第113話 黄色い悪魔が作る、極楽の経済圏
「……お休みを、持っていく……? どういう意味だい、カイト?」
アルベルトが戸惑いながら尋ねる。
カイトは満面の笑みで答えた。
「あのね! ロランのおじちゃんの村には、おうちをたてた 大工さんがいるでしょ? だから、井戸の近くに『おふろ(露天風呂)』の おけを作って、まっててもらうの!」
その言葉に、同席していたクラークが眼鏡を押し上げ、即座に反応した。
「……なるほど。泥靴村で実践されている風呂ですね。なら湯沸かし釜はハルバードの職人に至急作らせましょう。あれはウチの連中も欲しがってましたからな」
「うん! まずね、モーガンのおじちゃんには『木を切る人 さがして!』って おねがいするの! それで人がふえるよね。それとね、がんばってる みんなには、おじちゃんのお店に お肉とエールが いーっぱい あるから『おふろ上がりに 買いにきてね!』って おしえてあげるの!」
「えっ……? 人の斡旋の件は分かるけど、肉とエールは、我々の持ち出しで慰労の宴を開くのではなく、『買わせる』のかい?」
ロランが目を瞬かせると、カイトは無邪気に首を傾げて続ける。
「だって、おじちゃん言ってたでしょ? みんな、おかねを もらっても『つかう ヒマがない』って。ガンタも言ってたよ。たまには ぜいたくしたいって。ロランのおじちゃんのとこ近いから、モーガンのおじちゃんに 何度か行ってもらってお買い物してもらえばいいんだよ」
「ハッ……!」
ロランが息を呑む。
「確かに……今の領民たちは、日用品を買う暇すらないからな」
「うん! そのときに、お肉と ハルバードの高級エールも いーっぱい もっていくの! あとね、おふろが できるから、『せっけん』もね!」
「――ッ!!」
カイトの口から『石鹸』という単語が飛び出した瞬間、執務室の空気が凍りついた。
クラークが、手元の羊皮紙を見つめながら震える声で呟く。
「……なんと悪魔的な……! 石鹸で汗を落とさせ、温かい風呂で火照らせ、さっぱりしたところで肉と冷たいエールを叩き込む……。極限まで疲れた職人相手にこれをやられたら、いくらでも飛ぶように売れる……!」
さらにクラークは青ざめた顔でアルベルトを見た。
「しかも、フェルメール家が下請けに支払った莫大な報酬が、モーガン商店での買い物を通じて、再びフェルメール領に還流してくる……!」
その解説を聞いたロランが、弾かれたように膝を叩いて立ち上がった。
「そ、それだッ! 領民の士気が爆発的に回復し、支払った金がフェルメールに還元される……搾取じゃなく、双方が得をする完璧な循環だ!」
(ふぉふぉふぉ。金は天下の回りものじゃ。ロラン領の領民に極楽を与えつつ、フェルメール領の商人に利益を還元。同盟国を強くし、自領も豊かにする。これが大事業を成功させる一番の近道じゃ!)
執務室の大人たちが、五歳児が提示した『完璧すぎる経済圏の構築』に戦慄する中。
カイトはオレンジジュースをズズッと啜りながら、ニコニコとロランを見上げた。
「ロランのおじちゃん、おやすみ、ちゃんと とどけるからまっててね!」
その純真無垢な笑顔を見たロランの目には、『慈悲深き神』と『黄色い悪魔』が同居しているようにしか見えなかった。
この執務室での恐るべき会談の後、カイトはロランを泥靴村の温泉へと招待していた。
全身の疲れが溶け出すような湯の温もりと、そこから見渡す雄大な自然の景色。その極楽めいた体験に完全に心を奪われたロランの鶴の一声により、ロラン領の新村に作られる共同浴場の仕様は急遽変更された。
ただの風呂桶を置いただけではない。湖に面した開放的な『レイクビュー特化型の半露天風呂』である。
「ゆくゆくは立派な屋根を載せて、全天候型の展望大浴場にする!」と鼻息を荒くする領主の命を受け、大工たちはかつてない情熱でこの浴場を組み上げた。
そして今日。泥靴村の悪魔的な施工スピードに食らいつくため、死に物狂いで森を切り開いてきたロラン領の領民たちは、村に戻るなり、吸い寄せられるように広場へと足を向けていた。
湖を望む一番見晴らしの良い場所には、木の香りを漂わせる立派な共同浴場が完成している。ハルバードの職人が至急で組み上げた鉄釜からは、勢いよく白い湯気が立ち上っていた。
「おい……あれって本日オープンだよな?」
「そうだよ。俺なんか毎日出来上がりをチェックしてたぞ。今日あの湯に浸かるために、この一週間死ぬ気で木を切ってきたんだからな……!」
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らす。
彼らの視線の先には、一週間待ち焦がれた念願の露天風呂。
しかし、彼らの足をピタリと止めさせたのは、風呂そのものではなく、その浴場の前に陣取っていた『予想外の光景』だった。
「さぁさぁロラン領の皆の衆! 伐採作業、本当にお疲れ様でした! 本日は我々モーガン商店が、皆様の疲れを吹き飛ばす最高のおもてなしをご用意いたしましたよ!」
声を張り上げているのは、モーガン商店の仕入れ担当であるレックスだ。
彼の背後には、モーガン商会で新たに雇った丁稚が炭火でジュージューと串焼き肉を焼き、水樽でキンキンに冷やされたハルバード産の高級エールや果実水がズラリと並んでいる。
「う、おおぉぉ……っ! 肉だ! エールだ!!」
「皆さん。いきなり飲み食いしても美味くないでしょう!? 領主様からのお達しです、まずはあちらの風呂で一週間の汗と疲れを落としてきてくだせぇ!」
肉に飛びつこうとする男たちを制し、レックスはニヤリと笑って木箱を開けた。
「お風呂のお供に、こちらの『石鹸』はいかがですか! 泥も汗も嘘みたいに落ちますよ! さらに湯上がりには、この最高級の『リネンタオル』! 水気をスッと吸い取って、肌触りも抜群です! 今なら湯の花もつけてセットでお買い得ですよ!」
「か、買う! 買うから早くそれを寄越せ!!」
懐に莫大な報酬を抱えたまま使う暇がなかった領民たちが、我先にと硬貨を握りしめて露店の前に殺到した。
飛ぶように売れていく商品をさばきながら、レックスはここぞとばかりにニヤリと笑い、声を張り上げた。
「毎度あり! さぁさぁ皆さん、今日はこれだけじゃないですよ!
領主様とカイト親方のお取り計らいで……これからは週に一度、必ずここで露天商をやらせて頂きます!
来週もまた、極上の串焼き肉とキンキンに冷えたエールをお持ちします!!」
「ま、マジかよ……!毎週、この肉とエールが食えるってのか!?」
「 俺、一生木を切るぞぉぉぉッ!!」
終わりの見えないデスマーチに、『週に一度の極楽』という明確な希望の光が差した。
露店の前に群がっていた男たちから、地鳴りのような歓声が爆発した。
石鹸とタオルをひったくるように抱え込んだ彼らは、まるで獣のように吼えながら、そのまま露天風呂へと殺到していく。
数分後、レイクビューの露天風呂から、獣のような雄叫びと歓声が響き渡った。
「うおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!」
石鹸で全身の泥を洗い流し、なみなみと張られた熱いお湯に首まで浸かる。そして目の前には、夕日に赤く染まるカルデラ湖の絶景が広がっているのだ。
「これを風呂に入れると、泥靴村に出来た温泉の気分が味わえるらしいぞ」
「よし、それ入れてみようぜ!」
「あぁぁぁ……生きてて、よかったぁぁぁ……ッ!」
「見ろよ……俺たち、こんなすげぇ景色の中で木を切ってたんだな……」
「……俺、明日も木切るって言ったら……またこの湯に浸かれるのか……?」
隣の男が涙目で頷く。
「ああ……もう一週間、この景色が見たくて……死んでも切るわ……」
今まで景色を見る余裕すらなく、死んだ魚の目で森と村を往復していた男たちが、湯の中で涙を流して絶景に見入っている。
そして、彼らの真の『狂乱』は風呂上がりに待っていた。
リネンタオルでさっぱりと体を拭き上げた彼らを待ち受けていたのは、滴る肉汁と冷え切ったエール、果実水である。
「ぷはぁぁぁぁぁぁッ!!! 悪魔的に美味ぇぇぇっ!!」
「レックスさん! 串焼きもう三本! エールもおかわりだ!!」
「おう! 金ならいくらでもあるぞ! どんどん持ってこい!!」
まるで村全体が巨大なお祭りの会場になったかのような大騒ぎ。
広場のあちこちで、湯上がりの村人たちがジョッキを打ち鳴らし、肉を頬張り、一週間の地獄の疲れを極上の贅沢で上書きしていく。
その光景を少し離れた丘の上から見下ろしながら、カイトは大きめの黄色いヘルメットのつばをクイッと上げ、視界を広げた。
(ふぉふぉふぉ。レックスのやつ、なかなか商売が分かっとるわい。石鹸だけじゃなく、タオルまでセットにして売りつけるとはのぅ。……よしよし、これでロラン領の連中のヘイトは完全にリセットされ、明日への労働意欲も限界突破じゃ。やっぱり現場には、こういう『アメ』が必要不可欠なんじゃよ)
「……カイト殿。君は本当に……悪魔か神か……。だが、どちらでも構わん。この領を、良くしてくれて感謝する」
隣に立つロランもまた、狂喜乱舞する領民たちの姿を見て、感極まったように目頭を押さえている。支払った報酬が飛ぶような勢いでモーガン商店の金庫に吸い込まれていることなど、もはや誰も気にしていなかった。
かくして、粗朶の道が伸びる裏側で、ロラン領の新村は『週に一度の極楽リゾート(兼タコ部屋)』として、さらなる熱狂の渦に巻き込まれていくのだった。
本日もお読みいただき、ありがとうございました!
もし「面白い!」「続きの工事が気になる!」「蟹工船だろ!」と思っていただけましたら、
ページ下部より評価とブックマークでの応援をよろしくお願いいたします!




