第165話 泥靴の罠!特大のギミック①
「……若様。いくらなんでも、この底なしの泥水の中で、丸太を斜めに綺麗に並べるなんて無理ですよ。手元も見えねえし、泥に足をとられて力も入りません」
サジが、泥だらけの顔で途方に暮れていた。
カイトが描いた図面は完璧だったが、それを水と泥に沈んだ湿地でどうやって形にするのか、彼らには見当もつかなかった。
だが、カイトは幼児の顔でニッコリと笑った。
「ううん、お水の中じゃやらないよ。……お水、全部どかしちゃえばいいんだよ!」
「は……? 水をどかす?」
(……現場の基本じゃ。水中施工なんてのは精度が落ちるし、事故の元じゃ。ならどうする? 答えは簡単、『仮締め切り』をして水を抜けばええ)
カイトは泥の上に木の枝で図を描き始めた。
「まずね、道をつくるまわりを、『そだ(粗朶)』と『どのう(土嚢)』でぐるっとかこんで『かべ』を作るの。それから、中のドロ水をバケツで外に出すんだよ」
「バカな、そんなこと出来るわけない!」
大人の一人が、思わず声を荒らげた。果てしなく続く湿地の水をバケツで掻き出すなど、狂気の沙汰にしか思えなかったからだ。
だが、カイトは真っ直ぐにその男をキッと睨んだ。
「できないじゃないんだ、やるんだよ」
その場が、シンと静まり返った。
「だってそれが、プロの『しごと』だもん」
五歳の幼児の言葉とは到底思えない。そこにあったのは、不可能を可能にしてきた本物の「現場の男」だけが持つ、絶対的な気迫だった。
(ふん、こっちは「できない理由を探すな、やる方法を考えろ」っていうゴリゴリの昭和の頃から土木やってんじゃ!出来ねぇなんて抜かしてる暇があるなら、手を動かしやがれ!)
「……プロ、か。私たちは、ただの泥あさりの穴掘りだったはずだったがいつの間にか道作りを生業にしていたな」
アルベルトが、泥まみれの顔を拭いもせず、ニヤリと笑った。
「やるっすよ。ここまで悔しい思いをしてやらなかったら男じゃないっす」
ガンタのその目に、かつてないほどの熱い火が灯っているのをカイトは見逃さなかった。
「フッ……若様……いや、現場監督がそう言うなら、やってやろうじゃないか。泥と水のことなら、俺たち『泥靴のプロ』の右に出る者はいない」
ロバートは目を細め、ゆっくりと口の端を上げた。
「それとバッカスおじちゃん」
「なんだ、坊主…じゃなく坊ちゃん」
「大きいアポーツの石があったでしょ? じゅうたんのときの…」
「それを思い出さすんじゃねぇ! ……あるけど、どうするんだ?」
「あれって、ちかくのお水を引きよせられない?」
「いや、出来るぜ。回路の書き換えが必要だけどな。むしろ場所が指定できるなら簡単すぎるほどだ」
「じゃ、それやってほしいの。でも、その前に そのませき(魔石)かして」
「それで水を引き寄せて外に出そうって魂胆だな。分かった。石を取ってきてやるよ! ……で、何をするのか知らねぇが、終わったら、刻印を打ち直しゃいいんだな?」
「うん! じゃあつぎ。これだけおっきいひろばのお水をぬくには、ボクたちだけじゃ手が足りないの。だから……」
カイトは、後ろで静かにやり取りを聞いていたハルバード伯爵の服の裾を、力強く引っ張った。
「ハルバードおじちゃん。『おうと』に道をつなぎたいよね? なら、おじちゃんたちのとこから、力のつよ〜い人たちを、いーっぱいよんで!」
「むぅ、しかしだな。そんな工法で本当に出来るのか…」
「おじちゃんはくやしくないの?」
「何を言っておる、悔しくて血の涙しかでんわ!!どれだけこの道に投資したと思っておる!」
「だったら、その『なみだ』で、土を、こねてやろうよ!」
カイトは幼児の舌足らずな声のまま、まるで長年現場を仕切ってきた親方のように、泥まみれの胸をドンと叩いた。
「おじちゃん、えらいんだから! 『ドーンとやれ!』っていえばいいの! そしたら、とびっきりの『落とし穴』を作って、こうしゃく(侯爵)を落としてやるんだから!」
「……!!」
ハルバード伯爵は、五歳児の放った凄まじい泥臭さと熱量に気圧され、数秒言葉を失った。
「おおおっ、カイト! よく言った!!」
沈黙を破ったのは、隣で聞いていたベルノー子爵だった。孫のあまりにも頼もしい姿に、ジル爺さんはボロボロと涙を流しながら前に進み出た。
「じいじの領地からも、一番力持ちの男たちをありったけ呼んでやろう! カイトの落とし穴作り、じいじに『ドーン!』と任せておけい!」
「じいじ、ありがとう!」
その孫と祖父のやり取りを見て、ハルバード伯爵の肩が小刻みに震え――。
「………はっはっは! そうか、あの小賢しいヴァロワを落とすか! ジルの言う通りだ、それはいい!!」
伯爵は天を仰ぎ、腹の底から大笑いした。
その目には、貴族の体面や小奇麗な建前を完全にかなぐり捨てた、ギラギラとした野心が燃え上がっていた。
「聞いたか貴様ら! 五歳の童と、泥まみれの男たちが、己の誇りのために泥水をすする覚悟を決めておるのだ! 我らが『常識』だの『前例』だのと言い訳をして、指をくわえておれるか!」
「おおおおっ!!」
伯爵の言葉に、工兵隊や村の男たち、南部衆、ハルバードの職人衆だけでなく、護衛の騎士たちまでもが雄叫びを上げた。
「クラーク! 近隣の我が派閥の領主たちに触れを出せ! 飯と日当は弾むと伝えよ! 農閑期の領民を根こそぎ……いや、シャベルを持てる男を一人残らずこの湿地にかき集めるのだ!!」
「は、はいっ! ただちに!」
「ヴァロワのクソ忌々しい奴らに、我ら北部の『意地』というものを、その底なし沼の底まで叩き込んでやるわ!!」
「「「おおおおおおッッ!!!」」」
ハルバード勢が歓喜に沸く中、南部から来ているガチムチ衆たちの間にだけ、重苦しい沈黙が落ちていた。
「……どうした、お前ら。シ気た面してやがるな」
ロバートが声をかけると、南部のまとめ役であるマルコが、絞り出すような声で応えた。
「……俺たちの研修期間は、この二月末までだ。もう数日しか残っていない。……契約は絶対だ」
「数日!? 冗談だろ、これからが本番じゃねぇか!」
「分かっている! だが……俺たちの故郷には『黒竜川』があるんだ。毎年、秋口の嵐で氾濫する、あの暴れ川だ」
マルコの瞳に、故郷を守る男としての険しい光が宿る。
「去年は運良く氾濫しなかったそうだが、今年はどうなるか分からん。第一陣は堤防の総点検と補修を始めてるはずだ。……俺たちが戻らなければ、その補修が遅れるのは目に見えている。……だが……!」
マルコは自分の拳を見つめ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「この泥靴村の道が繋がらなければ……俺は一生後悔する。去年の秋、あの凄まじい嵐の中でも、泥に沈むことなく真っ直ぐに続いていたあの『粗朶道』……! あの奇跡のような景色が完成するのを、この目で見届けられないなんて。……俺たちは、どっちの泥も捨てられないんだよ!!」
その時、一人の若者が泥の中から飛び出してきた。
正月の宴会でカイトに酒を飲ませ、極寒の玄関前で一晩中号泣していたリックだ。
「帰れるわけねぇっすよ……ッ!!」
リックの叫びが、湿地の冷たい空気を震わせる。
「俺は、親方に酒を飲ませちまって、あんなに心配かけたんだ! なのに、このまま中途半端に逃げ帰るなんて……そんなの、俺の職人のプライドが許さねぇんすよッ!! 治水も道作りも、両方やってやる! 死ぬ気でやってやるから、ここに残らせてくれよォッ!!」
リックの鼻水まじりの絶叫に、南部衆たちが「そうだ!」「俺たちだって泥靴のプロだ!」と次々に声を上げる。
ハルバードの職人たちも、その熱い想いに言葉を失った。
沈黙を破ったのは、やはりマルコだった。
彼は密偵としての冷静さをかなぐり捨て、一人の「現場の男」としてカイトとアルベルトに向き直った。
「……若様。いや、カシラ」
マルコは静かに、だが岩のように揺るぎない覚悟を告げた。
「私は、泥靴村に忍び込み、治水につながる技術を盗もうとした人間です。でも、若様はそんな私の命を救い、故郷に治水の技術を持ち帰れるよう取り計らってくれた恩人なのです」
マルコは深く頭を下げ、再び顔を上げた。
「これからオデール領に戻り、伯爵閣下を直接説得してきます。……閣下だって、理不尽な圧力に屈しない、気骨のあるお方だ。この現場の『熱』と、職人たちの『意地』を伝えれば、必ずや工期の延長と治水要員の調整を認めてくださるはずです」
「マルコさん……!」
「私は馬を乗り潰してでも、許可をもぎ取って戻ってくる。……リック! それまでここを頼むぞ!」
「おうッ!! 任せてくださいよマルコさん!!」
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