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第69話 密偵から研修生! 地下室の商談

「……う、うう……」


マルコが意識を取り戻すと、そこはカビ臭さと埃、そしてジャガイモの袋や薪が山積みにされた、薄暗い地下室だった。


石造りの冷たい壁。首筋には、昨夜の「丸太の一撃ラリアット」の痛みが鈍く残っている。


「……起きたか、コソ泥」


正面に座っていたアルベルトが、地下室の空気の中で、氷のような視線をマルコに投げた。


彼は執務室から持ち込んだ椅子に深く腰掛け、腕を組んで泥棒を見下ろしている。後ろにはラインハルトとバッカス、そして安全帽を被ったカイトもいた。


「な、なんのことだ……俺はただの旅の商人……」


「白々しい。工房の錠を開け、我が領の重要機密であるミスリルの大槍に手をかけた。……あの魔石を剥ぎ取って、王都の闇市で売り捌くつもりだったんだろう?」


「…………」


「返答なしか。まあいい。……あいにくだが、この村にはお前のような小悪党を閉じ込める牢屋はない」


アルベルトが立ち上がり、一歩、マルコに近づく。


「だが、罪を不問にするつもりもない。……罪を償うなら、現場で汗を流すのが一番だ。そうだな。この村には、まだ運びきれていない石や土砂が山ほどある。それを、お前が全部運べ」


「……俺に、仕事をしろだと?」


マルコは縛られたまま、石の床を見つめて思考を巡らせた。


(……マズい。このまま「コソ泥」として扱われれば、死ぬまでここで強制労働だ。そんな時間は、南の領地にはない。もう嵐の時期が近いのに、川が氾濫し、村が泥に飲み込まれたら何人もの命が……)


マルコの脳裏に、主君であるオデール伯爵の悔しそうな顔が浮かぶ。


(……何も持ち帰れず、無様に捕まった。だが、この「泥靴村」で作られている道は、間違いなく閣下が求めていた治水工事の解決策だ。……ならば、いっそ。泥棒として果てるより、「密偵」として正体を明かし、交渉に持ち込めないか……?)


「……待て! 俺はただの泥棒じゃない!」

マルコが震える声で叫んだ。


その瞳には、盗人の卑屈さではなく、任務を背負った者の必死な光が宿っていた。


「俺は南部の南部のある伯爵閣下に仕える密偵だ! 殺すなら殺せ。……だが、殺す前によく考えてほしい。このフェルメール領が作っている『沈まない地盤』の技術……。昨年、南部では川が氾濫し、多くの民が泥に飲み込まれている。伯爵閣下は、その地獄を救う方法を必死に探しておられるんだ!」


「密偵だというのか?」


「閣下の命令は『技術の詳細を確かめ、可能なら持ち帰れ』だった! だから俺は……忍び込んで魔石を狙った。だが、今は違う! 奪うより、正式に『金』で買う交渉の席に着かせてくれ! 俺がその橋渡しをしてみせる! 伯爵家として対価を払う形で……人命がかかってるんだ!」


(こいつの言ってることが本当なら、教えるのはやぶさかでは無い。何しろ人命がかかっておるからのう、さてどうしたもんかのう)


「南部の伯爵で、昨年の水害で領地が大打撃を受けた伯爵……それなら、オデール伯爵家か?」


騎士のラインハルトが、密偵に問いかけた。


「そうだ。俺は南部のオデール伯爵に仕える密偵だ。懐の革袋に伯爵の印章が入っている。それで本物だと証明できる」


「……確か、去年の秋に黒竜川が決壊し、三つの村が被害にあったという話がありました」


ラインハルトはアルベルトたちに説明しながら、マルコの懐から革袋を取り出す。


そして中の印章を確認した。


「アルベルト様、少なくとも印章は本物です。……彼は、南部のオデール伯爵の配下で間違いありません」


ラインハルトが告げ、地下室に沈黙が流れる。

アルベルトは深刻な事情を抱えた密偵であるマルコをじっと見つめた。


その様子を見てカイトも考える。


(……そうか、 南の伯爵領は川の氾濫で困っておるのか。ならば『粗朶沈床そだちんしょう』はまさに救いの神。敵対するより、恩を売って労働力を得るのが一番じゃわい!)


カイトは、タッタッタとパパの膝に駆け寄った。


「ねぇパパ。こっそり、おみみ、かして?」


アルベルトが息子を抱き上げると、カイトはその耳元で、あざとく囁いた。


「………てつだって……………でも、おしえたら…………」


一通り伝えた後、耳から口を離すとカイトはニコリと微笑んだ。


「ね、パパ。このおじちゃんに、おべんきょう、させてあげて?」


その無邪気な提案――いや、あまりにも具体的でえげつない『労働力の確保と口止め』の提案を聞かされたアルベルトは、一瞬だけ目を丸くした。


(……大勢の仲間を呼んで、我が領の工事を手伝わせる? しかも他言無用だと? カイトは無邪気に言っているつもりだろうが……これを正式な契約に変換すれば、我が領にとって完璧すぎる条件になるぞ。……いや、待て。一つ足りない)


アルベルトは内心の驚きを隠し、コホンと一つ咳払いをすると、被っている安全帽ヘルメットの上から息子を撫でた。


「カイト、お前は優しい子だな。だが、大切な知恵をタダで教えてはいけないぞ。タダで得たものは軽く見られ、簡単に他人に話されてしまうからな。……価値を分かってもらうには、ちゃんとお金を取るべきなんだよ」


(……おお、パパ、その通りだな! ワシは労働力をふんだくることしか頭になかったが、高い受講料を払わせれば、元を取るために必死で働き、他所へ漏らさないよう自分たちで厳重に管理する。これぞ教育ビジネスの真理じゃ! さすが領主、ワシの盲点を見事に突きおったわい!)


「……だがカイト、お前の言いたいことは分かったぞ。後は任せなさい」


「うん」


アルベルトは向き直り、マルコに提案を切り出した。


「……マルコ。お前の身の振り方だが、一つ提案がある。我が領の『地盤改良』の技術を、オデール伯爵領に正式に提供しよう。ただし、我が領は慈善事業をしているわけではない。……まず、技術指導料として前払いで金貨百枚を支払ってもらう」


「金貨百枚だと……!?」


「高いと思うか? だが、これは我が領の存立に関わる機密だ。それだけの価値があることを理解してもらう」


「いや、こちらとしては有難い限りだ!」


「そうか。この話は続きがある。……この道の作り方を習得するためには、半年間、我が領が進める道路の建設現場に研修生を派遣してもらい実習を受けてもらう」


アルベルトの言葉は、正論として地下室に響く。


「研修の人数制限は設けない。十人でも百人でも連れてくるがいい。人数が多ければ多いほど、貴領へ持ち帰れる技術の練度は上がる。……もっとも、その分、我が領の道路工事を手伝ってもらうことになる」


アルベルトは、さらに続けた。


「……そして、習得した技術の独占権は認めるが、他国や第三者への漏洩は厳禁だ。……どうだ、この条件で伯爵を説得できるか?」


マルコは震えた。


それはあまりにも理にかなった完璧すぎる「救済」を突きつけられたことへの、歓喜に近い衝撃だった。


金を払い、自分たちの手で泥にまみれて働く。だがそれは「技術を盗み出す」という不確かな賭けではなく、「確実に自分たちのものにする」という約束されたものだ。


「……分かった。オデール閣下なら、この条件を飲むはずだ。……いや、人命がかかっているんだ、飲ませてみせる! 俺を、今すぐ南へ帰してくれ!」


「分かった。なら解放しよう。ウチの息子に感謝してくれよ?発案者はコイツなんだから」


「いっしょに お道つくろうね、おじちゃん!」


パパの横で、カイトが満面の笑みで手を振った。


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