第164話 消された接続部と、涙の反撃④
次の日。
湿地から街道に乗り上げる道の確認をするため、軍務局から派遣されてきた法官は、王都側から続く立派な石畳の道――公式記録上の名称、『王都北直轄街道・南線』の最南端に馬を止めた。
カイトたちフェルメールの領民にとっては、生活と希望のすべてを懸けた「南街道」だが、王都の役人からすれば、それは王都からボルドー領までの「南線」と、ボルドーからハルバート領へと伸びる「北線」の、単なる路線に過ぎない。
「……おじちゃん!! こわ(壊)したよ!!」
カイトが大声で叫ぶと、泥沼の真ん中で泥まみれになって立ち尽くすフェルメールの者たちに向けて、法官は満足げに声を張り上げた。
「ああ、そうだな。良くやった! これで王都の懸念は完全に拭われた!」
カイトは泥沼の底に膝まで浸かりながら、安全な石畳の上でふんぞり返る法官の姿をじっと見上げた。
「これで、もうあぶなくないでしょ!!」
カイトもまた、小さな喉を震わせて叫び返した。
遠く離れているため、法官にはその声が幼児特有の甲高い無邪気な声にしか聞こえない。法官は愉快そうに笑い声を上げ、再び大声で怒鳴り返してきた。
「あぁ! これならば一軍はおろか、馬一頭進むことも叶うまい! 安全そのものだ!!これからはちゃんと許可を取ってから作るんだな!」
遠く離れた岸から降り注ぐ、残酷な嘲笑。
だが、カイトは泥まみれの顔を拭いもせず、さらに大きな声で叫んだ。
「じゃあ! 作り直すね!!」
「……なにっ!?」
「おじちゃんたちが『あぶない』って言うから! もっと『あんぜんな』道にするの! てき(敵)のへいたい(兵隊)さんが来ても、パッとで消えちゃう道! ……それなら、また作ってもいいんだよね!!」
その言葉は、風に乗って法官の耳に届いた。
法官は一瞬眉をひそめたが、すぐに馬上で腹を抱えて笑い出した。小さな村の農民どもが、丸太一本を通すような橋を架けるつもりだと思ったのだ。
「そうだな。本当に一瞬で壊せる道だと言うなら、軍務局の許可を与えてやろう!!」
法官は鼻で笑った。
物理的にあり得ない「子供の夢想」を適当にあしらっただけの、軽い言葉だった。
だが、その失言をハルバード伯爵は見逃さなかった。
「法官殿! 今の言葉、しかと承った!」
屈辱に震えていたはずの伯爵が、獲物を仕留める猟犬のような眼光で顔を上げる。その声は、湿地の冷気を切り裂くほどに鋭い。
「明日、軍務局の本部に『緊急時即時破棄型・戦略道路』の認可申請書を提出する。……まさか、今さら『冗談だった』とは言わんだろうな?」
法官は一瞬眉をひそめたが、すぐに事務的な仮面を取り戻した。目の前の伯爵が、自分を法的に縛りに来たことに気づいたからだ。
「……いいでしょう。その子が言うように、敵の侵入を防ぎ、いざという時は一瞬で壊せる道が『本当に』作れるなら、認めない理由はありません。あくまで、そんな都合の良い話が実現できればの話ですが。……これでよろしいですか? 伯爵閣下」
法官は一瞥をくれただけで馬を返し、軍務局の兵を引き連れて去っていった。
カイトは、泥沼の底からその背中が完全に見えなくなるまで、じっと見送った。
(……笑ってろ。今はまだ、その安全な岸の上から大声で笑ってりゃあいい。……ワシらがこれから作る道が、どれほど深い『墓穴』になるか、その身で知るまでな)
声が届かなくなった静寂の湿地で、カイトは誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
「……やり直しだよ」
その静かな一言に、工兵隊の者たちがハッとして顔を上げた。
彼らの瞳には、絶望ではなく、カイトと同じ、静かで苛烈な「炎」が宿っていた。
彼らは理解したのだ。なぜカイトがこの三日間、死に物狂いで南街道から数十メルも離れた距離まで道を解体し続けたのか。
すべては、敵軍の先陣から中軍までを、完全に泥沼の上へ「誘い込む」ための広大なキルゾーン(死地)を作るためだったのだ。
「みんな……やりなおそう。つぎは、ぜったいに、うばわれない道を作るよ」
伯爵が、泥にまみれたカイトの肩を抱き、震える声で問いかけた。
「カイトよ……。吊り橋にでもするのか? それなら一瞬で落とせるし、奴らの言う安全な道になると思うが……」
カイトは泥を拭い、伯爵を見上げてニッコリと、この上なく「あざとく」微笑んだ。
「ちがうよ。それじゃダメなの。またえらい人が来て、道をふさいじゃうもん。だから、パッと見ただけなら、前と同じっていう『安全で、うばわれない道』だよ」
(……クックック。吊り橋なんぞ、そんなもん作ったらこの道はアイツらに奪われたままになる。見た目は立派な街道、だが一皮剥けば『特大の断頭台』……。フェルメールにしか扱えない最高のギミックを仕込んでやるわい!)
カイトの号令が、夕闇の湿地に響いた。
それは、軍務局から「公認」を取り付ける、壮絶な罠建設の始まりだった。
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