第86話 親バカの悲劇と黄色のヘルメット
「……おい。今、なんて言った。バッカス」
ロバートは、魂が抜けたような顔で聞き返した。
「だからよ、お前さんの娘御には『魔法の素養』があるって言ったんだ。それも、魔力の通りが素直で、将来が楽しみな筋の良さだぜ」
バッカスが、耳の穴をほじりながら面倒そうに繰り返した。
その言葉が脳内に到達した瞬間、ロバートが長年かけて築き上げてきた「冷徹な代行者」の仮面が、音を立てて砕け散った。
「もぉぉぉぉぉぉーーーーっっ!! マリー! パパのマリー!! 天才じゃないか! 未来の宮廷魔導師確定じゃないか!!」
ロバートは、猛烈な勢いで叫ぶなり、地面に膝をついてマリーの両肩をガシッと掴んだ。
「ひっ……! ぱ、パパ、いたい……」
「ああ、すまない! だが聞いてくれマリー! パパは信じていたよ! 王都の便利さを失って悲しんでいた君に、神様がこんな最高のギフトを授けてくれるなんて! さあ、パパと一緒に魔法の練習をしよう! パパが最高の家庭教師を王都から引き抜いてきてあげるからね!!」
「……う、ううん。マリー、カイトくんと、どろだんご、つくるの……」
マリーは引きつった笑顔で、必死にカイトの背中へ隠れようとした。
だが、親バカのスイッチが全開になったロバートに、愛娘の「拒絶」は一切届かない。
「泥だんご!? 泥だんごなんて、工兵隊の野郎どもに作らせておけばいいんだ! 君は魔法だ! さあ、まずはその可愛いおててから、パパのために『愛の濁流』を出してみておくれ!!」
「……ロブおじちゃん、マリーちゃん、こまってるよ」
カイトが呆れた顔で割って入るが、ロバートは「フッ……」と前髪をかき上げ、どこか遠い目をして語り出した。
「いいかい、若様。これはフェルメール領の『地政学的な転換点』ですよ。私の娘が稀代の魔導師になれば、この村の防衛力は一気に跳ね上がる。情報の隠蔽も、物理的な殲滅も自由自在だ……ふぅぅ…… ふぅぅ……!!」
(……こやつ、変なスイッチが入ったみたいじゃのう。娘を兵器か何かと勘違いしとらんか?)
「マリー! さあ、パパを水浸しにしてくれ! 遠慮はいらないよ!」
「……ぱ、パパ、きらい……」
「――ガーンッ!?」
マリーの消え入りそうな、しかし決定的な一言に、ロバートは真っ白に燃え尽きて石床の上に崩れ落ちた。
「愛娘の拒絶ほど、心を砕くものはない……。……もぉぉぉぉぉぉっっ!! なんでだよぉぉぉ!!」
バッカスの工房に、中間管理職の悲哀を凝縮したような絶叫が、虚しく響き渡った。
「うるさいから出て行け」とバッカスに怒鳴られ、カイトたちは外に追い出された。
「じゃ、ぼく、おうちに帰るね。またね」
マリーも「またね」と手を振り返し、ロバートと坂を下っていった。
遠くなってもまだ「パパ、きらい……」と声が聞こえる度、ロバートが頭を抱えているのが見えたが、しばらくはあのままだろうと思えた。
(……さて、ワシも帰るか。じゃが、ママ(エレナ)には『頭が痛いから寝てる』と言ってこっそり抜け出してきたんじゃったな。堂々と玄関から入ったら大目玉じゃわい)
カイトは屋敷の正面玄関を避け、中庭の方からこっそり忍び込もうとした。すると、中庭の入り口付近で、屈強なガチムチ百人衆の男が一人、落ち着かない様子でウロウロと歩き回っているのを発見した。
「あれ? どうしたの?」
背後から声をかけられ、ビクッと肩を揺らした男が振り返る。
見上げると、その男は初日に頭に巻いたリネンを締め直せ、とカイトが注意した男だった。
男は緊張した面持ちで、小さな監督の前に跪いた。
「監督、お願いがあります! おれにその帽子の作り方を教えてください」
「これ?」
カイトはヘルメットを脱ぐと、それをひらひらさせながら尋ねた。
「はい、それです! モーガン商店に行ったら、それは監督の手作りだと聞きまして。……監督がいつも被っているその黄色い帽子、俺たちの間でも『あれこそがプロの証だ』と話題になっているんです」
(……ほう。現場の安全意識が、ようやく作業員たちに定着し始めたか。道具から入るというのは、士気を高めるための基本じゃからのぅ)
カイトは内心で深く頷いた。
「わかった! じゃあ、つくりかた、おしえるね!」
「本当ですか! ありがとうございます、監督!!」
「まずはね、じぶんの あたまに ぴったりな『ザル』を ようい するの!」
「ザル、ですね! 押忍!」
男はどこから取り出したのか、木片と炭の欠片で必死にメモを取り始める。
「そのなかに、ニカワで ぬのの ハギレをペタペタ……」
「ほう、なるほど……で、上から松脂を塗ってと……」
「で、さいごに、みみの よこに 穴をあけて、ヒモを とおすでしょ?」
「ちょっと待ってくださいね、耳の横に穴をと……」
カイトは自分のヘルメットの顎紐を引っ張って見せた。
「そこに、穴をあけた『木の玉』を いれて、ヒモの さきっちょを むすべば……ほら、これを キュッて 上に あげると、止まるんだよ!」
カイトが木製のスライダー(留め具)を顎の下でキュッと押し上げると、男の目がカッと見開かれた。
「そ、それですッ!!」
男は興奮のあまり、鼻息を荒くして前のめりになった。
実は、南部のガチムチな男たちの間でこのヘルメットが羨望の的となっている最大の理由は、「安全第一」の精神だけではなかった。
小さな現場監督が、木製のスライダーを顎の下で「キュッ」と上に押し上げて紐を締めるその仕草。それが屈強な男たちの間で「たまらなくカッコ可愛い」「俺もあの『キュッ』をやりたい」と、密かに大流行の兆しを見せていたのである。
「ザルにニカワ、松脂に黄色い塗料、そして『紐と木に穴を開けたスライダー』ですね! 完璧に理解しました! 監督、ありがとうございます!」
「あ、『オーカ(黄土)』の ぽーしょんは、モーガンおじちゃんに、とりよせてもらったから、うってないよ。これをぬって」
そう言って、カイトは抱えていた木箱から『オーカ』の顔料を渡した。
「良いんですか? ありがとうございます!!」
男は感極まった様子で深く一礼すると、弾かれたように野営地へと走り去っていった。
まさかこれが工兵隊も巻き込む大騒動に繋がるとは、その時のカイトは全く考えていなかった。
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