第137話 巨大工場!?隠密の大勘違い
二日後。
王都の商人たちが放った雇われ隠密(産業スパイ)は、フェルメール領の境界付近の丘の中に潜み、冷や汗を流していた。
「……なんだ、この異常な警備の固さは……ッ!」
ここは以前、ただの寂れた村だったと聞いた。それが今や、門や街道沿いには、殺気を放つ無数の見張りが立っている。
雇われ隠密は、門のある丘側からの侵入は完全に不可能と見切りをつけた。あまりにも見回りが多すぎて村の中に忍び込めなかった。
彼は次に泥沼の中に身を沈めると、湿地と旧道の境目をジリジリと進んでいった。
すると、頭上の土手から、見回りをしているらしい二人の男――ずんぐりとした体格の男と、小柄な男の足音が近づいてきた。
マズいと思った雇われ隠密は、中空の葦の筒を口に咥え、泥水の中に静かに潜った。
「いやぁ、しかし一気に人が増えたよな、ザック」
「オイラたち、すっかり古参の工兵隊になっちゃったもんなァ」
「ああ。先日のボルドー襲撃騒動で、若様がやらかしちゃっただろ。あれでエレナ様が怒って、工兵隊を倍に増やすってなったらしいんだ」
「あの時のエレナ様、怖かったもんなァ」
「ああ、本当に怖かったな。だから、ハルバードやベルノーから即戦力になりそうな退役軍人も雇ったみたいなんだよ。二度と若様を前に立たせないために……」
「でもさァ、若様のあの魔法を見たら、もう来ないんじゃないかァ?」
「オレもそう思う」
のんびりと笑い合う二人。
しかし、泥の底深くで筒を咥えている隠密には、その呑気な会話(真実)は一切届いていなかった。
ボコボコボコボコッ!
(クソっ、あいつらの喋っている声が聞こえれば……! しかしこれ以上近づけない!)
息を殺し、遠くで動く男たちの足音を泥の中から伺いながら、隠密は勝手な推論を重ねていく。
(絶対に何か重大なことを隠してるんだ。そうでなければ、この貧乏男爵家がこんなに警備を増やせるはずがない!)
通り過ぎた気配を感じながら泥水からゆっくり顔をだした隠密は、遠くから別な見回りが来た事を確認すると、また泥水に沈んだ。
(ダメだ。見張りが多すぎて泥沼から出られない)
暗くなるまで待った隠密は、厳重な警備の目を掻い潜るため、フェルメール領の南東にそびえる険しい「バルザス山脈の断崖」へと大迂回するルートを選んだ。
カルデラ湖をぐるっと周り、ロラン騎士領の奥から尾根伝いに南まで回り込み断崖に抜けるコースだ。彼はプロの意地と執念を懸け、カルデラ湖の北側へと足を踏み入れる。
切り立った岩肌、吹き荒れる冷たい風、そして凶暴な獣の気配。わずかな携帯食料だけを頼りに、隠密は数日間に及ぶ決死の山越えを敢行した。
「……ハァ、ハァ……ッ! たどり着いたぞ……!」
森の中を何日も歩き、ボロボロになりながら、彼はついにバルザス山脈の断崖までたどり着いた。
そして、フェルメール領の湿地帯を一望できる、巨大な断崖の頂へと辿り着いたのだった。
「さあ、見せてみろ……。お前たちがこの袋小路の領地で、一体何を隠して……」
隠密は崖の縁から身を乗り出し、眼下に広がる泥沼の湿地帯を見下ろした。
そして、そのまま言葉を失った。
「な、なんだ……あれは……ッ!?」
彼の視線の先には、のどかな田舎の風景など微塵もない、信じられない光景が広がっていた。
広大な湿地帯のど真ん中。
何百人という無数の職人や村人たちが、村の広場で何かを作っている。そして湿地の中の道を荷馬車で往復している。門の先では見たこともない重機が、道の上を進んでいた。
さらに道の奥では、山のように積み上げられた資材と、巨大な建造物の基礎が次々と打ち込まれている。湿地の中に強固な土台と、いくつにも細かく区切られた無数の基礎。
(バカな……!!)
隠密は、崖の上で頭を抱えた。
(こんな……こんな何もない泥沼のど真ん中に、これほどの巨大な施設を作るだと!? 魔導重機まで投入し、これだけの人足を動かすのに、一体どれだけの莫大な資金がかかると思っているんだ!!)
常識的に考えてあり得ない。
利益を求める商人が、こんな行き止まりの湿地に「莫大なインフラ投資」を行うなど、完全に狂気の沙汰だ。
だが、現実にそれは目の前で作られている。
その瞬間、隠密の脳内で、商人としてのロジックが悪魔的な「答え」を弾き出した。
(……そうか。わざわざこんな不便な湿地に、バカみたいな投資をしてまで巨大な施設を作る理由……。答えは目の前にある『泥』だ!!)
隠密は血走った目で、眼下の巨大な基礎(※ただの倉庫)を睨みつけた。
(フェルミエールは、自分たちの美容成分を染み込ませるベースに、この『泥靴村の泥』を無尽蔵に使おうと決めたんだ! だから地形ごと作り変えるほどの莫大な資本を投下し、ここに王国全土の美容市場を支配するための『巨大な生産拠点』にしようとしている!!)
なんという圧倒的な資金力。なんという恐るべきスケールの戦略か。
王都の商人たちが小銭を稼ごうとしている間に、この得体の知れない巨大企業は、物理的な「工場」と「インフラ」そのものを暴力的なまでの資本で支配しようとしているのだ。
「……どう報告すればいいんだ?こんな化け物みたいな企業に、王都の商会が束になったところで、勝てるわけがないというのか?!」
巨大ブランドの「恐るべき全国支配のシナリオ」を確信した彼は、血相を変えて急ぎ報告書をまとめ、王都へと舞い戻った。
***
「……以上が、この数日間でフェルメール領を調査した結果になります」
全身擦り傷だらけの雇われ隠密が、疲労の濃い声で淡々と告げた。
「バカな!そんな規模の工場など作って採算が取れる訳がない!」
「しかし事実です。……何もない泥沼のど真ん中に、これほどの巨大な施設を作り、何百人という人を動かすのに、一体どれだけの莫大な資金が必要なのか見当もつきません。一商店が出来る規模ではありませんでした。国家規模の工事です」
隠密の報告を聞いた瞬間、ルキウスの顔からサッと血の気が引いた。
「……国家規模……だと?」
ルキウスはテーブルに手をついたまま、ガタガタと震え始めた。
(そうだ……我々はすっかり騙されていたんだ……!わざと王都の拠点はボロいように見せ、単なる田舎の小賢しい工房かどこかの中堅商会に見せ掛けて、我々既存の商会を欺き、安心しているうちに拠点を完成させ……一気に王都の経済を牛耳る気だったのか……!)
「まずい……このままでは一番の稼ぎ頭の美容部門は落ち込む一方だ!」
ルキウスは珍しく声を上ずらせ、慌てて立ち上がった。
(こ、これは……我々が小売りで小銭を稼いでいる間に、奴らは物理的な『巨大工場』と『物流網』そのものを暴力的なまでの資本で支配しようとしてるのか……!?こんな相手に『力ずくで潰す』とか言ってる場合ではない……!)
他の商人たちも顔面蒼白になり、互いに顔を見合わせる。
「ル、ルキウスさん……どうします……?」
ルキウスは額に脂汗を浮かべ、必死に取り繕うように声を張ったが、完全に威勢が萎んでいた。
「……よ、よし! すぐに大規模な投資を持ちかけろ!奴らの工場に一枚噛ませてもらおうじゃないか!できれば製造法ごと丸ごと買い叩く……いや、買わせてもらう、それが無理ならば、せめて『一枚噛ませて』もらおうじゃないか!利益の大半は向こうが取る形でもいい! とにかく食い込め!」
つい先日まで「力ずくで市場を潰す」と豪語していた男が、「なんとか取り入る方」に回る姿に、会合室は一瞬、気まずい沈黙に包まれた。
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