第6話 紋章
『運命とは、何を指して言うのだろう。
人の出会いや別れは予め決まっているのだろうか。
私がそれを信じ始めたのは、きっとこの頃から。
そして信じられなくなったのも、きっとこの頃から……』
◇
石の扉が、重い響きを残して開ききった。
明るさに目が慣れてくると、扉の向こうに森が見えてきた。
上げたままだった手を、シャーリーがやっと下ろす。
「おお、なんだこれ。洞窟の中に森か?」
カイェンが思わず立ち止まる。
見渡す限り、木々が枝を広げている。
どこから射し込んでいるのか分からない光が、葉の一枚一枚を柔らかく照らしていた。
「とても神秘的ですね」
エルザが、胸の前で組んでいた手をそっとほどく。
足を踏み入れると、体が重たくなったような気がした。
土と苔の匂いはするのに、葉が一枚も揺れていない。
「風がねぇな」
カイェンが足元の枯れ葉を拾って、肩の高さから落とした。
葉は、まっすぐ下に落ちた。
「なんだか、異様に静かですね」
ミリザが微かな声で呟く。
鳥の声も、葉擦れの音もない。
自分の息と鼓動が、やけにうるさく聞こえる。
ここを魔の門だなんて、誰が呼び始めたんだろう。
「取り敢えず、辺りを調べてみようか」
「そうね」
シャーリーが先に奥へ進んでいく。
カイェンは弓を背中から手に持ち替えた。
石畳に、柱の残骸。
石の面に刃物の傷が斜めに何本も走っていて、どれも苔に半分埋もれている。
「大勢でやり合った跡だな。それも、ずいぶん昔だ」
カイェンが傷を指でなぞる。
苔の下の石が、刃の幅だけ白く欠けている。
昔ここで戦いがあったとして、いったいいつの時代なのか。
「あれ」
シャーリーが足を止めた。
木々の切れ目に、石像が立っている。
人の背ほどの高さで、長い衣を着た女の姿。両手を胸の前で重ねている。
顔は長い年月で丸く削れて、目鼻の位置がやっと分かる程度だ。
シャーリーは像を見上げたまま、しばらく黙っていた。
「お父様も、これを見たのかしら」
「来てるんじゃないか。王家の血でしか開かないんだろ」
「……これが、魔女?」
削れた顔は何も答えない。
シャーリーが像から目を離さずに言う。
「ねぇ、クシェル。ここで、何か思い出さない?」
「いや」
「そう」
「期待させたなら、悪い」
「別に。聞いてみただけよ」
それきり、また像を見上げる。
何か一つでも思い出せたらよかった、と少しだけ思った。
「これは、なんでしょうか」
エルザの声がした方を振り返ると、彼女は地面を見つめながら顎に手を当てていた。
視線の先には石を組んだ台。
その周りにだけ、草が一本も生えていない。
その真ん中に、円の形に紋章のようなものが彫られていた。
「シャーリーさん、この紋章に触れてみてもらえませんか? さっきの扉と同じ仕組みなら、何かが起こるかもしれません」
シャーリーは紋章に手を置いた。
周りを歩き、しゃがんで、今度は両手で触れる。
何も起こらない。
「だめみたい」
しゃがみ込んだまま、立つまでに時間がかかった。
手を貸そうとして、やめる。
シャーリーは膝の土を払って、自分で立ち上がった。
「他に手掛かりがないか、もう少し周りを探してみようぜ!」
カイェンの声で皆が散った。
シャーリーは石像の台座から探し始めた。
苔を指で剥がしては、下の石に顔を近づけている。
名前の一つでも刻んであれば、と思っているんだろう。
「カイェン、そっちは?」
「苔と石だ。嬢ちゃんは」
「こっちも苔と石よ」
「そろそろ戻らないと、帰り道で日が暮れてしまいますよ」
ミリザが入ってきた扉のほうを振り返る。
シャーリーは、台座の前から動かなかった。
払ったはずの膝に、また土が付いている。
そもそも、ここは何の場所なんだろう。
教団が近づくことまで禁じるほどの場所なんだろうか。
紋章の台に上がって、辺りを見回した。
ざわざわ。
風の無かった森で、木の葉が一斉に音を立て始めた。
音は次第に大きくなり、風が地面を這うように、俺のほうへと集まってくる。
「クシェル?」
シャーリーが揺れる髪を押さえて、こちらを振り向いた。
紋章から立ち上る紫色の光が、彼女の水色の瞳に映っている。
「シャーリ……」
伸ばしかけた手を遮るように、風が吹き上がる。
服がバタバタとはためく。
目を開けていられないほどの光が、足元から立った。
光は柱のように集まって、強く煌めいた後、ふっと消える。
そして再び、静寂が戻った。
葉はもう、一枚も揺れていない。
「なんだったんだ? 今のは」
カイェンが弓を構えかけたまま、辺りを見回している。
ミリザは妹を抱えるように立っていた。
その腕の中から、エルザが一歩出てくる。
「あ……あの、お怪我は」
「平気」
「平気な顔では、ありません」
言われて自分の手を見た。
指先が、まだ痺れている。
「紋章は、シャーリーさんには応えませんでした」
エルザが紋章と俺を見比べる。
「扉はシャーリーさんに。こちらは、クシェルさんに……」
「じゃあ今のは、クシェルがやったのか?」
「わからない。自分でも……」
シャーリーがこちらを見つめたまま近づいてくる。
一歩分の距離で止まって、彼女は言った。
「あなた……何者なの?」
上げかけた手が、途中で止まっていた。




