第82話 内政官、湯加減に肝を冷やす
本日二話目
「そぉい! そぉい! そぉい!」
泥靴村の広場では、南部のガチムチ百人衆の半分と工兵たちが汗だくになりながら、丸太の上に載せた巨大な『湯桶』を、源泉から五十メル先の設置場所へと大移動させていた。
「おい、もっと右だ! 勾配がズレるぞ!」
「待て、そこで一回止めろ! 湯桶の土台に水準器を当てるぞ!」
石工の親方であるダンが、カイト特製の『水準器』を、湯桶を載せる木組みの土台にピタリと当てた。
中央に垂らされた麻糸の重りが揺れ、やがて基準の印と重なってピタリと止まる。
「……よし、ドンピシャだ! 土台を固定しろぉ!」
「「「うおおおっ!!」」」
ダンの号令に男たちが歓声を上げ、凄まじい手際で巨大な湯桶が正確な位置へと据え付けられていく。
(……ふぉふぉふぉ。ダンのおっさん、すっかり水準器の使い方が板についてきおったわい。せっかくの温泉も、湯船が傾いてしまっては気分が台無しじゃからな。職人の基本じゃ!)
「ゴドーのおっさん、屋根の骨組みはまだか!」
「うるせえ! 湯桶を固定したらすぐに仮組みの屋根を被せるから待ってろ!」
温泉の存在を聞いた瞬間から「絶対に入る」という凄まじい執念を燃やした男たちが、マンパワー全開で動き出した。
源泉から一直線に伸びる五十メルの『木の樋』と、湯桶の設置作業は驚異的なスピードで進められていく。
なぜこれほど異常な熱気で急ピッチの作業が進んでいるかというと、明確な理由があった。
本来、二ヶ月で領地へ引き上げる予定の五十名には『粗朶マット作り』の最終実習が割り当てられていた。しかし彼らは「二ヶ月で温泉ができる保証がない! 俺たちも居残り組になりたい!」と、幼児のように本気で駄々を捏ね始めたのだ。
そこでカイトは、彼らが帰還する前に確実に温泉を完成させるべく、この村で越冬する予定である『居残り組』の五十名を急遽、温泉作りに投入し、工期を大幅に早めさせたのである。
(ふぉふぉふぉ。適材適所、そして『ご褒美』によるモチベーション管理じゃ。自分で苦労して作った温泉なら、今後のメンテナンスもサボらんじゃろうて!)
黄色いヘルメットを被った小さな現場監督が見守る中、わずか数日で、真新しい木の香りが漂う『屋根付きの湯桶』と、そこへ向かって一直線に伸びる五十メルの木の樋が完成した。
湯桶の周りには粗朶マットの上に少しだけ傾斜がついた木製のデッキが組まれ、まるで高級宿の露天風呂のような風情を醸し出している。
傾斜したデッキは溢れたお湯が粗朶の地面へスムーズに流れるよう排水が組まれており、温泉が泥の上を伝って沼に溜まる設計。これで温泉成分が徐々に沈殿し、泥パック用の上質な泥が自然発生するよう仕組まれていた。
(……ふぉふぉふぉ。排水で泥を育てておけば、いつでも泥パック無料じゃわい!)
その真新しい湯桶をぐるりと囲むように、南部の百人衆や工兵たち、そして女将としてやる気満々のマダム・ゴンザレスが集まっていた。
「さあ! 泥靴村にとって初めての温泉よ!まずはお湯がちゃんと流れてくるか確認してちょうだい!」
ゴンザレスが扇子をバサッと広げて急かすと、男たちも「おう!」と歓声を上げる。五十メルの向こう側、源泉の木枠の横にはカイトとゴドーがスタンバイしていた。
「ゴドーのおじちゃん! スイッチ・オンだよ!」
「おう! 任せとけ坊ちゃん!」
ゴドーが、カイトの指示で作った『分厚い差し板』を持ち上げ、木枠の溝に合わせて上からズドン!と差し込んだ。
その瞬間――。
『ザァァァッ!!』
源泉の木枠の『一メル』の高さに開けられた切り欠きから、逃げ場を失った五十度の熱湯が溢れ出した。
もうもうと白い硫黄の湯気を立ち昇らせながら、お湯は木の樋を伝って、五十メル先の湯桶へとジャーッ!と勢いよく流れ下っていく。
「おおおおっ!! きたきたきたぁっ!!」
「本当に板を一枚刺しただけでお湯が吹き出しやがった!」
歓声を上げる男たちの前で、湯桶にはあっという間に無色透明の美しい温泉が満たされていく。
だが、ここでウォルターがふと顔をしかめた。
「……待て。源泉の温度は五十度だと聞いている。そのまま流し込んでは、熱すぎて火傷してしまうのではないか? 水で薄めるにしても、ここから水場は遠いぞ」
ウォルターの懸念を聞き、一番前にいたマルコがおそるおそる湯桶に流れ込むお湯に手をソーっと入れる。
「熱くないぞ……?」
マルコは目を丸くし、今度は両手で湯を掬うように手のひらにお湯を溜めた。
「問題ない。…… 火傷するような熱さじゃない……!」
「な、なんだと!?」
ウォルターも慌てて湯に触れてみる。
五十度はあったはずの熱湯が、四十度強の温度に下がっているのだ。
水魔法で冷ましたわけでも、水を足したわけでもない。
ウォルターはハッとして、湯桶から源泉へと続く『五十メルの木の樋』を振り返った。
「……まさか、ここまで計算に入れた木の樋の距離なのか!」
ウォルターの背筋を、再び強烈な戦慄が駆け抜けた。
五十メルという距離は、ただお湯を流すための落差(勾配)を作るためだけではなかったのだ。
温泉宿を地盤の硬いところに作るために、この長い樋で旅館までの距離を縮めようとしているのだと錯覚し、一人で勝手に納得していた自分が、どれだけこの幼児の『真意』を見えていなかったかを痛感させられた。
「五十度の熱湯を、あえて屋根のない木の樋で長距離を流し……外気と木の表面で自然に熱を奪い、湯桶に溜まる時に『適温』になるよう計算して……!」
インフラの配置距離すらも『冷却装置』として機能させる。その異常なまでの物理の掌握力に、ウォルターは驚愕に打ち震えるのだった。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今回の「五十メルの樋で冷ます」というアイデアは、実は私が草津温泉に行った際の実体験が元になっています。
湯もみ体験をした時に、「長い樋を通すことで、水を足さずに(成分を薄めずに)温度だけを下げる」という
湯畑の仕組みを聞き、その合理的な知恵に深く感動しました。
カイトなら、この物理現象を真っ先に利用して「魔法を使わずに完璧な湯加減」を実現するはずだと思い、
今回の描写に取り入れました。ウォルターの肝でお湯が冷めちゃうかも知れませんが。笑
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