第7話 緋月の夜
遺跡で見つけたのは、顔の削れた石像だけ。
紋章は、私には応えなかった。
魔女の手がかりも、お兄様の行方もわからないまま。
この先、どうすれば……。
洞窟を抜けた頃には、もう夜になっていた。
「すっかり暗くなっちまったな。急ぐぞ」
カイェンが先に立って、来た道を戻り始めた。
その背中が赤く照らされている。
梢の向こうに、赤いほうの月が、いつもよりずっと低く大きく掛かっていた。
「緋月の夜ですね」
ミリザが月を見上げて言った。
クシェルは、あれからほとんど口を開いていない。
少し後ろを一人で歩いている。
彼も魔女と関わりがあって、何かを隠しているのだとしたら……。
いや、良くない考えね。
遺跡でのクシェルはそんな顔をしてなかった。
気がつけば、村まであと少しのところまで戻ってきていた。
「なんつーか、長い一日だったな」
静かな一行を気にかけてくれたのか、カイェンが声を出す。
「そうですね。今夜はよく眠れそうです」
ミリザが口に手を当てて、小さくあくびをした。
「シャーリーさんは、これからどうされるのですか?」
「そうね……。司祭様がお帰りになるのを、待たせてもらおうかしら」
エルザに聞かれて、そう答えた。
他に手がかりは無いし、行く当てもないし……。
最初に気づいたのは、匂いだった。
焦げた木の匂い。
「カイェン!」
「わかってる!」
クシェルが言い終わる前に、カイェンは走っていた。
私たちも走る。
胸が締めつけられて、走っているのに息が入らない。
林が切れて、畑が開けた。
赤い夜空に煙が上がっている。
昨日まで灯っていた家々の明かりが、消えていた。
「村が……!」
ミリザの声が震えた。
林の際でカイェンが腕を横に出した。
「伏せろ」
村の端の、焼け残った納屋の裏に、五人で身を伏せた。
今朝見た村が、別の村になっていた。
戸が外れ、屋根が焼け落ちている。
広場のほうに大きな火が焚かれ、その周りを、武装した帝国兵が歩いていた。
少し先の柵に、鞍を載せたままの馬が何頭も繋がれている。
「もう、こんなところまで……」
自分の声だった。
迂闊だった。
王都が落ちてから、まだ二日しか経っていない。
北西の山を越えてきた帝国が、こんなに早く、東の端の村まで来るとは思っていなかった。
私の顔は知られている。
ここで捕まるわけにはいかない。
けれど、このまま村を見捨てるの?
「早すぎる……」
カイェンが村を見たまま言った。
声から、軽さが消えていた。
「おい、あれはやべぇぞ。あそこの男……ヴィンセント・ノーヴァだ」
カイェンが指した先に、大きな斧を背負った男が立っていた。
兵と話している。
遠目でも分かるほど、大きい。
火に照らされた肩に、毛皮の縁取りが見えた。
「師団長だぞ。こんな辺境の村まで来るか、普通……」
「なあ、カイェン。あの女は」
クシェルが低く聞く。
斧の男の近くに、赤い髪の女が座っている。
細い腕。
それなのに、扱いの難しそうな長い片刃の剣を、膝の横に立てていた。
帝国兵なのだろうけれど、暇そうに自分の手を見つめている。
焼けた村の真ん中で、その人だけが何にも関心が無いように見えた。
「いや……見たことねぇ。すまねぇ」
「そうか。気にしないでくれ」
納屋の中で板の鳴る音がした。
心臓が跳ねた。
「戻ってきていたんですね」
聞き覚えのある声だった。
「リグレット! 無事だったのですね」
エルザが振り返る。
中から出てきたのは、今朝、礼拝堂で会った少年だった。
修道服の袖が煤で黒い。
「皆さんも、ご無事で」
少年は一瞬だけ顔を緩め、すぐに引き締めた。
「奴らは、容赦がありませんでした。役に立ちそうな人たちは、連れて行かれました。抵抗した人は……」
言葉が詰まった。
「皆、殺されてしまいました」
帝国のやり方は知っている。
この国の人を、人だと思っていない。
赤く染まった空と、焼けた血の匂い。
嫌でもネメアの街が重なる。
「怪我人を宿に集めてあります。でも、治せる人がいなくて」
エルザがもう腰を浮かせていた。
「ただ、帝国は王女様を探しているようです。もし見つかったら……」
エルザが、私を見た。
「私のことは、心配いらないわ」
「……ありがとうございます。エルザ、力を貸してほしい」
「わかりました」
宿の一階に、十人ほどの村人が匿われていた。
クシェルが借りていた、村の奥の宿だ。
切り傷、火傷、倒れた梁に潰された足。
ひどい有様だった。
エルザとミリザが、一人ずつ傷を見ていく。
「俺は見回りに行ってくる」
カイェンが出ていく。
「私にできることはある?」
「できるだけ綺麗な布と、お水を」
ミリザが答えてくれた。
使われていない敷布をかき集めて戻ると、エルザが怪我人の前に膝をついていた。
「リミッション」
かざした指先で雷が爆ぜる。
傷の縁が寄って血が止まった。
次の人、また次の人。
光はしばらく途切れなかった。
エルザが額の汗を拭う。
顔が白い。
「エルザ。もう座って」
ミリザが妹の肩を押さえる。
「皆さん、本当にありがとうございます」
リグレットが頭を下げる。
戸口で、クシェルが外を見ていた。
「ここはみんなに任せる。俺も村を見てくる」
「私も行くわ」
クシェルの後について宿を出ると、ちょうど見回りから戻ったカイェンと鉢合わせた。
「おう、落ち着いたか?」
「ああ。村はどうだった?」
「あらかた荒らし終えた後だな。帝国の連中は、広場に集まってる。下手に動かなけりゃ、こっち側は大丈夫だ」
「荒らし終えた後、か。もう少し早く戻っていれば」
クシェルが教会へ続く道を歩き出す。
カイェンと私も後に続いた。
家を一つ過ぎた所で、クシェルが足を止めた。
「どうしたの?」
「……見るな!」
私が覗き込むより先に、カイェンが叫んだ。
遅かった。
クシェルの肩越しに、血で汚れたうさぎの人形が見えた。
昨日の女の子が抱いていた、あの人形。
父親の体のそばに、転がっている。
父親は、うつ伏せのまま動かなかった。
「あ……あぁ……」
無事ではないかもしれないと、思わないようにしていた。
膝が折れた。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
私は無力だ。
国も村も人の命も、私にはどうすることもできない。
膝をついた私の前で、クシェルは拳を震わせている。
「あいつら……」
低く、抑えた声。
その声には、今まで聞いたことのない激しい怒りが滲んでいた。
次の瞬間、彼は剣を抜き、飛び出していった。
「おい! ……なにやってんだ! アイツは!」
カイェンの怒号が、遠ざかって行く意識の片隅に響いていた。




