第4話 銀髪の男
は?
今、なんて言った?
とんでもないことを聞いてしまった気がする。
確かに上品な身なりだとは思った。身分の高い家の娘なんだろうな、くらいには。
くらいには、だ。
「シャーロット……様?」
ミリザさんが、ティーカップを置いたまま固まっている。
先に動いたのは、エルザさんだった。
深く頭を下げる。
「ご無礼を、いたしました」
「やめて。そういうのはいらないの」
「待て待て待て待て! お前、お姫様だったのかよ!」
椅子を鳴らして立ち上がる。
「別に関係ないでしょ!」
「あるだろ! そんな大事なことは先に言っておけよ!」
「聞かれなかったから言わなかっただけよ! 『私、王女なんだけど?』なんて急に言えるわけないでしょ?」
確かにそれはそうなんだけど。
昨夜からのやり取りを思い返して、背筋が冷える。
「というか、俺は王女様を吹き飛ばして川に落としたのか? それって、やばいんじゃないのか? 重罪なんじゃないのか?」
「裁く人間がいないわよ」
静かな声だった。
俺は椅子に座り直した。
「……悪かった」
「いいわ。もう」
シャーリーの声が、今度は少しだけ柔らかい。
「裁く人間がいない、ってことは……シャーリーの親父さんは」
シャーリーの返事が、一拍遅れた。
「さぁ……わからないわ。私はお父様を置いて逃げてしまったから」
膝の上で手が固く握られている。声が、かすかに震えていた。
「でも、生きている可能性は……低いでしょうね」
まるで自分に言い聞かせるようだった。
机の端を赤くしていた夕陽が、いつの間にか消えていた。
エルザさんが、湯気の消えたお茶を黙って下げて、新しい湯を注ぐ。
シャーリーは深く息を吸って、顔を上げた。
「私は本当のことを知りたいの! 精霊の力が弱っているのは、この国が何かを隠しているせいだって、あいつらは言っている。お父様もお兄様も、ずっと魔女のことを調べてた。隠し事があるなら、それしか思いつかない」
声が、そこで一度詰まった。
「……魔女」
口に出ていた。
シャーリーが、こちらを見る。
「知ってるの?」
「いや。言葉が引っかかっただけだ」
シャーリーはそれ以上聞かなかった。
「お父様たちのしていたことが、悪いことだったなんて思えない。だから、北の遺跡に連れていって」
ミリザさんが、シャーリーの顔をしばらく見ていた。
「……わかりました。ご案内します」
「姉さん!」
「大丈夫。なんとかなりますよ」
妹を見て笑った。
「ありがとう。ミリザ」
「明日、改めて案内させていただいてもいいでしょうか」
「ええ。今日はもう暗いもの」
シャーリーがやっと息を抜いた。
それから、俺に記憶が無いことや昨夜からの道のり、明日の段取りを話し合った。
ミリザは要所で頷いて、エルザは最後まで黙って聞いていた。
エルザが三度目の湯を注ぎ終えていた。
話が途切れたところで、俺は椅子を引いた。
「すっかり遅くなった。明日のこともあるし、俺たちはそろそろ」
「私たち、教会の裏の家で暮らしてるんです。シャーリーさんは今晩、そちらへどうぞ」
「ありがとう。クシェルもそうしたら? 護衛でしょ?」
当然のように言う。
王女様の家では、護衛は隣の部屋で寝るものなんだろう。
「見習いの修道女の家に、男が泊まれるか」
「あら。私は構いませんよ? エルザが困ると思いますけど」
「……困ります」
エルザが、小さく、はっきり言った。
「俺は宿を借りるよ。教会が見える部屋にする。何かあったら、窓を割ってでも呼んでくれ」
「弁償はクシェルさんにお願いしますね」
ミリザは、にこりと笑った。
「……呼んでくれ」
「護衛なのに私を置いて宿に行くの?」
「雇い主だ。主じゃない」
「同じでしょ」
「違う」
シャーリーは唇を尖らせたまま席を立って、小さな革の袋を俺の手に載せた。硬貨の音がする。
「宿代。雇い主からよ」
「……助かる」
宿を借りると言った時には、金のことが頭に無かった。
「クシェルさん。これも」
ミリザがさっきの布包みを押しつけてくる。パンの残りだ。
「餌付けをした責任がありますから。飼い主からです」
「飼われた覚えはない」
言いながら、手はもう包みを受け取っていた。
「……犬みたいですね」
エルザの口から、ぽろりと出た。
「ほんと、犬っぽい」
「っ……」
シャーリーの一言で、エルザが口元を押さえた。
押さえた指の間から、くすくすと漏れている。
「二人とも、今日はありがとう。シャーリーのことを頼む」
「お任せください。姫様のお世話は慣れていませんけど」
「姫様はやめて」
教会を出た。
背中で、シャーリーが何か言い返している声がする。
宿は教会から、家を三つ挟んだ先にあった。
礼拝堂の屋根が見える二階の部屋を取って、パンの包みを窓際に置く。
これは明日の分だ。今夜は温かい物にする。
宿の一階の食堂は、まだ明かりが入っていた。
この辺りは土地が肥えていて、新鮮な野菜が豊富に採れるらしい。どの料理も美味い。
焼いた根菜に塩と油を回しただけの一皿。
噛むたびに、昨夜の川の冷たさが体から少しずつ抜けていく。
肩の力まで一緒に抜けていくのが分かった。
久しぶりに温かいものを座って食べている。
ただ一点の不満といえば、チラチラとこちらを見てくる男の存在だ。
編まれた長い銀髪と切長の目。
広場でこちらを見ていた、あの目だ。
一見美形に見えるが、体格はそれなりにがっしりしている。
何にしても明日は大事な用が控えているし、面倒事はごめんだ。
目を合わせないよう、食事だけに集中することにした。
ガタ、と目の前に新しい皿と椀。
顔を上げると、銀髪の男と目が合う。
「なあ、あんた。一人なら一緒に食わねぇか?」
皿も椀も、男が自分の席から運んできたものだ。
担いでいた弓を下ろしながら、返事を待たずに向かいへ腰掛ける。
「……構わないが、そこまで暇じゃないんだ。長くは付き合えないぞ」
「もちろん。あんたが食い終わるまででかまわねぇよ」
座ってしまった相手に、そう返す以外にない。
「あんた、この村に来たのは今日の夕方だな」
「そうだが」
「西の森から来た」
「……そうだ」
質問の形をしていない。
男は椀を持ち上げて、スープを一口飲んでから続けた。
「昨日の夜、あの森で火が動いてた。賊だ」
匙が止まった。
「で、翌日に同じ森から、剣持ちが一人出てくる。上等な服の娘を連れてな」
「……待て」
「待たねぇ。あの森で何してた」
疑われている。
賊だと。
答えられなかった。
俺が森で何をしていたのかを、俺が一番知らないからだ。
それを言えば、余計に怪しくなる。
「違う」
「何が違う?」
「違う」
「二回言ったな」
男がスープを飲み干して、椀を置いた。
それから、急に笑った。
「まあ、そうだろうな。賊なら、さっきのあれはやらねぇ」
「……は?」
「悪魔憑きの腕を落として、村の子供を拾った。そんな賊はいねぇ」
最初から答えを持っていて、反応を見るために聞いたのか。
獲物を見透す琥珀色。狩人の目だ。
「しかし大活躍だったな! 雷の嬢ちゃんも凄かったが、あんたの剣はずば抜けて凄かった。普通その得物じゃ、あんな綺麗に腕は落ちねぇよな」
「……たまたまだろ」
俺の剣は、断ち斬るというより叩き斬るために作られた剣だ。
頑丈だが、切れ味はそこまで良くない。
それでも困らない理由が、俺にはある。
「精霊術を使っただろ」
フォークで肉を突き刺しながら、詰め寄ってくる。
「……」
「血の飛び方が普通じゃなかった」
よく見ている。あの人垣の中で、血の飛び方まで。
「流石だな。剣先に風を乗せたんだ。そのままよりは斬れる」
「へー、やっぱりそうか! あの一瞬でよくやるなぁ!」
最後の根菜を口に入れてから、聞いた。
「なあ、俺をどこかで見たことはないか?」
「ねぇな。あの剣筋を一度見てたら忘れねぇよ。なんだ、人探しか?」
「探されてるほうかもしれない」
「ははっ。そりゃ厄介だ」
先に食べ終わった俺が席を立つ。
「最近じゃ悪魔憑きも増えてるみてぇだし、気をつけろよ」
「ああ。あんたもな」
扉に手をかけたところで、後ろから声の調子が変わった。
低い。笑っていない。
「それと、一つ聞き忘れてた」
振り返ると、男は皿に目を落としたまま、肉を噛んでいた。
「あの嬢ちゃん、どこの姫さんだ?」




