第81話 魔法無し!板一枚の止水栓
本日これより、1ヶ月連続更新&5万PV突破のマット五枚投入を開始します。
嵐の水も完全に引き、南部のオデール伯爵領からやってきたガチムチ百人衆への『粗朶マット』の組み方の指導もひと段落した泥靴村。
村の復旧作業が異常なスピードで進む中、カイトは粗朶で組んだ温泉予定地の端にある『温泉の源泉』の前で立ち止まり、腕を組んでいた。
(……ふむ。南部勢の教育にかまけて完全に作業が滞っておったが、そろそろ温泉の方も仕上げんとマズイな)
現在、源泉を囲っている木枠はほぼ地面スレスレの高さに組まれている。そのせいで、ボコボコと湧き出る五十度の温泉が枠を乗り越え、さらに板の隙間からもダダ漏れになって、せっかく敷いた周囲の粗朶の道を水浸しにしていた。
これでは温泉旅館どころか、ただの熱湯の泥沼である。
カイトはトテトテと粗朶の道の上を歩き、お湯を流すための『木の樋』を作っていた大工のゴドーの元へ向かった。
「ゴドーのおじちゃん! あっちの お湯が でるところの 木の わく、もっと たかーく して!」
「ん? ああ、源泉の囲いを上に足せば良いんだな?」
ノコギリの手を止めたゴドーが首を傾げると、カイトは黄色いヘルメットをクイッと直して頷いた。
「うん! お湯が もれないように、木の すきまに『まつヤニ』を ぬって フタを してね。それで、お水さんが どこまで 上に あがるか 見たいから!」
「……松脂で隙間を埋める? 全く、坊ちゃんは松脂で水漏れが防げるなんて、どこで覚えてくるんです?」
ゴドーが目を丸くして尋ねると、カイトは無邪気な笑顔で即答した。
「じてん!」
「ああ、屋敷にある例の分厚い大辞典ですかい。なるほど、あんな難しい本からそんな情報を見つけてくるなんて、坊ちゃんはやっぱり賢いなぁ!」
(……ふぉふぉふぉ。これでこの言い訳、二回目じゃな。なんでも載ってる『アルテリウム大辞典』さまさまじゃわい)
内心でゲスい笑いを浮かべながら、カイトはゴドーに改修を任せた。
***
そして、翌日。
松脂と麻の繊維でガチガチに隙間をコーキングされ、膝の高さまで板を継ぎ足された源泉の木枠を覗き込み、カイトは満足げに頷いた。
漏水が完全に止まったことで逃げ場を失ったお湯は、地下からの圧力で押し上げられ、地面から『二十五セル』の高さで水面がピタリと止まっていた。
そこへ、木材を担いだゴドーがやってきた。
「おう坊ちゃん。昨日言われた通り、水が漏れねえように木枠を上に足しといたぜ。……でも、水面はその途中で止まっちまったな。これじゃあ、あっちの湯桶までお湯を流し込む高さが足りねえんじゃねえか?」
「ゴドーのおじちゃん、ありがとう! だいじょうぶだよ。ねぇ、この わくの 大きさは どれくらい?」
カイトが木枠の幅を指差すと、ゴドーは首に巻いた手ぬぐいで汗を拭いながら答えた。
「これかい? これは俺たち大工の基本寸法、『一間』だな。百八十セル四方で作ってあるぜ」
「そっかぁ。じゃあね、この わくを『はんぶん』に して、たかさは 百二十セルまで あげて!」
「……は? 半分?」
ゴドーは思わず素っ頓狂な声を上げた。
(……ふぉふぉふぉ。枠を半分に絞れば、断面積は『四分の一』。お湯の逃げ場が減る分、水面は四倍の『一メル』まで跳ね上がる!
その高低差を使って五十メル先へ流し込めば、完璧な勾配で運べるし、お湯も適温まで下がる。……一石二鳥の完璧な寸法じゃわい!)
カイトの脳内で、現場の寸法と流体力学が完璧な答えを弾き出していた。
「ちょ、ちょっと待て坊ちゃん! ただでさえ水面が上がってきてるのに、枠を半分になんて狭くしたら、お湯が上に溢れちまうぞ!?」
「うん! だから、たかさを 百二十セルに するの! そしてね、おふろの ほうを むいてる 板の、ピッタリ 一メルの ところに 四角い『あな(切り欠き)』を あけて、そこから あっちの おふろに つながる 道(樋)を くっつけて!」
「…………はぁ?」
ゴドーは頭を掻きむしった。
作るのはさほど難しい事ではないが、温泉を引いた事のないゴドーには理屈がまったく分からなかった。
「今、お湯が、二十五セルまで 上がってるから、はんぶんに すれば 一メルまで 上がるよ」
そこに、圧密を行った現場を見るために通りかかったウォルターとバッカスが足を止めた。カイトとゴドーの会話が気になったようで、ウォルターがバッカスに断りを入れて近づいてくる。
「すみません。何やら面白いことを話していたようなので気になってしまって」
「いや、坊ちゃんの言ってることが分からなくってさ」
ゴドーは肩をすくめた。
ウォルターは顎に手を当て、カイトの言葉を反芻するように呟いた。
「計算では、たしかに水面は一メルまで上がりますね。しかしピッタリ一メルのところに穴を開けると、水面がそこでギリギリ釣り合って止まってしまいます。それではお湯が流れないのでは?」
「うん! とまるよ!」
「止まる!? それじゃ意味無いじゃねぇか!」
ゴドーが思わず声を荒げた。
「とまらないと、おふろの おそうじが できないでしょ?」
カイトのあまりにも堂々とした幼児の理屈に、横で聞いていた内政官ウォルターも目を瞬かせた。
たしかに、お湯が常に流れ続けていれば浴槽の掃除はできない。だが、ならばどうやってお湯を出すというのか。まさか、魔法の弁でも付けるつもりだろうか。
「……それはそうですが、では、どうやってお湯を出すのです?」
ウォルターの疑問に、カイトはニヤリと笑い、大工仕事で余っていた『分厚い木の板』を指差した。
「この 厚い 板をね、作ってもらう わくの なかに ズボッて いれるの!」
カイトは無邪気に、大工仕事で余っていた分厚い木の板を指差した。
「板を?」
ゴドーは依然として首を捻っている。
枠の中に板を入れたところで、ただの邪魔な壁になるだけではないのか。
だが、隣に立っていたウォルター内政官の様子は違った。
彼の頭脳の中で、「九十セルの内枠」と「分厚い板」というピースがカチリと音を立てて組み合わさった瞬間、その整った顔からスッと血の気が引いた。
「ま、まさか……!」
ウォルターは信じられないものを見るような目で、小さな五歳児を見下ろした。
「ウォルターのおっさん、どうしたんだ? 板を入れるのがそんなにスゲーのか?」
バッカスが胡散臭げに尋ねると、ウォルターは震える声で解説を始めた。
「……バッカス殿、ゴドー殿。考えてもみてください。九十セルの枠に、例えば十セルもの分厚さがある板を差し込めば……内側の空間はどうなりますか?」
「そりゃあ、板の分だけ狭く……はっ!」
バッカスがハッと息を呑んだ。
「その通りです。内側の体積が狭まったことで、一メルで釣り合っていたはずの地下からの水圧の限界値が、さらに『上』へと跳ね上がる。……つまり、逃げ場を失ったお湯は、一メルの切り欠きの穴から溢れ出すことになります!」
「なっ……! じゃ、じゃあ、その板を引っこ抜けば……」
「ええ。元の体積に戻り、水圧の限界値が一メルに下がる。……お湯は切り欠きの縁でピタリと止まり、流れは止まる」
その事実を口にした瞬間、ウォルターはあまりの衝撃に膝から崩れ落ちそうになった。
ただの木の板。一枚の抜き差しで、水圧を完全に操る止水栓が完成する――魔力も機構も一切不要で。
「……信じられん。一切の魔力も複雑な機構もなしに、体積と水圧だけで……これほど無駄のない止水栓を構築するとは……!」
高低差の確保による流れの調整。
そして、メンテナンスを容易にするための物理スイッチ。
魔導の素養があるウォルターだからこそ、魔法に頼らず物理法則だけで現場をねじ伏せる五歳児の恐ろしさが、痛いほど理解できた。
「ウォルターのおじちゃん、だいせいかい! あと、いたを はんぶんにすれば、おゆがチョロチョロにもなるよ」
カイトがパチパチと小さな手を叩いて微笑む。
「……板を、半分に……? あっ!?」
ウォルターはハッと息を呑み、再び木枠を見つめた。
「そ、そうか……! 板の厚みで体積が変われば、水面の高さも勢いも変わる……板を替えるだけで湯量調整まで!?」
(……ふぉふぉふぉ。さすが南部のインテリ内政官、話が早い! 厚い板ならドバドバ、薄い板ならチョロチョロ。これで微調整もバッチリじゃ。理屈が通じりゃ、あとは作るだけじゃ!)
「ゴドーのおじちゃん! だから、あつい板と、うすい板、どっちも ピッタリ はまるように、わくの なかに『みぞ』を ほってね!」
「あ、ああ……! 分かったぜ、坊ちゃん!」
もはやゴドーは、目の前の幼児が口にする言葉に一切の反論を抱かなかった。
ただ、その指示に従い、職人として最高の仕事を成し遂げるだけだ。
泥靴村の温泉広場に、ウォルターの戦慄の吐息と、ゴドーのノコギリの音が再び響き始めた。
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