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第23話 異常な魔力圧と名工の懇願

ママは剣より強し

(……ん、んん……? 酷く体が重い。手足に鉛でも詰められたようじゃ……)


ふかふかのクッションの感触と、鼻腔をくすぐる微かな油の匂いで、カイトはゆっくりと重い瞼を開けた。


見覚えのない天井。どうやら先ほどの重油の海から救い出され、隣の控え室の長椅子に寝かされたらしい。傍らでは、リーザが心配そうな顔でミレーヌをあやしている。


(やれやれ、前世を含めても、ここまで完全に体力を使い果たして卒倒したのは初めてかもしれん。……幼児の体でダムの放流などやるもんじゃないな。指一本動かすのも億劫じゃわい)


カイトが内心で老人のようにぼやいていると、少し開いたままになっている隣の応接室との扉の隙間から、ひどく縮み上がった男の声が聞こえてきた。


「も、申し訳ございませんでしたっ……! まさか、あそこまでの力を持っているとは夢にも思わず……完全に私の職人としての目が濁っておりました……!」


「……ええ。本当に、節穴ですこと」


聞こえてきたのは、巨体を小さく丸めて平謝りするバッカスの声と、絶対零度の冷気を放つ母、エレナの声だった。


(おおぅ……ママ、まだ怒っとる。こりゃ親父も口出しできん空気じゃな……)


なんとか場を和ませようと思うが、魔力枯渇の反動で体がピクリとも動かない。仕方なく、カイトは掠れた声で傍らのメイドを呼んだ。


「……り、りーじゃ……」

「あっ! カイト様!」


カイトの微かな声に気づいたリーザが、弾かれたように顔を上げる。

そして、修羅場と化している隣室に向かって声を張り上げた。


「奥様! カイト様が目を覚まされました!」

「カイト!」


先ほどまでの般若のオーラを一瞬で霧散させたエレナが、ドレスの汚れも気にせず控え室へと飛び込んできた。

それに続くように、青ざめたアルベルトと、這うようにしてバッカス、ゼノスも顔を覗かせる。


エレナは長椅子に駆け寄ると、動けないカイトを優しく、だがしっかりと抱きしめた。


「ああ、カイト! 気分は悪くありませんか!? どこか痛むところは!?」


「いたくは、ないよ。でも、うごけない」


「魔力切れです。今日はもう何もしないでお休みなさい」


エレナはカイトの額にこびりついた油をハンカチで優しく拭うと、背後に控えるバッカスたちへと冷たい視線を向けた。


「……今日はこれで失礼いたします。今後のことについては、また後日」


「は、はい……っ! 誠に、誠に申し訳ございませんでした……っ!」


有無を言わさぬエレナの言葉に、バッカスとゼノスはただ深く頭を下げることしかできなかった。


行きとは打って変わって、大八車を改造した狭い車内は静まり返っていた。

御者台の隣にはリーザが座り、車内ではアルベルトがミレーヌを大事そうに抱いている。そしてカイトは、エレナの膝枕で横になっていた。

(……おおぅ、ママの膝枕。幼児の特権とはいえ、八十八歳の魂にはちと照れるわい。じゃが……心地よいのう)

「カイト、無理をしては駄目ですよ」

エレナの優しい手付きと馬車の揺れに、カイトは抗えない睡魔に引きずり込まれ、今度こそ深い眠りに落ちていった。


カイトたちが滞在している宿舎の部屋。

夕暮れ時になってようやく体力を少し回復させたカイトがベッドでまどろんでいると、部屋の扉が控えめにノックされた。

「……アルベルト様。夜分に申し訳ねぇ」



アルベルトが扉を開けると、そこには昼間の威圧感が嘘のように背中を丸めた大男のバッカスが立っていた。

その無骨な手には、場違いなほど可愛らしい包装の箱が握られている。


バッカスは部屋に入るなり、ベッドに横たわるカイトの脇まで進み出て、深く頭を下げた。


「坊ちゃん……いや、カイト様。昼間は本当にすまなかった。俺の職人としての驕りが、あんたを危険な目に遭わせちまった」


「おじちゃん、もうおこってないの?」


「あ、ああ……怒るどころか、俺がバカだった。本当に申し訳ねぇ」


気まずそうに目を伏せるバッカス。彼はそのままアルベルトとエレナの方に向き直った。


「それと……奥様方の汚れた服も、すべて俺に弁償させてくだせぇ。完全に俺の不手際だ」


その申し出に、アルベルトは慌てて首を横に振った。


「い、いや! 服の弁償などには及びません! カイトも無事でしたし、何よりこちらこそ、あなたの大事な……あの、最高級の絨毯を台無しにしてしまったわけですし。お互い様、ということで……」


(親父……お互い様で済む金額じゃないじゃろうに、本当に人が良すぎるわい)


カイトは内心で呆れつつも、親父らしい人の良さに少しだけ頬を緩めた。


しかし、バッカスは頑なに首を振る。


「……いいえ。絨毯のことは俺の自業自得です。それよりも、アルベルト様。俺は今日、どうしてもお願いの儀があって参りました」


バッカスは再びカイトの方へ向き直ると、その目に、昼間見せた「職人特有の異様な熱」を再燃させていた。


「ですが、その前に……どうか、汚してしまった皆様の服を弁償させてくだせぇ。これを受け取っていただけねぇと、俺の職人としての面目が立ちません。……お願いいたしやす!」


深々と頭を下げたまま動かないバッカスに、アルベルトは困り果てたように眉を下げた。


「しかしバッカス殿、先ほども申し上げた通り、こちらこそあなたの自慢の絨毯を……」


「絨毯なんて、また織ればいいんでさぁ! だが、カイト様の御身に万が一のことがあれば、俺は一生自分を許せねぇ! ……だから、どうか。服の代金は俺に持たせてください。……その代わりと言っちゃなんですが、一つ、『お願いの儀』があるんです」


「……お願い、ですか?」


アルベルトが問い返すと、バッカスはようやく顔を上げ、ベッドで横たわるカイトを真っ直ぐに見据えた。


「単刀直入に申し上げます。坊ちゃん……いえ、カイト様の魔導具は、今後一切、すべてこのバッカスに打たせていただけねぇでしょうか!」


「えっ……? す、すべて、ですか?」


アルベルトが目を白黒させる。バッカスはギラギラとした目で、カイトの小さな手を指差した。


「アルベルト様、恐れながら申し上げますが……あんたは、あ、いや、失礼。お気づきではないかもしれませんが、坊ちゃんの魔力は、ただ量が多いだけじゃねぇんです。異常なまでの『魔力圧』なんでさぁ」


バッカスは熱が入るにつれ、つい言葉が荒くなるのを押さえながら続けた。


「あんなデタラメな力を、その辺の三流職人が彫った石に流し込めば、今日のように一瞬で弾け飛びます。最悪の場合、破片で坊ちゃんの腕が……」


「腕が…?」


「あっ、いえ。気にしないでくだせぇ。ですが、それほど危険だってことなんです。だから、俺に打たせてくだせぇ! あの異常な圧をコントロールできる回路を彫れるのは、世界中探したって俺しかいねぇんです!」


必死に食い下がるバッカスに、アルベルトはたじろぎながらも口を開いた。


「し、しかしバッカス殿。お言葉はありがたいですが、私たちはここの人間ではありません。ここから馬車で丸一日かかる、田舎の領地に住んでいるのですよ? その度にあなたを呼ぶわけにも……」


「知ってます。俺が直接、泥靴領まで出向かせていただきやす」


「はい?」


「いや、ですから、俺が機材一式を持って、あんたらの領地までお伺いするって言ってんだ!……あ、いや、お伺いさせていただきます」


ハルバード一の親方の信じられない提案に、アルベルトはポカンと口を開けた。


「カイト様の魔力回路が落ち着いて、本格的に魔法の訓練を始める頃……五歳になる頃には、必ずや俺が参ります。……ただし、一つだけお願いがございます」


バッカスはそこで声を一段低くし、真剣な面持ちでアルベルトを見た。


「俺が伺うまでに、工房として使える『石造りの頑丈な建物』を……その、用意しておいてはいただけねぇでしょうか」


「い、石造り、ですか? 我々の領地は木造の家がほとんどなのですが……」


「馬鹿……あ、いや、とんでもねぇ! 坊ちゃんの力を甘く見ちゃいけねぇ。もし新しい魔石の調整中に暴発でもしてみろ、木造の家なんか一瞬で……あ、いや、火災の危険が非常に高いのでございます。俺、焼け死ぬのは、その、勘弁してほしいんでさぁ」


バッカスの必死の説得(と必死の丁寧語)に、アルベルトは苦笑しながらも頷いた。


「あ、母屋の隣に元代官の家だった石造りの物置がありますね。あそこなら頑丈で、火にも強いはずです」


「よし……! あ、いや、それは素晴らしい! では、五歳になった坊ちゃんに会えるまでに、そこの中身を外に出して、綺麗に掃除しておいていただけますか? どうか、よろしくお願いいたしやす!」


嵐のように喋り、最後は深々と頭を下げて去っていくバッカスの背中を見送りながら、カイトは内心で密かにほくそ笑んでいた。


(…… あやつ、敬語がまるでお似合いではないわい。じゃが、腕利きエンジニアが自ら来てくれるなら儲けもんじゃな。燃えない石造りのアトリエ……よかろう。掃除くらい、親父に頑張ってもらわんと…)


「パパ、おじちゃん、きてくれるの? うれしいねー」


カイトが無邪気に笑うと、アルベルトは「ああ、すごいことになったな……」と、息をつくのだった。

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