第131話 トラウマ発動!師匠の宝を出荷
ハルバード城下町、バッカス魔導工房。
『毒の粉(生石灰)散布テロ事件』のトラウマから逃げ帰り、ようやく心の平穏を取り戻しつつあった一番弟子のゼノスは、来客を告げるノックの音で玄関の扉を開けた。
立っていたのは、ハルバード内政官クラークの使いの者だった。
「フェルメール領、泥靴村より至急の要請だ。バッカス殿の工房にある『黒檀の杖』の在庫をすべて譲っていただきたい」
「泥靴村……ッ!?」
その単語を聞いただけでゼノスの胃がキリキリと痛んだが、クラークからの正式な要請とあれば無下にはできない。
「黒檀の杖、あるにはあるんですがねぇ……」
ゼノスは言いよどんだ。工房の在庫を思い浮かべる。
一つは倉庫にある、一・五メルほどの標準的な長さのもの。
もう一つは……師匠バッカスが自ら彫り上げ、工房の応接室の壁にこれ見よがしに飾ってある、二メル超えの美しく立派な杖だ。どう見ても師匠の自慢の逸品(お気に入り)である。
「訳ありですか?」
使いの者が眉をひそめる。
「いえ、二本あるんですが、一本は応接室に飾ってありまして……」
勝手に売り払っていいものか判断に迷うゼノスに対し、使いの者は淡々と事務的に告げた。
「なるほど。じゃあ、バッカス殿と連絡をとってもらって、問題無いようでしたら、泥靴村に届けてください」
「…………え?」
ゼノスの動きがピタリと止まった。
『――泥靴村に届けてください』
『届けてください…』
『届けてください…』
『届けてください…』
ゼノスの脳内で、使いの者の最後の言葉が、恐ろしいエコーを伴って無限にリフレインする。
(あの泥沼に!? あの黄色いヘルメットを被った悪魔の幼児のところへ!? 私が、直接、これを、持って……!?)
うわあああああーっ!! 嫌だーーっ!! 絶対に嫌だァァァーーッ!!!
「い、今すぐ持っていってくださいッ!! 師匠には後で私が連絡しますから!!」
「えっ?」
ゼノスは脱兎のごとく応接室と倉庫へ猛ダッシュすると、師匠の『お気に入りの二メル超えの美しい杖』もろとも二本の黒檀をひったくり、ぐるぐると適当な布に巻きつけた。
そして、唖然とする使いの者の腕に、その分厚い布の束を強引に押し付けたのだ。
「お、おい、バッカス殿への確認は……」
「師匠に聞いてください!! ではッ!!」
バタンッ!! ガチャリ、ガチャリ、ガチャガチャガチャッ!!
ゼノスは使いの者を外に押し出すなり、玄関の扉を力いっぱい閉め、狂ったような速度で工房の鍵という鍵をすべて掛けた。
「はぁ……はぁ……あぶ、危なかった……! もう少しで、またあのパシリ地獄に引きずり込まれるところだった……ッ!」
扉に背中を預け、安堵の涙を流すゼノス。
かくして、愛弟子の特大のトラウマにより、バッカスが愛でていた『最高級の黒檀の杖(お気に入り)』は、泥沼で泥水に浸かり木っ端微塵になるための「使い捨ての杭」として、無情にも泥靴村へと出荷されていった。
***
次の日の昼過ぎ。
泥靴村の広場に、ハルバードからの早馬が土煙を上げて飛び込んできた。
馬から飛び降りた男の背には、適当な布でぐるぐる巻きにされ、斜め掛けに括り付けられた『全長二メルを超える長い棒のようなもの』が背負われていた。
「クラーク様宛の荷物です! ハルバードのバッカス魔導工房のゼノス殿から、至急とのお預かり品です!」
門を警備していた工兵隊員がその布巻きの長い棒を受け取ると、大急ぎで屋敷のある丘を駆け上がり、執務室へと飛び込んだ。
「クラーク様! ハルバードから品物が届きました!」
「ご苦労様です。早かったですね」
書類仕事の手を止めたクラークは、銀縁眼鏡をクイッと押し上げると、工兵隊員が抱える長い包みの端を少しだけずらした。
布の隙間から、丹精込めて彫り込まれた美しい装飾と、ピカピカに磨き上げられた極上の黒檀の艶が顔を覗かせる。どう見ても実用品の枠を超えた、芸術品であった。
だが、ハルバードの冷徹な内政官は、その美しさに微塵も心を動かすことはなかった。彼にとってこれは、一昨日決裁を下した『金貨数枚分の使い捨て消耗品(杭)』に過ぎないからだ。
「……ふむ。二本ですか。長さも申し分ないですね。検品完了です」
クラークは布をパタンと元に戻し、無表情のまま事務的に指示を出した。
「これを直ちに、粗朶道の最前線にいるカイト様とバッカス殿の元へ届けてください。『第一弾の重機が到着した』と伝えれば分かります」
「了解しました!」
広場に向かった工兵隊員は、その布に包まれた『時限爆弾』を抱えたまま、粗朶道の最前線へ向かう資材運搬用の荷馬車の後ろにピョンと飛び乗った。
「おっしゃ、出してくれ!」
「おうよ! 揺れるからしっかり掴まっとけよ!」
ガタン、ゴトンッ!
荷馬車が軽快な音を立てて走り出す。
その荷台の上で、布に包まれたバッカスの『二メル超えの最高級コレクション』は、これから自分が叩き込まれる無慈悲な泥沼の最前線へと、ガタガタと揺られながら運ばれていくのだった。
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