婚約指輪
本日2話目の更新です。
翌日には、セレスティーヌの頭痛もほぼ収まっていた。普段通りに魔術師団で働いていたセレスティーヌは、怪我人の治療が一段落着いたところで、上官のマティアスに声を掛けられた。
「セレスティーヌ、少しいいかい?」
「はい、マティアス様」
マティアスの机の前までやってきたセレスティーヌは、勧められた椅子に腰掛けた。
「急ではあるが、明日に魔物討伐に行く第一魔術師団から応援要請が来ているんだ。場所もそう遠くはないし、討伐対象の魔物のレベルもさほど高くない。それに、回復職の魔術師は戦闘部隊を後方から支援するから、あまり危険はないはずだ。君の魔力なら、防御魔法を自分にかけていさえすれば、それだけで最前線に出ても問題ないくらいだとは思うがね。……どうする、やってみるかい?」
「ええ、お願いします」
セレスティーヌは、少し緊張を覚えながらもすぐに頷いた。マティアスは彼女に微笑み掛けた。
「実戦経験がないと不安もあるだろう、この第五魔術師団から誰かサポートを付けるよ。それから、もう一つ」
マティアスはじっとセレスティーヌの瞳を見つめた。
「万が一にも、命の危険を感じる状況に陥ったなら。……これは明日に限らないが、まずは自分の身を守ることに専念してくれ。難しい判断を迫られる場合もあるだろうが、回復魔法の使い手は戦闘部隊にとっても生命線であることが多い。魔物と直に接することのないように、彼らもその身を盾にしてくれるのが常だがね」
「はい、わかりました」
セレスティーヌは、マティアスの目を見つめ返して頷いた。
「これは、明日向かう魔物討伐の場所と、そこで出る魔物に関する資料だ。事前に目を通しておいて欲しい」
「承知しました。資料をありがとうございます」
渡された資料の束を、セレスティーヌはしっかりと受け取った。
***
その日の帰り道、セレスティーヌが第五魔術師団の拠点を出た所で、彼女を待っていたレナートが駆け寄って来た。
「セレス!」
セレスティーヌは、緊張気味に強張っているレナートの顔を見上げた。
「レナート様……」
「昨日は体調が悪かったということだったが、大丈夫かい?」
「ええ、頭痛もほとんど落ち着きました」
レナートはセレスティーヌの手を取ると、申し訳なさそうに顔を歪めて頭を下げた。
「昨日は、頭ごなしに俺の意見を君に押し付けてしまって、悪かった」
「私の方こそ、意固地になってしまってごめんなさい」
その日もレナートが彼女を待っていてくれたことに、ほっと嬉しく思っている自分にセレスティーヌは気付いていた。セレスティーヌは、昨日のレナートからの帰りの誘いを断ったために、彼はもう待っていてくれないのではないかと、不安と寂しさが入り混じったような気持ちで一日を過ごしていたのだった。
胸を撫で下ろした様子で表情を緩めたレナートは、セレスティーヌと一緒に帰りの馬車に乗り込むと、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「君の回復薬は、素晴らしい効き目だった。君の魔力そのものも、申し分ないということがよくわかる。……俺が、君が第二魔術師団に同行することに反対したのは、単なる俺の我儘に過ぎない」
「どうして、反対なさったのですか?」
セレスティーヌは、隣に腰掛けているレナートを見つめた。
「君は、前線で戦うには優し過ぎるからだ」
レナートは苦しげに息を吐いた。
「君は以前ケルベロスに襲われ掛けていた時も、回復中だった怪我人を優先して逃がしたせいで逃げ遅れていた。きっと、君は自分が危険な状況になっても、君自身より窮地に陥っている仲間を優先してしまう」
「それは……」
マティアスに聞いた、まずは自分の身を守れという言葉がセレスティーヌの耳に甦った。その言葉を聞いた時はそれほど自覚してはいなかったけれど、もし危機的な状況に陥った時に、自分で自分の身を一番に守れるのか、セレスティーヌにもあまり自信はなかった。
口を噤んだセレスティーヌの身体を、レナートがそっと抱き締めた。
「こんなことを言うと、君に白い目で見られてしまうかもしれないが。俺は正直、君さえ無事でいてくれればそれでいいんだ。俺にとって大切なのは、君だけだから。でも、君を失うことだけは、どうしても耐えられない」
「レナート様……」
セレスティーヌはレナートの想いを知って、次第にわだかまりが解けて胸が温まっていくのを感じていた。
(レナート様は、心から私の身を案じてくださっていたのね)
レナートはセレスティーヌに回した腕を解くと、少し辛そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「……だが、それはあくまで俺の願いだ。君が望む仕事をしようとするのを止める資格も権利も、俺にはない。ただ、俺が君を誰より愛しく思っているということだけは、わかっていて欲しいんだ」
レナートは、濃紺のローブの内ポケットから小箱を取り出すと、その蓋を開いた。小さな箱の中には、青紫色に輝く宝石があしらわれた金の指輪が入っていた。青紫色の宝石は、自ら光を発するようにして内側から神秘的に煌めいていた。
「綺麗……」
思わず感嘆の息を吐いたセレスティーヌの左手を取ると、レナートは指輪を箱から取り上げて、彼女の薬指にするりと嵌めた。左手薬指にぴったりと収まった指輪に、セレスティーヌはその瞳を瞬いていた。レナートが頬を染めて口を開いた。
「これは、珍しい魔石が使われた指輪だ。前から、君に渡そうと思いながらも渡せずにいたんだ。遅くなったが、君への婚約指輪だよ。セレス、受け取ってくれるかい?」
セレスティーヌは、瞳に涙が滲むのを感じながら頷いた。
「はい、レナート様……!」
セレスティーヌには、また頭痛に襲われる不安は残っていたものの、レナートとの婚約を続けることにもう躊躇いはなくなっていた。レナートはふっと柔らかな笑みをセレスティーヌに浮かべた。
(レナート様が、笑った……?)
それはセレスティーヌが初めて見るレナートの笑顔だった。レナートは、再びセレスティーヌの身体に腕を回すと、きつく抱き締めた。
「受け取ってくれてありがとう、セレス。昨日は君にまたあんな顔をさせてしまったというのに」
(またって、どういうことかしら?)
セレスティーヌは、内心で首を傾げつつも、レナートの腕の中からそっと彼の顔を見上げた。
「一つ、お伝えしたいのですが。私は明日、第一魔術師団の魔物討伐に同行することになりました」
「……そうか」
微かに表情を翳らせたレナートに、セレスティーヌはあえて明るく微笑んで見せた。
「あまり強い魔物はいないそうなのですが、気を引き締めて行って来ます。レナート様からいただいたこの美しい指輪を、御守り代わりにしますね」
「ああ。絶対に無事で帰って来てくれ、セレス」
レナートの腕の中でぎゅっと抱きすくめられながら、セレスティーヌは胸の奥から込み上げてくる幸せをしみじみと感じていた。