのに。
そんなことを考えている自分に深くため息をつき、その場に体を丸めるようにして寝そべった。
こんなにも人間に戻りたいと切望するなど、あの指先を握るぬくもりが恋しいせいだ。
早く彼女に会いたい。彼女がいないと寂しくてたまらない。
「……… …………………」
だが同時に人間に戻ることをオスカーは恐れていた。
怪物の体は確かに不便だ。人間として生きるには不適だ。
しかし、だからといって人間に戻ればすべての悩みが解消されるわけではない。また別の悩みが浮上するだけだ。
閉じたまぶたの裏側にエリシアとは違う女性の姿を思う。
クラリス・エーヴェルシュタイン。
かつて自分の婚約者だった、お姫様の中のお姫様を体現した華々しくも愛らしい姫君。
彼女と婚約していた頃のオスカーは華々しい姫君にも見劣りしない見目の麗しい王子だった。
父と母から譲り受けた容貌。そして能力。それらは輝かしく眩いものだったのだろう。
それは神からの祝福であったと同時に暗い影を生む呪いでもあったことを知ったのは、クラリスを傷つけられてからだった。
オスカーの生んだ暗い影は人の悪意だ。
見目麗しい王子に愛されることへの羨望。渇望。それらはやがて悋気となってオスカーではなくクラリスに襲いかかった。
体に傷がつけばわかりやすかっただろう。
不敬とわかるように悪様に罵られれば罪に問えただろう。
けれども人の悪意とは狡猾で、ささやかに降り積もる粉雪のようにクラリスの心を凍てつかせていったのだ。
それはやがて不信感に育ち、そして、
『わたくし以外の女を侍らせて笑うなんて!』
目を吊り上げ、鬼女のような形相で叫んだクラリスを思い出すと胸の奥がズキズキと痛む。
彼女に信じてもらえなかったこと。
彼女の不安を癒すほどに愛してあげられなかったこと。
彼女を守れなかった己の不甲斐なさが情けなくて、悔しくて、だからこそ繰り返すかもしれないことが恐ろしい。
隣国の王女であったクラリスでさえ悪意を向けられたのだ。
クラリスよりもはるかに身分の低い伯爵家出身のエリシアが相手ならばもっと容赦なく悪意の刃は突き立つだろう。
それをオスカーは許せない。
ただでさえ彼女は笑顔を忘れるほどに抑圧された環境に身を置いていたのだから。これ以上彼女に傷付いてほしくない。
だからこそオスカーは人に戻れない。戻りたくない。
「…………はは」
王子として国家という大きなものを背負うことを志したもののはずなのに、たったひとりの女性を傷つけられることにこんなに怯えるなどあまりにも情けなくて自嘲が漏れた。




