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第21話 懐の重みとパパの挙動不審

ほのぼの回

伯爵邸の重厚な扉が背後で閉まった。


ようやく戻ってきたのは自分たちの馬車。大八車を無理やり改造した、いつもの狭い車内だ。


「終わった。本当に、あの伯爵様からこれほどの信頼と融資を勝ち取れるとは」


アルベルトは窮屈な座席に深く沈み込み、まだ震えの止まらない手で内ポケットの重みを何度も確かめていた。


「あなた! 見た? あの伯爵様の驚いたお顔! カイト、おいで! あなたは本当に、うちの自慢の息子よ!」


エレナは、カイトを座席に引き寄せると、カイトの頭をキュッと抱き込んだ。


「ママ、くすぐったい」


アルベルトがようやく震えを止め、吹っ切れたような顔でカイトの頭を撫でた。


「カイト。お前があれをどうやって思いついたのか、パパには想像もつかない。だが、これでパーティーの準備も、お前の未来も、伯爵様が保証してくださったんだ」


「ええ! そうよ、あなた! ねぇ、それならこのまま仕立て屋へ向かいましょう! この勝利の勢いで、カイトに最高の一着を選んであげたいわ!」


「えっ、今からか? せめて一度宿舎に戻って」


「ダメよ! この喜びと感謝の気持ちがあるうちに選ばないと、カイトに失礼だわ!」


エレナの勢いに押され、馬車は宿舎を通り過ぎ、ハルバードでも指折りの高級仕立て屋へと進路を向けた。


数日前に採寸を終えたばかりだが、今日は生地の選定と仮縫いだ。

ずらりと並んだ色とりどりの反物を前に、エレナの目はかつてないほどキラキラと輝いている。


カイトは再びあの高い台の上に立たされていた。


(……やれやれ。採寸は済んだんじゃから、それっぽい布で適当につくってくれれば良いものを。パパの財布のライフはもうゼロに近いというのに、ママのやる気はマックスじゃな)


カイトは、店員が恭しく広げる生地の束を、エンジニアが素材のカタログを見るような目で見つめた。


「まあ! このシルクの光沢、カイトの肌の色にぴったりじゃないかしら? アルベルト、どう思う?」


「え、ああ、そうだな……。だがエレナ、その生地は王都からの輸入品で、値段が……」


アルベルトの顔が引きつる。だがエレナの耳には届かない。彼女は次に、深みのある濃紺のベルベットをカイトの体に当てた。


「それとも、このベルベット? 騎士の家系らしく、力強さが出るわ。刺繍は金がいいかしら、それとも銀?」


(……ママ、その厚手のベルベットより、普段着のコットンのシャツでいいんじゃ。それに銀の刺繍は酸化して黒ずみやすい。メンテナンス性を考えるなら、「なし」のがいい……)


「……まま、これ、重たい。カイト、肩こっちゃうよ」


カイトはあざとく、幼児の言葉で「軽さ」を訴える。だが、店主がさらに奥から、黄金麦を食べて育つ希少な獣の毛をフェルト状に加工した特級品の箱を持ってきた。


(……ほう。黄金麦育ちのフェルトか。確かに独特の光沢があって見た目は文句なしじゃな。……じゃがな店主。少しでも擦れれば即座に毛玉だらけになるのが目に見えとる。そんな毛玉服、現場主義のワシには二流の設計にしか見えんわい!)


カイトは、四歳児として許される最大限の拒否権を発動した。


「……これ、ぴかぴかすぎて、はずかしいの! もっと、ふつうのがいい!」


カイトの安全性重視の主張と、エレナの見栄え重視の妥協点を探る作業はお昼を過ぎても続いていた。


「……まま、これ、ひらひらすぎるよぉ。カイト、もっと『しゅっ』としたのがいいな」


(おい店主、そのフリルは空気抵抗が大きすぎるぞ。現場で風に煽られたら即転倒じゃ。現場監督なら即座に不合格を出す欠陥じゃわい。断固拒否する!)


内心では現場監督としての怒号を浴びせていたが、エレナは聖母のような微笑みを浮かべたまま、そのフリルをカイトの体に当てがう。


「あら、そんなことないわよ。このフリルが、カイトの柔らかい頬のラインを強調して……。ねえ、リーザ、そう思わない?」


「ええ、本当にかわいらしいですわ!」


リーザに抱かれたミレーヌが、目の前で「ひらひら」と揺れる白い布に、大きな瞳を輝かせた。


「あうー! きゃうー! きゃっきゃっ!」


その無邪気な「賛成票」が、店内に響き渡った。


「……あら! ミレーヌも、お兄様がこれがいいって言ってるわ! 決まりね!」


エレナの目が、決定的な勝利を確信して光る。


(おのれミレーヌ! お前、敵の回し者か!? その笑顔が、兄の可動域を奪うことになると知っての所業か! ……くっ、そのキラキラした目で見られたら、何も言えんではないか……!)


カイトは天を仰いだ。


数々の難工事を指揮してきた「鬼の親方」も、愛する妹の歓声と、母親の暴走する審美眼の前には、ただの「着せ替え人形」として敗北を認めるしかなかった。


「……わかったの。ミレーヌがいうなら、カイト、これきるの……」


真っ白に燃え尽きた顔でカイトが呟くと、アルベルトがそっと肩を叩いた。


「……諦めろ、カイト。パパも、その色のネクタイだけは嫌だと言ったんだが、結局これだ。……フェルメール家の男は、女たちの笑顔には勝てない運命さだめなんだよ」


親父の財布だけでなく、心まで削られている様子に、カイトは深く頷き返した。


仕立て屋を出た一行は、夕闇が迫り始めたハルバードの中央市場へと足を向けた。


アルベルトは、上着の内ポケットを先ほどから何度も叩いている。伯爵から渡された金貨の袋は、かつての家では拝むことすら叶わなかった重みだった。


(やれやれ。親父、大金を持つ気持ちはわかるが、挙動不審すぎてワシが盗賊なら真っ先に狙うわい)


エレナが立ち止まり、夫の顔を覗き込むようにして言った。


「あなた。村長さんや村の人々へのお土産を選びましょう。一家総出で出てきてしまいましたもの。領主としての配慮は欠かせませんわ」


アルベルトは内ポケットを無意識に押さえたまま、落ち着かない様子で頷いた。


「ああ、そうだな。……だが、エレナ。あまり高いものは良くないぞ」


一行は酒樽が並ぶ店に足を止めた。カイトが棚の一角を指差す。


「パパ! これ、おじいちゃん、よろこんでくれるかな?」


「お、おう。ハルバードの酒か。……店主、これ、いくらだ? ……ええい、銀貨五枚だと!? 高すぎる、誰がそんなものを買うんだ!」


アルベルトは店主の提示した価格に、反射的に噛み付いた。かつての困窮を知る彼にとって、酒一本に銀貨五枚を出すなど正気の沙汰ではなかった。


「……店主、もっとこう、手頃なものはないのか? 銀貨一枚くらいで、しっかりした酒をな」


結局、アルベルトは銀貨一枚の酒を二本選んだ。一本は村長への土産、そしてもう一本は、自分へのささやかな労いである。


続いて一行が通りかかったのは、塩の専門店だった。山積みにされた特産の岩塩を目にしたカイトは、ふと足を止めた。


(おお、なんとも良さそうな岩塩じゃ。炎天下での重労働には、十分な塩分が不可欠。……福利厚生という言葉は知らぬだろうが、塩ならいくらあっても困らん。現場を支える生命線じゃからな)


「パパ! これ、きれいな塩! これたべると、みんな、おしごと、がんばれるよ!」


カイトが訴えると、アルベルトの目が真剣なものに変わった。贅沢品を拒んだ時とは違う、領民の命を預かる主としての視線だ。


「……塩か。村の連中には何よりの配慮になるな。こればかりは命に関わる必需品だ」


アルベルトは躊躇なく、店主に向き直った。


「店主、この岩塩を樽で一樽、手配してくれ。フェルメール領まで送ってもらいたい。……ああ、金はこれだ」


アルベルトは、わずかに震える手で店主に金貨を差し出した。


買い物袋と土産の山を抱え、一行は宿舎へと戻った。

アルベルトは部屋に入るなり、真っ先に金貨の袋を取り出し、机の上で中身をぶちまけた。


「……不思議なものだ。借金に追われていた頃よりも、今の方が胃が痛い。金が出ていくたびに、命を削られている気分だ」


「あら、それはあなたが誠実な証拠ですわ、あなた」


エレナが微笑み、ミレーヌを寝かしつける。

カイトは窓の外に広がるハルバードの夜景を眺めながら、静かに自身の魔力を練り始めた。


(明後日は回路の開放じゃな。一歳から密かに魔力を回し続け、今も絶賛循環中じゃ。人生やり直しの絶望を忘れさせた魔法じゃからな。都会の職人がワシにどんな未知の儀式をするやら、楽しみじゃわい!)


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