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第22話 黒い油の大惨事

ハルバードの職人街を、大八車を改造した馬車が進んでいく。


車内には、未だに落ち着かない様子で何度も上着の内ポケットを確認するアルベルトと、それを優雅にたしなめるエレナ、そしてミレーヌを抱いたリーザとカイトが座っていた。


(……やれやれ。親父、伯爵様から預かった金貨の重みで、昨日からずっと挙動不審じゃな。ママは昨日からずっとご満悦のようじゃが……)


カイトは、窓の外に広がる職人街の景色を眺めていた。馬車はやがて、街の最奥に鎮座する石造りの工房へと滑り込む。


伯爵家御用達、『バッカス魔導工房』だ。


伯爵の推薦状を見せたとたん、工房のスタッフたちが最敬礼で出迎える。

リーザは前に予約を取りにきた時とのあまりの対応の差に驚いた。


案内されたのは、貴族や豪商相手に商談を行うための豪奢な応接室だった。壁にはタペストリーや意匠を凝らした魔導具や杖がいくつも飾られており、床にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。


そこで待っていたのは、若いながらも神経質そうな目つきをした魔導刻印師、ゼノスだった。彼は伯爵の推薦状を恭しく受け取ると、深く頭を下げた。


「本日はカイト様の魔力回路を開くための基礎測定を行います。少し集中を要する作業となりますので、奥様と赤ん坊はどうぞ隣の控え室でおくつろぎください」


ゼノスに案内され、エレナは頷いてミレーヌを抱いたリーザと共に隣室へと移動していく。


室内に残ったのは、カイトとアルベルト、そしてゼノスの三人だけとなった。ゼノスは改めてカイトの前に座ると、テーブルの上に一個の魔石を置いた。


まずは回路を開く。つまり、魔力溜まりから魔力を引き出して魔石に魔力を通すところから指導を開始するようだ。


「まずは基礎測定です。ぼうや、この『光』の魔石を握って、ゆっくり魔力を流してごらん。……大丈夫、熱くはならないよ」


ゼノスの言葉を内心で鼻で笑いながら、カイトは無造作に魔石を掴んだ。


(ほう、これが魔石か。丸い水晶のようじゃの。半球の平らな面に何かが彫られていて、これが回路だな……。で、これに魔力を流せば良いのか。ほんの小指の先ほどでええじゃろ。……ちょいとな)


「……えいっ」


ピキィッ……パーンッ!!


発光する間もなく、魔石が内部から弾け飛ぶような鋭い破裂音を立てて、粉々に砕け散った。


「なっ……!? ゼノス殿、今のは一体!? カイトが何か不手際を……!?」

横で立ち会っていたアルベルトが、突然の破裂音にビクッと肩を跳ね上がらせた。


「いえ……魔力を通しただけです。ですが、握って一瞬で……!?」


ゼノスは目を丸くして、実験台に散らばった魔石の残骸と、キョトンとしているカイトの顔を交互に見比べた。


「お、おお、アルベルト様、これは凄いですな! 初めて石を握って一瞬で回路を繋げた上に、基礎用の石をパンクさせてしまうほどの魔力量だ」


ゼノスは興奮気味に何度も頷いた。


「でも困りましたね。これじゃあ、ご自身の『魔力溜まり』の底を探ってもらう前に石が保ちません。もう少し複雑な回路にして、物理的に抵抗を増やした石を持ってこないと」


そう言って奥の部屋へ下がると、ゼノスはすぐに新しい魔石を持って戻ってきた。


「おいゼノス! 待て! その魔石じゃだめだ!」


地響きのような足音と共に、奥の重い扉を蹴り開けて大男が怒鳴り込んできた。熊のような体躯に、焼け焦げた革エプロン。ハルバード一の偏屈職人にして工房の主、バッカスである。


バッカスはゼノスの手から新しい魔石をひったくると、鼻でフンと笑い飛ばした。


「お、親方! ですが、この子は魔力量が……」


「馬鹿野郎、節穴かお前は。真っ黒に焦げた欠片を見てみろ」


バッカスは、実験台に散らばった最初の魔石の残骸を、太い指先で弾いた。


「こいつは魔力が多いんじゃねぇ、流し込む『圧』が異常なんだ。お前が持ってきた程度の抵抗じゃ、また一瞬で吹き飛ぶぞ」


そして、バッカスは椅子に座るカイトを見下ろし、「生意気なガキ」を値踏みするような鋭い目を向けた。そう吐き捨てると、部屋の奥にある厳重な金庫へと歩み寄り、ガチャガチャといくつもの鍵を開けて一つの魔石を取り出してきた。


「……こいつは『魔力喰い』の石だ」

バッカスが持ってきたのは、くすんだ灰色をした、歪な形の無属性魔石だった。


「地中はるか深くから水分を引き寄せる『引き寄せ(アポーツ)』の刻印が彫ってある。一流の魔導師が全力で注いでも、たった一滴の水を引き上げるだけで底が見えねぇほど燃費が悪い代物だ。……ほら、握ってみろ」


バッカスは、ゴツゴツとした石をカイトの小さな手に押し付けた。


「お前のその異常な『回路』がどこまで保つか試してやる。魔力が空っぽになりゃあ、自分の『魔力溜まり』が体のどこにあるか、嫌でも分かるはずだ」


(ほう、地下深層からの汲み上げか。……ワシの魔力の底が見たいなら、とくと見せてやろうじゃないか)


「わかったー! ぎゅーってするね!」


カイトがあどけない笑顔で魔力を全開にした次の瞬間――。



ゴオオオオオオオッ……!!



灰色の魔石が不気味な黒光りを放ち、部屋中の空気が重低音を響かせて震え始めた。


「なっ……!? 嘘だろ、あの石の許容量を『満タン』にしやがった……!?」

バッカスの顔から血の気が引き、ゼノスが腰を抜かしてへたり込む。


赤熱した魔石から発生したのは――。


ズブブブブ……ニュルルルルッ……ブシャーッ!


それは清らかな水などではなかった。地中深くの奈落の底から強制的に引き寄せる力が到達した結果、現れたのは、の真っ黒な「油」だった。


黒い蛇のようにウネウネと魔石から這い出した液体が、ボタボタと床へ滴り落ちる。


「ヒッ……!? な、なんだその不気味な油は!?」

「ぎゃああああ! 俺の最高級の絨毯が! 絨毯があああ!」


黒い油が自慢の絨毯を無慈悲に侵食していくのを見て、バッカスが阿鼻叫喚の悲鳴を上げる。

だが、その惨状を笑って眺める余裕は、カイトにはなかった。


(……い、いかん。ちとバルブを開けすぎたわい。目の前が、真っ暗に……っ)


限界を超えて魔力を放出した幼児の肉体は、すでに限界を突破していた。急激な魔力枯渇による、初めての「ガス欠」だ。


「……べ、弁償代……」


背後で父アルベルトが白目を剥きかけた、まさにその時。

カイトの手から魔石が転がり落ち、その小さな体は糸が切れたようにパタリと床に崩れ落ちた。


「わーーーーッ! カイトォーーーーッ!!」


絨毯を抱え込んで泣き叫ぶバッカスの声に被さるように、完全にパニックに陥ったアルベルトの絶叫が、油の匂いが充満する応接室に響き渡った。


「――カイト!!」


バンッ! と隣の待合室とを繋ぐ扉が勢いよく開き、ミレーヌをリーザに預けたエレナが血相を変えて飛び込んできた。


異音と絶叫を聞きつけて駆けつけた彼女の目に映ったのは、部屋を侵食する黒い油の海と、その傍らで倒れている愛息の姿だった。


エレナは靴やドレスの裾がドロドロの黒い油に汚れることも意に介さず、一直線にカイトの元へ駆け寄る。


「ア、アルベルト! あなた、叫んでいないで早くカイトを別なところに寝かせなさい! 何をぼやぼやしているのですか!」


「ひぃっ!? す、すまないエレナ! あまりに一瞬のことで、私も呆気にとられてしまって……!」


妻の剣幕に弾かれたように、アルベルトは慌てて油の海へ踏み込み、倒れたカイトを抱き抱える。


エレナはカイトの顔色を素早く確認し、魔力枯渇による気絶であると悟ると、ゆっくりと立ち上がった。


その瞬間、部屋の空気が凍りついた。


普段は一歩下がって優雅に微笑んでいる彼女の背後には、般若のオーラが立ち上っていた。カオスと化していた室内が、その絶対的な威圧感によって一瞬で静まり返る。


エレナはズカズカとバッカスの目の前まで歩み寄った。

その足元には、カイトの手から転がり落ちた『歪で不気味な灰色の魔石』が転がっている。


「あ、あああ……俺の絨毯が……」


「俺の絨毯がじゃありません!!」


「……ハルバード一と名高い魔導工房の親方様ともあろうお方が」

地を這うような、静かで低い声。


見上げるほどの大男であるバッカスが、自分より頭二つは小さなエレナから放たれる圧倒的な殺気に、思わずビクリと巨体を震わせる。


「魔力回路を開きに来ただけの、ほんの四歳の幼児相手に……あのような異様で大きすぎる魔石を握らせるなどと。うちの子に、一体なんてことをしてくれたのですか?」


「ひ、ヒィッ……! そ、それは、その……」


「もしカイトの身に何かあれば、絨毯の『弁償』どころの騒ぎで済むとは思わないことですわよ」


極寒の笑みを浮かべたエレナの宣告に、先ほどまでふんぞり返っていた偏屈職人は、自身の絨毯の惨状も忘れ、カチカチと歯の根を鳴らして青ざめるのだった。


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