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第20話 神の目、運命を変える一手

重厚な扉が開かれ、カイトは父アルベルトと母エレナに伴われて、ハルバード伯爵の応接室へと足を踏み入れた。


部屋には香り高い香料がかすかに漂い、伯爵は革張りの椅子に腰かけ、街の統治者としての重みを背中で感じさせていた。


(……なるほど、これが伯爵か。ソロバンを弾くのが仕事の顔じゃな。情けで金は貸さん、だが利には敏そうじゃ。典型的なやり手の顔だわい)


まずは挨拶だ。アルベルトに促され、カイトは一歩前に出て、エレナに指導された作法を披露した。


「ハルバードさま、おはつにお目にかかります。フェルメール家ちゃくなん、カイトにございます。本日はおまねきいただき、かんしゃもうしあげます」


伯爵の眉がわずかに動く。


お披露目前の四歳にしては出来すぎている。だが、感銘を受けたというほどではない。あくまで「躾の行き届いた子供」という評価を頭の隅に置いた。


そこから伯爵の「探り」が始まった。彼はアルベルトを無視するようにして、エレナに静かな声を向ける。


「おお、エレナよ。久しいな。ベルノー卿はお元気か。あちらの穀倉地帯の出来はどうだ。今年は水に苦労していると聞くが」


エレナは微笑みを絶やさず、優雅に頭を下げた。


「お久しぶりでございます、伯爵閣下。お顔色もよろしいようで、何よりです。父も相変わらず頑固に元気にやっております。水については、ベルノーの家訓に従い、領民と共に分かちあっておりますわ」


(ママは「どっか良いところの令嬢なんじゃろうな」とは踏んでおったが、やはり貴族出身だったか。道理で、あんな泥沼の領地に嫁いできても気品を失わんはずじゃ。そのママの実家の探りを伯爵がしてるってことは、ワシのじいちゃんは、それなりに力があるって事じゃの)


事実、伯爵の視線は冷徹に、そしてようやくアルベルトへと向けられた。


「……さて。フェルメール卿、本題に入ろう。借財の件だ。率直に聞くが返す当てはあるのか」


アルベルトは、あらかじめ練り上げてきた案を必死に説明した。浮き桟橋による鉄鉱と泥炭の採取量の増加だ。


だが、伯爵の追及は鋭い槍のようにアルベルトの言葉の隙間を突く。


「二倍、か。……フェルメール卿、貴公はその鉄をどこへ売るつもりだ?」


「……それは、需要の多い王都へ……」


「王都へ出すには、ボルドー子爵の街道を通るしかない。あそこは私の政敵であるヴァロワ侯爵の派閥だ。貴公が鉄を運べば運ぶほど、ボルドーは通行税で肥え太り、ヴァロワの資金源になる。……つまり、私が貸した金が、巡り巡って敵の懐に入るということだ。わかっているのか?」


「そ、それは……しかし、現状のルートでは他に……」


アルベルトの言葉が詰まる。

伯爵はさらに追い打ちをかけるように、言い放った。


「仮に増産に成功したとしよう。だが、設備投資の返済、人足の賃金、そしてボルドーに毟り取られる通行税……残った純益で、私への借金を完済するのに何年かかる? ……十年か? 二十年か?」


伯爵の鋭い視線が、アルベルトを射抜く。


伯爵の言葉は、感情ではなく計算から来る不満だった。


努力は認めよう。だが、構造が悪すぎる。自分の寄子に金を出して、敵を利し、自分への見返りは気が遠くなるほど先になる。それではソロバンが合わないのだ。


伯爵は静かに問いを差し向けた。

「……ベルノーに頼ったのか」


アルベルトは間を置かずに答える。

「いえ、妻の実家に迷惑はかけられません」


その声に迷いはなかった。

伯爵はわずかに視線を細め、エレナへと一瞬だけ目をやった。

夫の言葉に偽りがないことを確かめるように。


その誇りは、確かに評価に値した。

だが、それでが合うわけではない。


部屋の空気は、依然として重いままだった。


「……主導権は閣下にあります。書状の通り、家族揃って参りました」

アルベルトがそう告げ、場が沈黙に包まれる。


追加融資は絶望的、というのがこの場の「答え」として固まりつつあった。


伯爵は、冷酷なまでに「理」を求めている。増産という小さな夢ではなく、この構造そのものを変える理屈がなければ、扉は開かない。


(……うーん、親父の説明だとここまでが限界じゃ。鉄が増えるだけじゃあ、このタヌキ伯爵は首を縦には振らん。……だが、物流が変わるとなれば話は別。ボルドーの街道を通らず、直接王都へ繋がる道……それを示す『証拠』が必要か? ガンタが工事を進めてくれてれば良いが…)


カイトは、服の中に隠していた「琥珀色のガラス管」をそっと手で触れた。

今、この部屋の空気は「不可能」で満ちている。


(これはワシだけの秘密兵器にしたかったんじゃがのう…)


カイトはトコトコと歩み寄り、一昨日手に入れたばかりの、ガラス管を、伯爵の目の前にある黒檀のテーブルに置いた。


「ん? なんだこれは? ……フェルメール卿、息子に妙な玩具を買い与えたのか?」


伯爵は鼻で笑ったが、カイトは構わずニコニコと笑いかけた。


「これね、すごいんだよ。これでおかね、いっぱい、かせげるよ!」


「カイト! 閣下に対して無礼だぞ! 申し訳ありません、閣下、すぐに……!」


慌てて手を伸ばすアルベルトに、カイトは視線を向けた。


「だって、このおじちゃん、このぼうのスゴさがわかってないんだもん」

子供特有の生意気さが滲む声だった。


「ふん。……そんな棒切れで、どうやって稼ぐというのだ。子供の戯言も大概にしろ」


「おうちが、ななめになってるかが、これでわかるの。このテーブルに、のせるね。……あ、やっぱり。みぎに、さがってる。きっとお部屋も、ななめだよ。たいへんだ!」


「……出鱈目を言うな。この城の応接間は、最高の職人が水平を測って作ったものだ」


伯爵の顔に不快感が滲む。だが、カイトは畳み掛ける。


「うそじゃないもん! ……おじちゃん、うそだと思うなら、おみずに、きけばいいよ。テーブルにおみずを、ちょっとだけ、たらしてみて? ぜんぶ、みぎにながれちゃうよ」


伯爵は一瞬沈黙した。あまりに堂々とした物言いに、毒気を抜かれたのだ。


彼は傍らに控える従者に顎をしゃくり、水差しの水を持ってこさせた。

伯爵は自ら、テーブルの上に水を数滴垂らした。

盛り上がった水滴が、表面張力に耐えかねて右側へとスッと流れ出した。


「……なっ!?」


伯爵はカイトの手からひったくるようにガラス管を取り上げると、鼻先まで近づけてマジマジと凝視した。


琥珀色の液体の中で、気泡がプカプカと生き物のように動く。管を右に傾ければ気泡は左へ、左に傾ければ右へ。常に「高い方」へと動いていく。


「……ふむ」


伯爵は、先ほど水が流れたテーブルの上に、もう一度その管を置いた。

気泡はやはり、右側へとスウッと動く。


だが、伯爵はそこで終わらなかった。今度は自分の手元で、管をゆっくりと、水平に近づけるように持ち上げていったのだ。


(……ほう、飲み込みが早いわい。どこが『平ら』なのか、こいつで探り始めたな)


ある一点で、気泡の動きが止まった。


琥珀色の液体の中でゆらゆらと揺れていた気泡が、管の側面に刻まれた「二本の細い傷」のちょうど真ん中に収まった。


(……くくく、驚け驚け。その傷はな、わしが昨夜、宿泊所のテーブルと格闘しながら、何度も何度も水を垂らして「真の水平」を出し、やっとの思いで刻んだ魂の一本なんじゃからな)


「……信じられん。向きを変えても、場所を変えても、この『泡』は常に高い方へと動き、一定の傾きを示している。……そしてこの傷こそが、その絶対的な『水平』の基準というわけか」


伯爵の顔から余裕が消えた。


彼はこの時、理解したのだ。この傷一本があるだけで、測量の経験など一度もない素人であっても、この世のどこへ行こうと「完璧な水平」を再現できてしまうという恐ろしさを。


「フェルメール卿。……いや、アルベルトよ。貴公、この傷の持つ意味がわかるか?」


「え、あ、いや……」


「これはただの棒ではない……『神の目』だ」


ハルバード伯爵は管を指さし、興奮した声で続けた。


「これを使えば、暗闇でも経験の浅い者でも、この泡を傷の位置に合わせるだけで、石積みの精度は王都の職人をも凌駕する。排水路はもちろん、家屋や城砦さえ、この方法で建造できるのだ」


伯爵は、カイトが夜な夜なヤスリで刻んだその「わずかな傷」を、まるで宝石でも見るかのような目で見つめた。


(…… ワシが引くほど想像以上の食いつきじゃな。こっちがこそばゆくなるわい。じゃがその傷こそが、わしらフェルメール家が握る『特許パテント』そのものじゃ。この管をどれだけ真似て作ろうと、この『正確な傷』を刻む技術……すなわち校正のノウハウがなければ、ただの琥珀色のリキュールが入った棒に過ぎんのじゃからな!)


伯爵は、震える手でガラス管をテーブルに置き直し、今度は膝をついてカイトと目を合わせた。


「カイトと申したな……。お前、これに傷を付けたのは、お前自身か?」


「うん! これでね、おみずが、どこに流れるか、わかるようにしたの! おじちゃん、これすごいでしょ?」


カイトは、これ以上ないほど無邪気な子供の顔で、完璧な「未来の設計図」を突きつけた。


それを受けた伯爵の目が、一瞬で「強欲な商人の目」に変わった。カイトは計算通りに、さらに追い打ちをかける。


「これね、ガトこうぼうのおじちゃんがつくってくれたの。でも、もっといっぱい、つくれるよ。おじちゃん、これ、いくらにする?」


「……価値のわかる建築ギルドや軍の工兵なら、金貨三枚は出すだろうな」


(……よし、価格設定は「金貨三枚」で確定じゃ。さて、ここからが契約の肝じゃぞ)


「これをつくるのは、『ガトおじちゃん』のところでいいよ! でもね、できたのをそのまま売っちゃだめなの。フェルメールのおうちに持ってきて、ワシ……ぼくが、ちゃんと『まっすぐ』か確かめてからじゃないと、使えないんだよ」


「……校正、か。品質の保証をフェルメール領で行うということだな」

(……その通り。製造は外注、わしらは利権の核心である「検品」を握る。さらに……)


「あとね、これ、すぐ割れちゃうから、木の箱に入れてあげて。合格したやつには、フェルメールのおうちで『はんこ(焼印)』を押すの。はんこがないやつは、ニセモノだよ!」


伯爵はニヤリと笑った。


「……なるほど。検品済みのブランド化か。よし、決まりだ。ハルバード家が公認の測量儀として販売しよう。金貨三枚のうち、金貨一枚を『技術提供料』としてフェルメール家に支払おう」


「ありがとう、おじちゃん! これで、ぱぱのびんぼう、なおるね!」

カイトが満面の笑みで答えた。


(……ククク。このタヌキ伯爵、今は機嫌がいいが、後でこっそり別の工房にコピー品を作らせてマージンを抜こうと企むやもしれん。甘いわい。品質保証パテントの本当の恐ろしさと、独占契約の「縛り」を教えてやろう)


カイトは小首を傾げ、純真無垢な瞳で伯爵を真っ直ぐに見つめた。


「あ、でもね、おじちゃん。もし、はんこがない『にせもの』を使って、お家が斜めになっちゃったらどうなるの?」


「む?」


「『ハルバードのおじちゃんが売った棒のせいだ!』って、みんな怒るよね? そしたら、おじちゃんの大事な『はるばーど』のお名前に、ドロがぬられちゃうよ?」


伯爵の顔つきがピクリと変わった。


「だからね、もし『にせもの』を作る悪い人がいたら、おじちゃんが『めっ!』ってして、つかまえてね? おじちゃん、えらいからできるでしょ?」


(……どうじゃ。これで特許侵害の取り締まり(偽物排除)まで、この権力者に丸投げ完了じゃ。ワシらフェルメール家は、安全な領地で本物の検品だけしてマージンを吸い上げればいいのじゃ)


伯爵は、目の前の四歳児が放った言葉の裏にある「市場の監視と防衛を自分に押し付けた」という事実に気づき、微かに頬を引き攣らせた。


「……ああ。偽物を騙る輩は、我がハルバード家の名にかけて徹底的に排除しよう。安心するがいい……」

伯爵は羽ペンを取り出し、苦笑いを浮かべながら言った。


「……カイトよ。おじちゃんはやめてくれ。そして、アルベルトよ。融資の期限は白紙だ。借財のことはもう忘れるがいい。……末恐ろしい息子を持ったな」


アルベルトが「は、はあ……」と生気の抜けた返事をする横で、エレナが鈴を転がすような声で笑った。


「あら、閣下。カイトはとっても『可愛い』息子ですのよ? ねぇ、カイト?」

「うん! ぱぱ、ママ、大好き!」


(…母上、ナイスフォローじゃ。さぁ、これで借金は帳消しどころか、濡れ手で粟の、泡ビジネスの始まりじゃな)


呆気に取られた父を引っ張って、カイトは意気揚々と部屋を後にした。


いつもお読みいただき、ありがとうございます。

これで軍資金ゲットです。

作中で出る水準器(気泡管)は17世紀の発明品です。

当時は、長距離の運河や巨大建築を可能にし、世界の土木技術に劇的な革命を起こした凄いアイテム

らしかったのですが、現代日本だと100円ショップで買えちゃうんですよね(笑)。


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