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ウィズニア ~記憶をなくした剣士は、厄災の魔女を追う~  作者: 景都 (けいと)


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第5話 北の遺跡

「姫様なら、俺みたいな護衛は雇わないだろ」

「雇ったのか」


 言葉を選び損ねた。

 男は肉を噛みながら、こっちを見ない。


「冗談だよ。あんな靴で森を歩く娘は、姫か馬鹿のどっちかだ」

「後のほうだ」

「そうかい」


 匙を置いて、男は顔を上げた。


「じゃ、まあそういうことにしといてやるよ」

「そうしてくれ」


 そのまま男を残して階段を上がった。




 翌朝、目が覚めた時、外はまだ暗かった。

 窓を開けると、教会の屋根から鳥が一羽飛び立って、西へ消えた。



 教会の扉を開けると、祈りの声が聞こえた。

 ミリザの声だ。

 音を立てないように扉を閉めて、その場で待つ。


「遅いわよ」


 隣でシャーリーが小声で言った。

 長椅子の端に座って、足を揺らしている。


「まだ日も昇ってないぞ」


 声を落としたまま、続けた。


「昨日、宿で会った男が、お前を姫かと訊いてきた」

「……ふぅん」


 それだけだった。


 祈りが終わって、ミリザが振り返る。


「クシェルさん、おはようございます!」

「ああ、おはよう」


「おはようございます。お待たせしました」


 エルザが茶髪の少年を連れて来た。


「紹介しますね。彼はリグレット。私と同じ見習いで、私たちが教会を空けている間の留守を任せます」

「エルザも行くのか?」

「はい。姉さん一人では、心配ですから」


「初めまして。お話は伺っています」


 少年はゆっくりと頭を下げた。

 やわらかい声だった。


 エルザが祭壇に戻って、蝋燭を一本ずつ消していく。

 最後の一本が消えて、ミリザが肩掛けを直す。


「ねぇ、遺跡までってどれくらいなの?」

「北の遺跡なら、歩いて二時間ってとこだ」


 答えたのは、礼拝堂の扉を開けた男だった。

 編んだ銀髪に、担いだ弓。


「お前、昨日の!」

「知り合いなの?」


 シャーリーが訊いてくる。

 さっき話した男だと、顔に出さない。


「知ってるけど、知らない奴」

「連れねぇなぁ。夜に話した仲じゃねぇか!」


 男はニヤニヤしながら、長椅子の背に腰を預けた。


「え、なにしてんのよ」

「宿でそんなことしてたんですか?」


 祭壇から来たミリザが、男と俺の顔を順に覗き込んでくる。


「昨日、食堂で話しかけられただけだ。それだけ。何もない」


 なんでこんな釈明をしなきゃいけないんだ。


「で、北の遺跡だろ? 俺も行く。森に火を持った連中がいた。人手は多い方がいいぜ」

「間に合ってる」


 シャーリーが長椅子から立った。


「目のいい人がいるなら、助かるわ」


 一度だけ、こちらを見た。


「決まりだな。俺はカイェン。よろしくな」


 長椅子の背から体を起こして、男は俺を見た。


「で、護衛さんは村で待ちか?」

「行く」

「遺跡に護衛の用は無ぇだろ」

「魔女の手がかりがあるなら、俺も確かめたい」


 シャーリーが、少しだけ目を細める。


「……昨日の、あれね」

「言葉が引っかかっただけだ」

「引っかかっただけの人の顔じゃなかったわよ」


 言い返す前に、カイェンのほうへ向き直った。


「少しでもおかしな動きをしたら、容赦しないからな」

「何もしねぇよ」

「少しでもおかしな動きをしたら、私も容赦しませんからね!」

「な、何もしねぇよ……」


 ミリザはカイェンを睨みつけてから、先に扉を出る。

 少年が扉まで見送りに来た。


「クシェルさん。ミリザ達をお願いします。留守中のことは、お任せください」

「ああ」


 教会を出て村の北側へ向かった。




 東の空が、白み始めていた。

 村の端で小さな手が振られている。

 うさぎの人形を抱いた女の子が、家の戸口から俺たちを見ていた。昨日の子だ。

 その後ろで、父親が頭を下げる。

 手を振り返すと、人形の手も一緒に振られた。




 村を出ると、道はすぐに畑を抜けて林に入った。

 はじめは獣道ほどに細い。

 北へ行くほど、石を敷いた跡が土の下から覗くようになった。

 誰かが昔、ここに道を作ったんだ。


 先頭はカイェンに歩かせた。

 会ったばかりの男に、背中を見せて歩く気はない。

 そう思って後ろについたら、ミリザが俺とカイェンの間に割り込んでくる。


「なんで間に入る」

「クシェルさんを守るためです」

「俺を?」

「はい」


 前を歩くカイェンが、振り返りもせずに笑った。


「後ろが物騒だなぁ、おい」


「カイェンは、弓が得意なの?」


 背中の弓を見ながら、シャーリーが尋ねる。


「ああ、狩人だ。雪国の生まれでな。弓が無けりゃ食えねぇ土地だった」

「狩人……。精霊術も使えるの?」


 俺の精霊術を見抜いた奴だ。使い手だったとしても、おかしくはないか。


「まあな。使えるが、あんまり得意じゃねぇ。難しい戦い方は苦手でな。弓で射抜くか、武器握ってぶん殴るほうが性に合ってる」

「もったいないわね。せっかく使えるのに」

「使えたって、近頃は乗りが悪ぃんだよ。苦手な俺でも分かるくらい、精霊の力が薄くなってる。薄くなった分、増えてるもんもある。獣の悪魔憑きまで出るって話だ。俺はまだ見てねぇがな」


 カイェンが弓の弦を指で弾いた。


「帝国の連中は、それもウィズニアのせいだって言ってるらしいがな」


 シャーリーは何も言わなかった。

 前を向いたまま、歩く速さだけが少し上がった。



 二時間は思ったより早く過ぎた。


「あれじゃねぇか?」


 カイェンの指差した方向に、岩肌に黒い口が開いている。


「ここが遺跡なのか?」


 入口は洞窟だ。見える範囲に、人の手の跡は見当たらない。


「止まれ」


 カイェンが腕で俺たちを制した。

 弓に矢をつがえて、入口の脇の茂みを見ている。

 俺の耳にも聞こえた。重い息と、枝の折れる音。


 茂みを割って猪が出てきた。

 牛ほどもある。片方の牙が折れていて、口の端から涎が糸を引いている。

 目が、どこも見ていない。広場で見た男と同じ目だ。

 猪が地面を掻いた。

 次の瞬間には、もう走り出している。

 カイェンの脇をかすめて、まっすぐ来る。

 狙いは、洞窟を覗き込もうと前に出ていたシャーリーだ。


 弦の音。カイェンの矢が猪の前脚に刺さる。

 それでも止まらない。勢いの落ちた巨体が、そのまま突っ込んでくる。

 シャーリーまで二歩。腕を引いて半歩だけ横へずれる。

 剣を抜き、すれ違いざまに首の付け根を斬った。

 猪は地面を削りながら転がって、岩肌にぶつかって止まる。

 まだ脚が動いている。

 二本目の矢が、眉間に立つ。


 カイェンが、ふうと息を吐いて弓を下ろす。

 左腕の袖が裂けて、血が滲んでいた。さっきかすめた時に、牙が触れたらしい。


「見せてください」


 エルザが駆け寄って、傷に手をかざした。

 指先で小さく雷が爆ぜる。

 血が止まって、裂けた肉がわずかに寄っていく。


「治す手伝いくらいしか、できませんけれど。大きな傷は、無理です」

「十分だ。助かった」


 カイェンは腕を回してから、猪を見た。


「噂じゃなかったな。見たのは俺も初めてだ」


 俺の後ろから、シャーリーがやっと顔を出す。


「……ありがと」

「護衛だからな」


 ミリザが洞窟の黒い口を見上げた。


「ここから先が、魔の門です」


 奥から吹いてくる風は、外よりずっと冷たかった。




 洞窟に一歩入ったところで、空気が変わる。

 誰も口をきかない。

 少し進むと、外の光はほとんど届かなくなる。

 湧水の落ちる音が、奥のほうで反響している。


「少し待ってください」


 ミリザが服の下から石を取り出して、精霊の力を込める。

 手のひらに収まるほどの石なのに、松明よりずっと広く、辺りが白く照らされる。


「精霊晶石か。見習いの持ち物にしちゃ、上等だな」

「小さい頃に、ある方から譲り受けたんです」


 ミリザは石の紐を腰に括る。


「精霊晶石?」

「テテル博士という方が、半世紀ほど前に作られた石です」


 答えたのはエルザだった。


「その博士、まだ生きてるのか?」

「どうでしょう。もう、ずいぶんなお年だと思います」


 その間も、シャーリーの足は止まらない。

 一人だけ先へ先へと出ていく。



 道は一本だった。どれだけ歩いても、分かれ道がない。


「これ、どこまで続くんだ? 帰りも同じ道を歩くと考えると眩暈がするぜ」

「言わないでよ! 考えないようにしてるんだから」


 いつの間にか、最初の緊張は消えていた。

 足元の岩が濡れている所で、シャーリーがつまずいた。

 腕を掴んで支える。礼の代わりに、袖を掴まれた。

 そのまま十歩ほど歩いたところで、横から白い光が差す。


「足元、照らしますね」


 ミリザが腰の晶石を、俺たちの手元に向けていた。

 袖から、手が離れた。

 ミリザはそのまま、先に立って歩き出す。


「もう少しかもしれませんよ?」


 ミリザの声のほうへ進むと、開けた場所に出た。

 晶石でも、奥まで照らしきれないほどの広さだ。


 一番奥に、石の扉。

 大人が二、三人横に並んでも通れそうな大きさだ。

 取っ手も、仕掛けらしいものも見当たらない。

 表には人の背より高い所まで細かい刻印が走っていて、晶石の光を受けた筋だけが銀色に浮いている。

 文字なのか模様なのか、俺には読めない。


 エルザが胸の前で小さく手を組んだ。

 シャーリーは迷わず扉の前まで歩いて、手を触れる。


 石の奥で、何かが噛み合う音がした。

 刻印に光が走る。

 ゴゴゴォ、と低い音を立てて、扉がゆっくりと開き出す。


「おい……嘘だろ」


 カイェンが口を半分開けたまま、扉とシャーリーを交互に見ている。

 扉が動いて手が届かなくなっても、シャーリーは手を上げたまま動かなかった。


 開いた扉の隙間から、光が漏れていた。

 洞窟の中にあるはずのない、温かな光が。

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