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ウィズニア ~記憶をなくした剣士は、厄災の魔女を追う~  作者: 景都 (けいと)


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第2話 悪魔憑き

 対岸で松明が止まった。

 俺が風で薙ぎ倒した木の列の前だ。

 倒れた幹が、川岸から森の奥まで一本の道になっている。

 ここから川に入りました、と書いて立てたようなものだ。


 岩の陰でシャーリーと二人、膝を抱えている。

 濡れた服が夜風で肌に張りつく。


「ねぇ、さっきの、もう一回できないの?」

「加減が分からない。次は川ごと吹き飛ばすかもしれない」

「じゃあ、やめて」


 松明が一本、木の列を離れて川縁まで降りてきた。

 火が水面に落ちて、揺れながらこちらの岸の石まで伸びてくる。

 袖が引かれた。シャーリーの指だ。

 柄を握る。

 渡ってくるなら、渡り切る前に斬る。


「流されたなら、川下だ」


 対岸の奥から低い声がした。

 川縁の火は、しばらく水面を照らしてから離れていく。

 火が四つ、五つと、下流のほうへ流れていった。


 袖を掴んでいた指が、そっと離れる。


「寒かっただけよ」

「何も言ってない」


 彼女は腕をさすりながら、一度だけ対岸を振り返った。

 川沿いを上流へ。追手と逆へ歩く。

 村までは半日だと彼女は言った。


 夜明け前に、森が切れた。

 なだらかな丘が続いて、その向こうに畑の畝が見える。

 乾いた草の上に二人して倒れ込んで、服が乾くまで眠った。

 目を開けると、日が高かった。




 村には陽が沈むよりも早く着いた。

 入口には荷を下ろした行商人の荷車が何台か並んでいる。

 木造の家々からは、炊事の煙がゆらゆらと立ち上っていた。

 長く歩いた疲れもあってか、その煙が妙に温かく見える。


 行商人の顔を、一人ずつ見た。

 向こうもこちらを見て、すぐ荷に目を戻す。

 誰の目も、俺の顔では止まらない。


「探してるの?」

「……いや」

「約束は覚えてるわよ。聞く相手を間違えなければいいだけ」


 ウィズニア王国の東の端にあるこの村は、ドルナ村というらしい。

 国境が近く、王都との中継地として行商人がよく寄る。そのため村の割には宿や店が揃っているのだと、シャーリーが教えてくれた。

 ウィズニアと言われても何も浮かばない。

 知っているはずの言葉が全部、初めて聞く言葉になっている。

 これが何より、気持ちが悪い。


「とりあえず教会を訪ねようと思うのだけど、いいかしら?」

「……教会?」

「そう。アリスティア教団の教会があるはずなのよ」

「アリスティア……」

「え、うそ。冗談でしょ? アリスティア様のことも忘れちゃったの?」


 シャーリーが目を丸くする。足まで止まった。


「そんなに有名な人なのか?」

「人じゃないわ。世界を作った創造神よ。神様を忘れたら罰が当たるわよ」

「もう当たってるんじゃないか、これ」

「それは、そうかもしれないけど」


 言い返しに困った顔をして、それから少し笑った。

 記憶がないのも、笑われると少し軽くなる。


「精霊はアリスティア様の子なの。大地の穢れを祓って、人に加護を授けてくれる」

「加護」


 手のひらを見る。

 記憶がないのに、精霊術だけは自然と使える。

 昨夜、木を薙ぎ倒したあの風も、神様の加護ということになるんだろうか。

 なら、神様は配り方を間違えている。


「ここ……みたいね」


 教会は村の奥にあった。

 石の壁は周りの家より古びているが、足元には色とりどりの草花が植えられている。

 花の間の土には、雑草が一本も無い。

 誰かが毎日ここに手をかけているんだ。


「ご用ですか?」


 扉に手をかけたシャーリーの後ろから、声がした。

 振り返ると、女の人が一人立っている。


 夕陽に照らされて輝く金糸のような髪。片側で束ねたその髪が、肩の前で揺れている。

 白い服に、みそら色の肩掛け。

 こちらを見る目は澄んだ翠で、清廉な佇まいだ。

 こちらが何か言うより先に、彼女は少し頬を染めて、慌てたように続けた。


「失礼しました! 私、こちらの教会で見習いをしております。ミリザと申します」

「こちらこそ急に訪ねてごめんなさい。私はシャーロット。こっちはクシェル」


 シャーリーに合わせて、俺も頭を下げる。


「先に一つだけ。この人を、どこかで見たことはない?」


 シャーリーが俺を指す。

 先に聞くと言った約束を、本当に先にやった。律儀な奴だ。


「いいえ。申し訳ありません、初めてお会いします」


 ミリザさんは俺の顔を見て、少し考えてから、丁寧に頭を下げた。

 分かってはいた。それでも答えを聞くと、少しだけ気持ちが沈む。


「そっか……ありがとう。それで、少し伺いたいことがあって訪ねたのだけど……」


 シャーリーが切り出した時、広場のほうから悲鳴が上がった。

 男の怒鳴り声。子供の泣き声。人の足音がそちらへ集まっていく。


「ミリザ! 大変だ、悪魔憑きが出た!」


 村人らしい男が息を切らして駆けてくる。


「またですか」

「悪魔憑き?」

「魔力に取り憑かれた人間や動物のことよ」


 シャーリーが教えてくれた。

 魔力。その言葉を口にする時だけ、彼女の声が低くなる。


「女の子が人質に取られてるんだ。誰も手が出せねえ」

「まあ大変。すぐに向かいます」


 ミリザさんは申し訳なさそうに、俺たちのほうを振り返る。


「俺たちも行く。力になれるかもしれない」

「ええ。行くわよ」



 男の案内で駆けつけた広場には、もう人垣ができていた。

 誰かが「魔女の祟りだ」と呟くのが聞こえた。

 人垣の真ん中に、刃物を持った男と、捕まった小さな女の子。

 女の子はうさぎの人形をぎゅっと抱きしめたまま、肩を強く掴まれている。

 その肩が小さく震えていた。


「頼む! お願いだ! その子を離してくれ!」

「あ……ゔぅ……」


 父親らしい男が、少し離れた所から必死に声を張り上げている。

 刃物を持った男の目は、全く焦点が合っていない。

 口元からは涎が垂れている。

 人間らしさが抜け落ちた、操り人形みたいだ。


 刺激すれば、刃物は女の子に向く。一撃で決めるしかない。

 だが間合いを詰めれば気づかれる。

 精霊術は使えない。昨夜の風を人垣のど真ん中で出したら、助ける相手ごと吹き飛ばしてしまう。


 迷っている俺の耳元で、ミリザさんが囁いた。


「クシェルさん、剣術はお得意ですか?」


 ミリザさんは俺の目と、剣の柄にかかった手を順に見た。


「ああ」


「私が隙を作ります。女の子をお任せしてもいいですか?」

「任せてくれ。一瞬あればいい」


 俺が頷くと、彼女は深く息を吸う。

 金色の髪が、音もなく浮き上がる。


「エクレール!」


 空気が震えた。

 パリッという音と共に、男の頭上から刃物を目がけて稲妻が落ちる。

 雷の精霊術。


 不意を突かれた男が刃物を取り落として、怯んだ。

 今だ。

 地を蹴る。三歩。

 女の子の肩を掴む腕だけを見て、剣を横に薙いだ。

 骨を断つ手応えが柄から肩まで伝わって、血が飛ぶ。

 剣に風が乗っている。


 そのまま女の子を引き剥がして、男から離れる。切り口から噴いた血が、袖に掛かった。

 血と焦げた匂いが辺りに漂っている。


 女の子は無事だ。

 男は片腕を失って石畳に膝をついた。

 それでも呻きながら立とうとして、村人たちに数人がかりで押さえ込まれる。

 ミリザさんが、血を止めるために腕の付け根を布で縛っている。悪魔憑き相手でも、だ。


 袖を、小さな手がまだ掴んでいた。


「痛いところはないか?」


 女の子は人形を抱いたまま、小さく頷く。


「フレデリカ! 無事でよかった、本当に……!」

「パパ……」


 駆け寄った父親の胸に抱き寄せられると、女の子は堰を切ったように泣き出した。

 悪魔憑きを刺激しないように、ずっと我慢していたんだろう。

 強い子だ。


「無事でよかったわね」

「そうだな」


 シャーリーは親子のほうを向いたまま、瞬きもしていない。


「クシェルさんも、お怪我はありませんか?」


 ミリザさんが駆け寄ってくる。

 俺の袖の血を見て、何でもない顔で自分の袖で拭く。白い布に、赤が移った。


 人の腕を一本落とした手が、少しも震えていない。

 考えるより先に体が動いていた。


「ああ、平気。ミリザさんの精霊術のおかげで助かった」

「いえいえ。うまくいくか不安でしたが、なんとかなりましたね!」


 ミリザさんの精霊術が、一瞬で決まる型でよかった。

 俺の精霊術は、こういう場面だとどうも相性が悪い。


「本当に……本当にありがとうございます」


 父親が涙声で何度も頭を下げる。娘を抱く手が、まだ震えている。


「なんとお礼を申し上げていいか。ほら、お前もお礼を言いなさい」

「あ、ありがとう……」


 女の子は父親の足に隠れながら言った。

 目は赤く腫れているが、父親の足から顔を出している。


「どういたしまして。とっても頑張りましたね!」


 ミリザさんが応えると、女の子は嬉しそうに笑った。

 親子は会釈して、夕陽のほうへ帰っていった。


「では、改めて教会にご案内しますね」


 ニコッと笑ったミリザさんの後について、シャーリーが歩き出す。

 俺は人垣を振り返る。

 村人たちはもう散りかけている。悪魔憑きを縛る者、血を見て顔を背ける者。

 その中に、こちらを向いている目が一つだけあった。


 背の高い、銀髪を長く編んだ男だった。

 俺の手の中の、血が一滴も付いていない剣だけを見ている。

 目が合っても、逸らさなかった。

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