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第162話 消された接続部と、涙の反撃②

その日の夜。


男たち全員が温泉から上がり、料理人ピエールが腕を振るった大宴会がお開きとなった後のこと。


祭りの後のような静寂を取り戻した湯船には、たった一人、優雅に湯を堪能している男の姿があった。泥靴工兵隊の隊長であり、フェルメール家の裏の顔を担うロバートである。

 

風呂には風情ある木の外壁が設けられ、ただ視界を遮るだけでなく、景色を絵画のように魅せる横長の『切り取り窓』が大きく開かれている。

 

窓のすぐ外では、蝋燭の柔らかな灯りに照らされた青々とした竹林が風に揺れている。そしてその奥には、雪を頂いたバルザス山脈の雄大な稜線が、月明かりによってうっすらと浮かび上がっていた。


「……フッ。この時を待っていましたよ。むさ苦しい男どもと芋洗い状態など御免ですからね。それにしても……」

 

ロバートは湯船の縁に頭を預け、切り取り窓に縁取られた絶景に目を細めた。


「……見事な借景だ。一人で静かに浸かる温泉ほど気持ちいいものはない……」

 

適温のお湯の中で、鍛え抜かれた体がプカプカとゆっくり浮遊する。


「……この絶景の中で温泉に浸かっていると、世界を独り占めしているようじゃないですか。……ふぅぅ……極楽とはまさにこのこと……」

 

今日の疲れが温泉に溶け出していくのを感じながら、ロバートが心地よく目を開けた、その瞬間だった。

 

頭上の太いはりから、音もなく『黒装束の男』が降ってきた。

 

ザッパァァァァーンッ!!

「うわぁぁっ!?」

 

ロバートの顔面に、盛大な水飛沫が直撃する。


突然の襲撃。温泉のど真ん中に、全身黒ずくめの不審者が着水したのだ。


(しまった、刺客!?)

 

ロバートは即座に戦闘態勢に入り、腰の短剣を抜こうとして――自分が一糸纏わぬ『素っ裸』であることに気がついた。


「何者だ!?」

 

ロバートが湯船の中で身構えながら男を睨みつけると、そこには見覚えのある無機質な顔があった。王都の裏社会にも通じるベルノーの諜報網、その連絡係である。


「……あ。お前、配達屋のチャド!」


「シャドウだ。王都から、火急の伝言だ」

 

黒ずくめの男は、温泉に浸かってずぶ濡れになっていることなど一切気にする素振りも見せず、懐から一通の封書を取り出し、恭しく差し出した。

ロバートは裸のまま、呆然とそれを受け取る。


「い、いや、火急って……お前、なんで上から降ってきた? 普通に脱衣所から歩いてこいよ、チャド!」


「シャドウだ。失礼する!」

 

ツッコミを完全に無視し、黒ずくめの男は何事もなかったかのように湯船から上がり、脱衣所へと歩いていった。


「…………」

 

無言で去っていく配達屋の背中を見送り、ロバートの額に青筋が浮かぶ。


「……もぉぉぉぉぉーーーっ!! あいつ、絶対に俺の慌てた反応を見て楽しんでるだろ!? わざとだ! 絶対にわざとだろ、チャドーーッ!!」

 

静寂に包まれていたはずの夜の絶景リゾートに、全裸の中間管理職の悲痛な叫びが木霊する。


「……ふぅぅ……ふぅぅ……。まったく、せっかくの極楽気分が台無しですよ……」

 

ロバートは乱れた前髪をかき上げ、深く息を吐き出して呼吸を整えると、油紙を開いて中身の手紙を取り出した。


王都の別宅を任せているセシリアとアンナからの、火急の報せだ。

ロバートは全裸で湯船に立ち尽くしたまま、その手紙に目を落とした。


***


温泉宿の一室には、重々しい、しかしどこか血気盛んな空気が満ちていた。


ロバートが持ち込んだ火急の報せを受け、同じ宿に滞在するハルバード伯爵やベルノー子爵も集まり、夜の緊急会議が開かれていた。


「……というわけで、ボルドー子爵は王都で仕事にあぶれた大工や石工を大量に雇い入れているようです」

 

ロバートの報告に、ハルバード伯爵が忌々しげに鼻を鳴らす。

「ふん。己の通行料ビジネスが脅かされたからと、今さら職人を集めて何をする気だ?」


「セシリアの推測ですが……連中は、我が領の新しい道が南街道に合流したことを見越し、そのルート上に新たな関所を急造して、物理的に封鎖しようとしているのではないか、と」


ロバートの言葉に、ベルノー子爵のジルが顎髭を撫でながら目を細めた。


「なるほど。迂回されたなら、その先の公道を強引に塞いでしまえというわけか。いかにもあの強欲なキツネが考えそうな手だ。……ならば、至急王都に我が家の隠密を放とう。連中の正確な動きを徹底的に追いかけさせる」


ジルの迅速な情報戦の決断に、ハルバード伯爵もニヤリと笑みを浮かべた。


「ふん。己の利益のために道を塞ごうというのだ。ならば、こちらもそれなりの力で迎え撃つまで。……おい、ラインハルト!」


「はっ!」

部屋の隅に控えていたラインハルトが、即座に片膝をつく。


「明日は、いつでも実戦が出来る装備で待機しろ。我が派閥の道を塞ごうという不届き者が現れたら、容赦はせんぞ」


「御意」

 

大貴族たちが強力なバックアップを約束する中、当主であるアルベルトは力強い瞳で顔を上げた。


「……閣下、義父様。お力添え、心より感謝いたします。ですが、この道は我らフェルメールが切り拓いたもの。道を守るのも、まずは我らの手で行います」


「ほう。アルベルト、どうする気じゃ?」


「明日は、我が領の工兵隊に槍を持たせます。そして、もし障害物を作るのなら、派遣されている人足衆には、スコップやツルハシで、それらを排除してもらいます」

 

力には力で、現場には現場の力で対抗する。


アルベルトの覚悟ある言葉に、ハルバード伯爵とジルは満足そうに深く頷いた。


「よし、分かった。ならば我々はバックアップだ。それにハルバードの人足やオデール伯爵の領民を危ない目に遭わすわけにもいかんだろう。そっちは我々の騎士で守ってやる。明日は開通記念だ。夜も遅い、皆、明日に備えるぞ」

 

伯爵の一言で、夜の会議は解散となった。


大人たちが翌日の準備を話し合う中、カイトは会議が始まる前にはすでにベッドでぐっすり寝息を立てていた。


翌日。

 

抜けるような青空の下、真新しい道の上で、華々しい開通セレモニーの幕が開けた。


色鮮やかな花で飾り付けられた豪奢な馬車に乗り込もうとする大人たち。

 

出発の直前、馬車の脇に立つベルノー子爵の元に村人に扮した男が歩み寄り、声を潜めた。昨夜、ジルが王都に向けて放っていた隠密である。


「……ご報告いたします。ボルドーの私兵と職人たちが、王都へ続く街道との境界線上に、道を完全に塞ぐ『柵』を急造いたしました」


「……ご苦労」

 

ジルは短く労って隠密を下がらせると、隣に立つハルバード伯爵にその情報を耳打ちした。


それを聞いた伯爵は、鋭い笑みを浮かべて鼻を鳴らす。


「ふん。こちらも準備は整えている。そのような小賢しい柵など、蹴散らしてくれよう」

 

ただの私兵と柵ならば、物理で押し通れる。そう確信した大貴族二人は、余裕の笑みで馬車へと乗り込んだ。


「わぁー! パパ、お花きれいだね!」とはしゃぐカイトを膝に乗せ、アルベルトも誇らしげな笑みを浮かべている。

 

馬車の周りをラインハルト率いる精鋭騎士が囲み、そのすぐ後ろを工兵隊や南部百人衆や北部の人足衆が並び、威風堂々たる行軍が温泉宿を出発した。


だが、その歓喜と祝祭の空気は、王都へと続く街道との『合流地点』のすぐ先で、彼らの想定をはるかに超える最悪の形で打ち砕かれることになる。


「……止まれっ!!」

 

先頭を進んでいた騎士の鋭い声に行軍が停止する。

公道であるはずの街道上には、昨日まで影も形もなかった『ボルドー子爵家』の旗が、何本も風に翻っていた。

 

ただの嫌がらせではない。道を完全に塞ぐように、太い丸太を何本も組み合わせた頑丈な木製の柵が築かれ、その脇には急造の監視小屋まで建てられていた。


そして柵の前には、槍と盾を構えた完全武装のボルドーの私兵たちが、ズラリと立ち塞がっていた。


「……ふん。やはり出張ってきたか、強欲なキツネめ」

 

馬車から降りたハルバード伯爵とベルノー子爵、そしてアルベルトが、険しい表情でその柵の方へと歩みを進める。その後ろには、いつでも武器を構えられるよう、工兵隊が殺気を放って控えていた。


「……何事だ、ボルドー子爵。今日は我々のセレモニーの場だぞ」

 

ハルバード伯爵が、鋭い覇気を放って睨みつける。

柵の奥から、嫌らしい笑みを浮かべた男、ボルドー子爵が姿を現した。

だが、ボルドーは自ら口を開くことなく、恭しく道を譲るように一歩下がる。


横から静かに進み出たのは、豪奢な外套を羽織り、冷ややかな目でこちらを見下ろしてくる初老の貴族。 


さらにその背後には、分厚い法衣に身を包んだ、王国の法を司る『軍務局の法官』の姿があった。

 

その顔を見た瞬間、ハルバード伯爵とベルノー子爵の顔色から、余裕が消え去った。


「……ヴァロワ侯爵閣下。なぜ、貴殿がこのような場所に」

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