第18話 初めての都会とパパの胃痛
「村長、急ですまないが鍵を預かってくれるか」
アルベルトが申し訳なさそうに、村のまとめ役である老村長、モズに屋敷の鍵を差し出した。
モズは「急ですなぁ」とボヤきながら鍵を受け取ったが、その視線はアルベルトの背後にいる小さな人影に釘付けになっていた。
「……アルベルト様、そちらにおられるのが、噂のカイト坊ちゃんで?」
モズとカイト。
村の運営を預かる老人と、現場を支配する幼児。二人が言葉を交わすのは、これが初めてだった。
モズは、現場の男たちが「鬼の親方」「魔王の生まれ変わり」と震えて噂していた四歳児をじっと見つめる。目は据わっており、ただの子供ではないことが一目で分かった。
カイトは、パパの影からモズを見上げた。
お人好しそうだが、村をまとめてきただけのことはある。他の村人のように、ただ怯えて縮こまっているわけではない。
カイトは、モズの視線を外さないその姿勢に、短くニヤリと笑みを浮かべた。
「おじいちゃん、だれ? パパの、おともだち?」
「ははは! こりゃ一本取られましたな。……坊ちゃん、ワシは村長のモズです。お留守の間、屋敷はしっかり守っておきますからな。……ですが、現場の連中が坊ちゃんの不在を喜んで、手を抜かないかだけが心配ですわ」
モズは、カイトの「中身」を見抜いた上で、茶化すように笑った。
カイトもそれに合わせ、無邪気な、しかし釘を刺すような一言を添える。
「モズ、るすばん、よろしくね! あと、みちをつくるおじちゃんたちがサボってたら、しかってね?」
「へいへい、承知いたしました。……さあアルベルト様、早く行きなされ。日があるうちに街道に出られなくなりますぞ」
モズに見送られ、アルベルト達は馬車に乗り込んだ。
大八車を改造した、男爵家唯一の「自家用馬車」だ。
そこへ、アルベルトとエレナ、腕の中にはまだ赤ちゃんのミレーヌ、そして大きな荷物を抱えたメイドのリーザがぎゅうぎゅう詰めで乗り込んだ。
馬車の窓からアルベルトが顔を出した。
「モズ。後は、よろしく頼む」
「旦那様。確かにお預かりいたしました。……ガラム、旦那様方をしっかりお送りするんだぞ」
モズの視線の先には、御者台に座り、手綱を握る大柄な男がいた。モズの息子、ガラムだ。彼は短く「ああ」とだけ応え、馬車がゆっくりと動き出した。
一行を乗せた馬車は、村を出てしばらくすると激しい揺れに見舞われた。
窓の左側には、見渡す限りの広大な湿地が広がっている。男爵領の道は整備されておらず、深い泥濘が車輪を阻む。
「ふぎゃっ、ふぎゃあ……! うわぁぁん!」
激しい振動に、赤ん坊のミレーヌが火がついたように泣き出した。
エレナとリーザが必死にあやし、アルベルトは苦い表情のまま窓の外を見つめている。御者台のガラムも、馬に負担をかけまいと必死に手綱を捌いているが、いかんせん道が悪すぎる。
(……やれやれ、この道も手付かずか。土木もクソもあったもんじゃないな。後で絶対舗装してやるわい。うぷっ、ま、待っとれよ……)
カイトは揺れる座席にしがみつき、車輪の沈みや馬の足取りを観察した。身体が傾くたびに、胃がむかむかと反応した。
ガタン!
馬車が大きく跳ね上がった直後、それまで車内を支配していた喧騒が、嘘のように消え失せた。
左側の湿地帯が途切れ、一行を乗せた馬車は、大陸を縦断する大動脈「北街道」へと合流したのだ。
「…………」
アルベルトは何も言わず、ただ深く溜息をついた。
彼にとって、この振動の消えたのは「安らぎ」ではない。
ハルバート伯爵という名の巨大な怪物との、勝ち目の薄い交渉の「合図」なのだ。
ようやく馬車が安定した街道に出て、少し乾いた場所で停車したとき、カイトは顔を背けて吐き気をこらえた。
(はぁ……この揺れ、勘弁して欲しいわい。これじゃ、余所から来る商人も旅人も、入り口で回れ右して帰っちまうぞい。この『玄関口』もどうにかせんと、領地の未来は無いに等しいわい……)
「カイト、大丈夫?」
エレナが心配そうにカイトの背中をさすり、その隣でリーザが手際よく水を含ませた布を差し出す。
「カイト様、こちらを。旦那様、奥様、ハルバードまではまだ距離があります。少しお休みください」
リーザの冷静な促しに、アルベルトは弱々しく頷いた。
「……すまない、リーザ。エレナ、君にも苦労をかける」
エレナがアルベルトの手を優しく握り、夫を励ますように微笑んだ。
(……やれやれ、お袋とリーザに支えられて、親父もなんとか形を保ってるな。だが、この『平坦な道』が続く限り、劣等感は消えんじゃろうな)
数時間後、夕刻前に魔導都市ハルバードへ到着した。
そこには、地方都市としては破格の規模を誇る石造りの城壁がそびえ立っていた。
門をくぐった先の街並みは、男爵領とは別世界だった。
石造りの二階建て、三階建ての商店が軒を連ね、道行く人々の服も男爵領とは比べ物にならないほど色鮮やかだ。街路には排水の溝が切られ、馬の糞すらこまめに掃除されている。
(……ほう、やるじゃねぇか。土木も公衆衛生も一応はしっかり作ってあるか……でも一見綺麗だが、 排水が上手くいっとらんな。水が途中で澱んでおるわい)
カイトが感心する一方で、窓の外を流れる豊かな景色は、アルベルトの胃をさらにキリキリと締め付けていた。
「旦那様、もうすぐ宿舎です」
リーザが冷たい水に浸した布を親父の額に当て、エレナはそっとその肩に手を添えた。
「あなた、大丈夫ですよ。カイトもミレーヌも一緒ですからね?」
「……ああ、分かっている。すまんな」
アルベルトはエレナの気遣いに無理やり笑みを返したが、その手は膝の上で固く握られたままだった。
馬車が寄子用の宿泊所に到着すると、アルベルトは手で胃を抑えながら、従者のガラムに指示を出した。一刻も早く伯爵に到着を知らせるためだ。
しかし、戻ってきたガラムの報告は、予想外のものだった。
「……旦那様。伯爵閣下はあいにく政務が立て込んでおり、『三日後でなければ会えぬ』とのことです」
「三日後……か」
アルベルトの肩から、目に見えて力が抜けた。手紙には「速やかに」とは書かれていなかったが、誠意を見せるために急いで駆けつけたのだ。張り詰めていた緊張の糸が、プツリと切れてしまった。
そんな夫の様子を見て、エレナが機転を利かせた。
「あなた、少し休みましょう。……そうだわ、三日も空くのなら、カイトの服を仕立てる準備をしておきませんか? お披露目する時の服は、この街で誂えようと話していたでしょう?」
「……ああ、そうだったな」
「生地や形は後で選ぶとしても、採寸さえ済ませておけば、後でどうにでもなりますもの。リーザ、カイトを連れて仕立屋へ行ってきてちょうだい。それと……」
エレナは少し声を潜めて、信頼するメイドに付け加えた。
「魔導刻印師の方にも、予約の変更ができないか聞いてきてくれる? せっかくここまで来たのだから、用事は一度に済ませたいもの」
「かしこまりました、奥様」
リーザが深く頭を下げる。カイトはそのやり取りを、パパの横でじっと聞いていた。
(お、やった。これで街の中の探索が出来るわい)
***
翌日。
カイトはリーザに連れられ、活気あふれるハルバードの街へと繰り出した。
まずは仕立屋に向かう。
「まあ、可愛らしい坊っちゃま! お披露目用ですね、かしこまりました」
職人の手によって、肩幅や腕の長さが測られていく。カイトはじっと動かず、プロの仕事ぶりを眺めていた。
「ちくちく、しないでね?」
「お利口さんですね、すぐに終わりますよ」
採寸はスムーズに終了した。これでいつでも服を発注できる。
次に向かったのは、魔導刻印師の工房だった。リーザが予約の変更を願い出ると、奥から出てきた図体のデカイ店主は帳面をめくりながら首を振った。
「急な変更は困るんだけどよ……。ああ、五日後なら空きがあるな。そこでいいか?」
「五日後……。はい、それでお願いします」
リーザが手際よく交渉をまとめ、五日後の予約を確保した。
工房を出ると、まだ日は高い。用事が済んだカイトは、リーザの服の裾をくいっと引っ張った。
「ねえ、りーざ。せっかくきたから、まちを、みてあるきたいな!」
「街の散策ですか? そうですね……奥様からは、暗くなる前に戻れば良いと仰せつかっておりますし」
(……よし! 採寸だの予約だの、子供の用事は済んだ。ここからは土木屋としての「視察」の時間じゃ)
昨日の馬車の中から見えた、あの立派な石畳。だがカイトの目には、排水の勾配が甘く、水が澱んでいるのが見えていた。
(一見綺麗に取り繕っておるが、あんな素人仕事、数年で石畳が陥没するぞ。この大都市の土木技術、どれほどのモンか隅々まで『粗探し』してやろうじゃねぇか!)
「じゃあ、はやく行こう! あっちにいってみたい!」
カイトはリーザの手を引き、石畳の街並みへと駆け出した。
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