第3話 シスター
「どうぞこちらへ」
ミリザさんに案内されて、礼拝堂を抜けて奥へ進む。
廊下の突き当たりの裏口が開いていて、外の光が差し込んでいた。
その向こうに荷馬車が一台。
黒い長衣の男が、書物の束を荷台に積んでいる。
「司祭様。もうお発ちに?」
「急ぐ。隣国の教会に用がある。あとは頼んだぞ」
ミリザさんの声に、男は振り向きもしないで答えた。
司祭。この村の教会で一番上の人間ということか。
ミリザさんが、俺のほうを一度見てから声を張る。
「司祭様、この方を、どこかで見かけたことはありませんか?」
男がやっとこちらを向いた。
俺の顔を一秒だけ見て、荷台に目を戻す。
「知らん」
それだけだった。
手綱が鳴って、荷馬車が門の外へ出ていく。
「司祭様は、旅の方をよく覚えていらっしゃるのですが……」
ミリザさんが小さく言った。
彼女は裏口に背を向けて、廊下を戻っていく。
木の扉が開けられると、小さな部屋が現れた。
普段はミリザさんたちが休憩や食事に使っているのだという。
「あ……お客様、ですか?」
部屋の中から細い声がした。
振り向いた女の人を見て、俺は思わず目を見張った。
ミリザさんによく似ている。
顔の作りも、声の高さも、金色の髪も。
違うのは、その髪が腰まで真っ直ぐ伸びていることと、肩掛けをしていないこと。
それと、目が青いことだ。
「紹介しますね。妹のエルザです」
「エルザと申します。どうぞ、おかけください」
エルザさんが引いてくれた椅子に腰掛ける。
机と戸棚だけの部屋は、四人で入ると膝が触れそうなほど狭い。
窓は一つ。夕陽が机の端だけを赤くしていて、戸棚の上の壺に野の花が挿してある。
教会の前に植わっていたのと同じ花だ。
エルザさんは戸棚からティーカップを出して、お茶を淹れてくれる。
お茶の匂いがして、腹が鳴った。
狭い部屋だ。全員に聞こえた。
森で目を覚ましてから、水しか口に入れていなかった。
「すみません」
「あらあら」
ミリザさんが立って、戸棚の下の段から布包みを出す。
黒いパンが半分と、硬いチーズが一欠け。
何も言わずに俺の前へ置いて、座り直す。
修道女に餌付けされている。そう思ったが、手が先に出た。
「先ほどは、本当にありがとうございました」
机を挟んで向かいに座ったミリザさんが、頭を下げる。
パンを噛んでいたので、返事が遅れる。
「大したことじゃないよ。それにミリザさんがいてくれて助かった」
それは本当だ。あの場で先に動いたのは彼女のほうだ。
「最近多いのか? 悪魔憑き、だっけ」
「はい……。つい先日も何人か犠牲者が出たばかりで」
ミリザさんの声が沈むと、エルザさんも表情を曇らせる。
「魔力って、精霊術とは何が違うんだ?」
姉妹が目を見合わせて、答えたのはエルザさんだった。
「精霊術は、精霊が力を貸してくれるものです」
「魔力は?」
「誰も貸してくれません。使った人の心のほうが、少しずつ削られていくんです」
「だから禁忌なんですよ。普通は、誰も使おうとはしません」
ミリザさんが言い添えた。
石畳に膝をついていた男の、どこにも焦点の合わない目。
あれが心を削られた顔なら、使おうとして使ったわけでもないんだろう。
この村は、見習いの修道女一人に頼るしかないらしい。
どうなんだ、それは。
「王都から人を呼ぶとかは、できないのか?」
部屋が少しだけ静かになった。
エルザさんが姉を見る。ミリザさんが小さく頷いて、こちらに向き直った。
「……王都は、昨日、帝国に攻め落とされました」
窓の外を、子供の笑い声が通り過ぎていく。
「村の人たちは、まだ知りません。今朝、司祭様から私たちにだけ」
書物の束を荷台に積む、急いだ手を思い出す。
知っていて、あの人は村を出たのか。
隣を見ると、シャーリーは俯いて黙っている。
カップを持つ手が、わずかに震えている。
「なんで帝国は攻めてきたんだ?」
答えたのはシャーリーだった。
「ウィズニアの企みを止める、正義の戦いですって。あいつら……好き勝手言って、やりたい放題なのよ」
カップが受け皿に当たって、硬い音を立てた。
「シャーリー、何か知ってるのか?」
「知らないのよ。……なにも」
短く切って、それから二人を見た。
「だから私は、確かめるためにここに来たの。村の北にある遺跡について教えてほしい。そこに答えがあるはずなの」
北の遺跡。
ミリザさんは少し考えてから答える。
「昔から『魔の門』と呼ばれている場所ですね。近づくことも禁じられています」
「この教会が代々管理をしているのですが、何のための場所なのかは……。司祭様ならご存じかもしれません」
エルザさんが続けた。
シャーリーの顔から、少しだけ色が引く。
「司祭様って、さっきの?」
「はい。いつお戻りになるのかは……」
ミリザさんが目を伏せる。
「少し遅かったか……」
シャーリーは肩を落として、小さく息を吐く。
下がった肩がすぐにまた上がる。
「場所だけでも、分かるかしら?」
「場所ならわかります」
ミリザさんが先に答えて、妹を見る。
「あ、ただ……入口は封じられていて、扉は王家の血でしか開かないそうです」
エルザさんの声が、最後の一言で細くなった。
隣で、シャーリーが息を呑んだ。
王家の血……。
国が落ちた今、その血を引く人間を探し出すことが、どれほど難しいか。
シャーリーが、一瞬だけ俺を見た。
「大丈夫よ。私は王家の人間だから」
聞き間違いだと思った。
ミリザさんが目を見開く。エルザさんが、ティーカップを持ったまま姉のほうを見る。
シャーリーは机の上で両手を重ねて、まっすぐ前を向いた。
「シャーロット・ウィズニア。私の名前」




