失くしていた記憶
本日3話目の更新です。
魔物討伐の日の朝、セレスティーヌが緊張の面持ちで準備をしていると、心配そうに眉を寄せたエマが彼女の所に小走りにやって来た。
「ねえ、セレス。今日が初めての魔物討伐への同行の日よね? 忙しい時にごめんね」
「ううん、大丈夫よ。どうしたの、エマ?」
「ちょっと、気になる話を小耳に挟んだのだけれど……」
エマは小さく溜息を吐いた。
「初めての魔物討伐に行くメンバーがいる場合、補佐役の経験者がつくでしょう? それが、今日はセレスのサポートにつくのがジリアン様らしいのよ」
「ジリアン様って、あの第二魔術師団にもよく同行している?」
「そうそう。それがね……」
エマは眉を下げると、少し声を落とした。
「前にセレスに聞かれた時には、言うのが躊躇われて、まだ伝えていなかったのだけれど。どうやら彼女、レナート様に横恋慕しているらしいのよ」
「えっ?」
瞳を瞬いたセレスティーヌに、エマは続けた。
「レナート様は相手にしていないらしいけれど、彼女は相当レナート様に惚れ込んでいるみたいで。……ねえ、セレスのサポートについてくれる人、できれば変えてもらった方がいいんじゃないかしら? どうも彼女から今回のセレスの補佐役を申し出たみたいだし、私、何だか裏がありそうで怖いのよ」
(そう言えば、この前のレナート様の遠征の時も、ジリアン様に睨まれたような気がしたわね。でも……)
もう出発まであまり時間がないことに思い至ったセレスティーヌは、苦笑しつつも首を横に振った。
「エマ、心配してくれてありがとう。でも、さすがに大丈夫だと思うわ。それほど強い魔物も出ないみたいだし、初めての私でもそれほど危険はなさそうなの」
「そう? でも、注意し過ぎるっていうことはないから、気を付けてね! もう前線で働けるなんて凄いわよ、セレス」
エマは軽くセレスティーヌにウインクをすると、その肩を叩いた。
「ちゃんと元気に帰って来るのよ!」
「わかっているわ。ありがとう、エマ」
セレスティーヌは、エマのような親身になってくれる同僚がいることに感謝しつつ、彼女ににっこりと笑い掛けた。
出発しようとしている馬車の元には、レナートもセレスティーヌを見送りにやって来ていた。セレスティーヌはレナートに笑顔を向けてから、ジリアンの視線がずっと自分たちの方を向いていることに気付いて、どこか落ち着かない気持ちでいたのだった。
***
魔物討伐の場所は、高い樹々の葉に遮られて陽射しの届かない、陰気な森の中だった。セレスティーヌの隣に、馬車から降り立ったジリアンが並んだ。
「ジリアン様、今日はよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げたセレスティーヌのことを、ジリアンは冷たい瞳で一瞥した。セレスティーヌの背中に、冷や汗が流れる。
(この方、少し苦手かもしれないわ……)
ジリアンはセレスティーヌの顔からその左手に視線を移すと、片眉を上げた。
「その指輪、どうしたの?」
「これは、レナート様からいただいたものです」
ジリアンの表情が険しくなるのが、セレスティーヌの目にもはっきりと映った。セレスティーヌが戸惑っていると、ジリアンは第一魔術師団の他の魔術師の元へと行ってしまった。
(エマの言う通りだったのかもしれないわ。これではちょっと心配ね)
その時、大きな声が前方から聞こえて来た。
「出たぞ、コカトリスだ!」
雄鶏の頭部に蛇の尾をくねらせたコカトリスが葉の間から姿を現すと、一斉に魔術師団が魔法の構えを取った。セレスティーヌも神経を集中させながら、防御魔法を張ろうとしていた。
前方に垣間見える魔物を遠目に見ながら防御魔法を張りかけていた時、セレスティーヌは突然、後ろからの衝撃を感じてよろめいた。
(今、何があったの?)
ぞっとするような気配を背中に感じて振り向くと、ジリアンが怒りの籠った瞳でセレスティーヌを睨み付けていた。
彼女に向かって口を開こうとしたけれど、セレスティーヌには声が出せなかった。セレスティーヌの手足の先から全身が痺れて、感覚がなくなっていく。そのまま地面に膝から崩れ落ち、すうっと青ざめたセレスティーヌを見つめて、ジリアンがふっと笑った。
「ああ、いい気味ね。十分な力もないくせに魔物討伐なんかに来るから、こんなことになるのよ」
セレスティーヌは首すら動かせなかったけれど、辛うじて視線を前方に向けた。第一魔術師団の面々は皆魔物を注視している様子で、見えるのは彼らの背中ばかりで、セレスティーヌたちに気付いている者はいないようだった。
「ちょっと、こっちに来て」
ジリアンに地面をずるずると引き摺られて、セレスティーヌは大きな木の陰に引き込まれた。
(この方、いったい何がしたいのかしら?)
セレスティーヌの身体には戦慄が走っていた。ジリアンは憎々しげにセレスティーヌを睨み付けると、吐き捨てるように言った。
「あなたなんて、あの馬車の事故で死んでいればよかったのに」
驚きと恐怖の入り混じった目でジリアンを見上げたセレスティーヌに、彼女は暗い笑みを浮かべると、セレスティーヌの顎を指先で持ち上げた。
「あなた、レナート様の記憶がないんですって? それなのに、レナート様のお側にいるなんて図々しいのよ。ああ、失敗したわ。あの時、馬車馬に目くらましの魔法を掛けただけでは足りなかったみたいね」
(それって、つまり……)
セレスティーヌの目が驚愕に見開かれる。ジリアンは楽しげにくすくすと笑った。
「もう、失敗は繰り返さないわ。あなたには麻痺の魔法を掛けているの。知っているかしら? この森には、力は弱いけれど麻痺の毒を持つ魔物がいるのよ。あなたも魔物に襲われたようにしか見えないでしょうね。……まあ、私も補佐役としての責任は問われるでしょうけど、別に構わないわ。あなたさえ消えてくれるなら」
まるで悪夢を見ているようだと思いながら動けずにいるセレスティーヌに、ジリアンはその美しい顔を近付けた。
「そのうち、魔物があなたを食らいに来るはずよ。あなたを眠らせてもよかったのだけれど、それだと、魔物が迫って来る恐怖が感じられないものね?」
(私、それほど恨まれるようなことをしたのかしら。レナート様が私を選んでくださったからなの?)
セレスティーヌの考えを読んだかのように、ジリアンが口を開いた。
「あなたなんかよりも、レナート様をお支えできる力のある私の方が、彼には余程相応しいのに!! あなたの命なんて、所詮レナート様がいなければなかったのだから、さっさと消えてちょうだい。今までレナート様のお側にいられただけでも感謝なさいな。……あなたみたいな役立たず、レナート様には迷惑なのよ」
ジリアンは不意に顔を歪めると、ポケットから取り出した何かをセレスティーヌに向かって思い切り投げ付けた。
「……こんなものまで後生大事に取っておくなんて、レナート様もレナート様だけれどね。目障りだからくすねておいたわ」
セレスティーヌは、身体に鈍い痛みを感じた先を目で追った。小さなガラスの空き瓶が、彼女の上で跳ねていた。
(あれは、私がレナート様への回復薬を入れていた瓶……?)
セレスティーヌに一度ぶつかったそれは、木の根に落ちて音を立てて砕けた。
ーーパリン
ガラスの割れる高い音が、セレスティーヌの耳に響く。それは、彼女の記憶の奥底にあった音と重なった。
――パリン、パリン
セレスティーヌは、地面が揺れるような眩暈に襲われたかと思うと、記憶の蓋が開いたかのように、過去の記憶が一気に彼女の中に流れ込んで来るのを感じていた。




