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第163話 消された接続部と、涙の反撃③

伯爵が驚愕に目を見開く中、隣に立つ軍務局の法官が、無機質な事務口調で告げた。


「これは伯爵閣下。これより先は、我々軍務局が臨時管理いたします。……何しろ、この道は軍事上『あまりに危険』ですので」


「危険だと? ぬかせ、これほど見事な道がどこにあるんじゃ!」

ベルノー子爵の怒声を、法官は表情一つ変えずに遮った。


「これは軍務局としての正式な判断です。この道は、王都の喉元へ直結する防衛網の『抜け穴』に他ならない。もし敵軍がここを通り、ボルドーの要害を避けて王都へなだれ込んだらどうするおつもりですか?」


ハルバート伯爵の顔色が変わった。

「軍務局」という、王族すら簡単には逆らえない国家の論理。ヴァロワ侯爵が、その背後から追い打ちをかけるように言い放つ。


「その通りだ。軍務局の査定によれば、『ハルバート伯爵は派閥の利益のために、王国の背中にナイフを突き立てた』も同然だとな。……ならば、今すぐこの場で破壊し、湿地に戻すがいい。それができぬというなら、管理権を軍務局へ渡せ。敵に利用される『危険な道』を放置することは、反逆にも等しい行為だぞ」


「なぜ管理権をそちらに渡さねばならない。我々が守れば同じだろう!」


ハルバート伯爵の怒りに満ちた反論に、ヴァロワ侯爵が冷たく笑う。


「同じ、だと? 冗談はやめてもらいたい。……ハルバート伯爵。貴殿らは、この道がもたらす『莫大な利益』に目が眩んでいる当事者だ。いざ敵の軍勢が迫った時、自らの懐を潤すこの黄金のルートを、貴殿らが未練なく即座に封鎖し、あるいは破壊できるとでも?」


「なっ……我々を、国より金を重んじる裏切り者だと言うのか!」


「そうは言っていない。『客観的に見て信用できない』と言っているのだ」


ヴァロワ侯爵は薄く笑い、背後に控える完全武装のボルドーの私兵たちを手で示した。


「そもそも、ボルドー子爵家は代々王都南方の要害として、血を流してこの地を守り抜いてきた『王国の正規の盾』だ。一方、フェルメール男爵領はただの辺境の村。……武器の持ち方も知らぬ泥まみれの民どもに、王都の喉元を預けろと言うのか? 防衛の素人が『自分たちで守る』など、軍事上あり得ない暴論だ」


「ぐっ……」


「それに、だ。王宮の軍務局は、こんな場所に王都へ直結する侵入ルートができるなど承認していない。勝手に王都の防壁に穴を開けておいて、『泥棒が来たら自分たちで戸締まりするから許せ』などという理屈が、国家相手に通用するはずがなかろう」


ヴァロワ侯爵の言葉は、氷のように冷たく、そして政治的に完璧な『正論』だった。


ハルバート伯爵が屈辱に唇を噛み切り、血を流す。ベルノー子爵は悔しさに顔を歪めて俯き、アルベルトは絶望のあまりその場に膝をついた。エレナが悲鳴のような声を上げ、両手で口を覆う。


反論できない。


ここで「商売のために通せ」と言えば、それは王国の安全より己の利益を優先する反逆者として、ハルバート派閥全体が粛清される口実になる。


静寂が落ちた。


大人たちが政治という巨大な暴力の前に言葉を失う中、エレナの手を握っていたカイトが、そっとその手をすり抜けた。


カイトは一歩、また一歩と、南街道へと繋がるはずだった粗朶そだの上を、反対に歩いた。


その足元には、村の男たちが一本ずつ束ね、祈るように敷き詰めた枝の感触がある。


(……あぁ、そうか。そうくるか……)

じいちゃんの魂が、深く、重く溜息をつく。


現場監督として、これほど惨めな瞬間はない。自分が丹精込めて作り上げた「作品」を、あろうことか「危険物」と呼ばれ、目の前で否定されたのだ。管理権を渡せば、この道は永遠に敵に利用され、いつか自分たちを殺す侵入路になる。


ならば、どうするか。


カイトは何も言わず、百人衆の誰かがこの絶望で手放しただろう一本の重い鉄のスコップを拾い上げた。


その小さな体には不釣り合いな重さ。カイトはそれを両手でしっかりと握りしめた。


「……カイト? なにを……」


エレナが震える声で呼ぶ。リーザが駆け寄ろうとしたが、アルベルトが泣きながらその腕を掴んで止めた。彼にはわかったのだ。息子が今、何をしようとしているのかが。


カイトは黙ったまま、南街道との接点から離れ、自分たちが昨日、魂を込めて繋いだ「最後の区画」の起点となる場所に歩み寄った。


そして、小さな体いっぱいに力を込め、重いスコップを泥と枝の隙間に振り下ろした。


ベチャリ。

悲しいほど、軽い音が響いた。


五歳の子供の腕力では、ガッチリと組み合わさった粗朶のマットに弾かれ、表面の泥をわずかに抉ることしかできない。


それでもカイトは無言で、二度、三度とスコップを振り下ろす。

カキッ、ベチャと、絶望的に軽い音だけが虚しく湿地に響く。


その小さな背中が、重いスコップに振り回されるようにして必死に道を殺そうとする姿を見て、工兵隊の若者たちの目から堰を切ったように涙が溢れた。


誰も何も言わない。ただ、歯を食いしばり、嗚咽を漏らしながら、スコップやバールを手に取り、カイトの背中に続いた。


自分たちが血と汗を流して積み上げてきた希望を、今、自分たちの手で殺すのだ。


だが、道は壊れなかった。


男たちが三人がかりで一つの枝束を引き剥がそうとするが、泥を噛んだ粗朶はまるで岩のように動かない。カイトが地盤沈下を防ぐために計算し尽くした連動構造が、皮肉にも、自分たちの破壊工作を拒絶している。


「……ッ、ぐ、ううぅ……!」

「くそ……! くそっ……!」


泥にまみれ、泣き叫びながら自分たちの「傑作」を引き裂こうとする男たち。その光景を、ボルドーの兵士たちが監視小屋から鼻で笑っている。


「はっは、自分たちの作った道を自分たちで壊すか。フェルメールの『神童』とやらも形無しだな!」


その嘲笑を背中で受けながら、カイトの目から一筋の涙がこぼれた。

カイトは涙を拭うこともせず、泥まみれになって立ち尽くす大人たちの横で、バールをねじ込み、全体重をかけてこじ開ける。


パキッ、と乾いた音がして、丹精込めて組んだ粗朶が無残に折れて跳ね上がり、カイトの頬を打った。血が滲む。それでも、カイトは決して手を止めなかった。


エレナが泣き崩れ、マルグリットが顔を背ける。


誰も助けられない。ただ、五歳の子供が自らの手で未来を壊す姿を、見ていることしかできなかった。


その作業は、一時間、二時間と続いた。


ヴァロワ侯爵は去り、法官は「明日また来る」と言い残して去った。

カイトたちは泥にまみれながら、ただ黙々と道を抉り続けた。


そして、その地獄は一日では終わらなかった。

手のひらのマメは潰れ、柄は血で汚れ、泥が傷口に染みた。ボルドーの兵士たちの嘲笑が響く中、カイトは一言も言葉を発さなかった。


言い返すことも、喚き散らすこともせず、ただひたすらに、怒りと悲しみを泥の底へと溜め込んでいった。


ラインハルトやダグラス親方は見かねて、手を貸そうとするが、カイトは血と泥で滑るスコップを離さなかった。その瞳には、もはや幼児の面影などどこにもない、凄まじい執念の炎が宿っていた。


そして三日目の夕刻。

南街道と合流したはずの美しい道は、無残に抉り取られ、数十メルに渡るただの黒い泥沼へと戻っていた。

本日もお読みいただき、ありがとうございました!

粗朶を壊すのは作るより大変らしいです。衝撃を吸収してしまう「究極の柔構造」ですね。

もし「面白い!」「続きの工事が気になる!」「カイト負けるな!」と思っていただけましたら、

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