第1話 始まりと終わり
『物語は「出会いに始まり別れで終わる」。
そのほとんどが思いがけず始まり、思いがけず終わる。
この物語は二人が出会ったことから始まった。
私にとって一番大切な「記憶の物語」』
◇
キィィィン。
全身を刺すような強い光。
まぶたの裏が白く焼けた。
うっすらと目を開けて辺りを見る。
目の前には焚き火。
それ以上に眩しいものは、どこにもない。
「……今の光は」
見渡す限り、木々に覆われた暗い森。
パチッという薪の弾ける音で、やっと頭が追いついてくる。
焚き火の前で眠っていたらしい。
とても長い夢を見ていた気がする。
たくさんの人の命を奪う夢。
剣が肉を裂いて、骨で止まる手応え。
魔女、と泣き叫ぶ声。
それが妙にはっきり残っている。
思い返しただけで気分が悪くなる。
最悪の目覚めだ。
どれくらいこの森を歩いていたのかも、分からない。
それより前のことは、思い出せない。
木の実の採り方は分かるし、剣の握り方も体が知っている。
誰に教わったのかだけが、きれいに抜けている。
自分が何者なのか分からない。というのは思ったより怖い。
足元に床が無いまま立っている感じがする。
「魔女……?」
考えても出てこないものは後回しだ。
まずはこの森を抜けないと。
ガサ、と遠くで枝が鳴った。
軽い足が一つ、先に来る。重いのが二つ、遅れて。
軽いほうは足がもつれていて、重いほうは二人とも息が上がっている。
追われているな。先のは逃げる足で、後ろの二つは追う足だ。
他人の揉め事に首を突っ込むべきじゃない。
頭ではそう思う。手はもう剣の柄にかかっていた。
「助けてください!」
暗がりから飛び出してきたそいつは、焚き火を回り込んで俺の背中に張りついた。
フードで顔は見えない。声で女だと分かる。
肩越しに、湿った息が首にかかる。
「俺を盾にする気か?」
「盾でも壁でも何でもいいから、お願い!」
追手が明かりの中に入ってくる。
男が二人。継ぎの当たった外套に、泥だらけの脚。賊の身なりだ。
片方が焚き火をちらっと見て、それから俺を睨んで舌を打った。
「邪魔だ。女を渡せ」
「生かしたまま、だぞ。傷をつけるな」
もう一人が仲間に言う。
女一人を森の奥まで追い回して、傷をつけるな、ときた。
賊にしては仕事が丁寧すぎる。
相手は二人。背中に人を庇ったままでは分が悪い。
俺は剣の柄から手を離して、両手を挙げた。
「まあ、落ち着いてくださいよ」
「ちょっと、話の通じる相手じゃないわよ!」
背中で女が、囁きに失敗した声を出す。
男の一人が松明を投げ捨てて、剣を抜く。
曲線の鍔がついた、上質な直剣だった。
賊が持つには不釣り合いな剣だ。どこかの貴族から奪ったんだろうか。
「無理か。合図したら走れ」
女にだけ聞こえる声で言って、剣を抜いた。
男はこちらを睨んだまま、じりじりと詰めてくる。
先に動いたのは向こうだった。
大振りの一撃。
受けて、弾く。腕に重みが残る。
「今だ!」
女が走り出す。同時に踏み込んだ。
追おうとするもう一人の顔へ、焚き火を蹴り上げる。
「ぐっ、この野郎!」
火の粉で視界がつぶれた隙に、背を向けて女を追いかけた。
走るうちに、足音の向こうに水の音が混じり始めた。川が近い。
後ろの足音は二つとも消えていない。しつこい連中だ。
「まだ走れるか?」
「も、もちろん!」
答える息が切れている。
身のこなしは悪くない。だが足場も視界も悪い森を、このまま走り切るのは無理だ。
「この先に川がある。渡れば足跡が切れる。夜の川を追っては来ない」
「え?」
「飛び込め。前だけ見て走れ。何が起きても振り返るなよ」
返事を待たずに振り返って、剣を真横に構える。
風の精霊術。
追手を押し返して、ついでに俺と彼女を川まで押し出す。それだけの、小さな風を送るつもりだった。
放った瞬間、森が鳴った。
剣から出た風が、追手の二人を枯れ葉みたいに跳ね飛ばした。
それだけじゃない。その向こうの下草を根こそぎ倒して、木の幹をへし折って、奥へ奥へと道を開けていく。
倒れた木の音が、遠くで折り重なる。
同時に、俺も背中越しの彼女もろとも、走っていた方向へ強く押し出された。
「ちょっ、とぉぉぉぉっ!」
うまくいった。
……いや、やりすぎだ。
「ふざけんn、、ぶぉ!!!」
黒い川面が目の前に来て、彼女の口を塞いだ。
冷たい。底に足が届かない。
暗い水の中で暴れる腕を掴んで、岸へ引き上げる。
這い上がった俺の腕の中で、彼女は咳き込みながら息を整えている。
俺も膝をついたまま、しばらく動けなかった。
「バカなんじゃないの! 信じられない!」
通りすがりの命の恩人に対して、この言い草はあんまりである。
もっとも、通りすがったのは俺ではなく彼女のほうなんだけど。
怒鳴る元気があるなら無事だ。そう分かって、やっと息が吸えた。
「ごめん……ちょっとやりすぎた」
「ちょっと? 森が吹き飛んだわよ! あーもう最悪、靴の中までびしょ濡れじゃない……!」
彼女はマントを脱ぎ捨てて、ブーツを逆さにして水を出している。
飛び込む前に吹き飛ばされたんだから、まあ怒りたくもなるか。
「ねぇ、聞いてるの?」
考え込んでいた俺の顔を、不意に覗き込んでくる。
ここで初めて目が合った。
倒れた木の向こうで、川面に月が落ちている。
濡れて額に張りついた短い髪が、月明かりで薄い桃色に見えた。
水色の目と、長いまつ毛。
肌も髪も手入れが行き届いていて、泥と川の水で台無しになっていても人形のようだった。
「もしもーし?」
目の前で手を振られる。
「え、ああ、ごめん」
慌てて目を逸らす。
「まぁ……とにかく助かったわ。ありがとう。……本当に」
最後の「本当に」だけ、声が小さかった。
そっちのほうが、本気に聞こえた。
「ああ。無事でよかった」
お互いに身なりを整える。
彼女はマントの水を丁寧に絞っている。
膝下まであるスカートに、歩きにくそうなブーツ。生地も革も上質だ。
平民じゃないな、この身なりは。せっかくの良品が傷だらけだ。
生かしたまま、と賊は言った。この身なりなら、十分な額の身代金が取れるだろう。
「でもびっくりしたわ。あんなところで何してたの?」
「わからない」
「え?」
彼女の表情が、一瞬止まる。
「自分のこと、何も覚えてなくてさ」
「……それって記憶がないってこと?」
「たぶんそんなところだと思う」
言ってしまうと、少し軽くなった。知らない相手だからだろう。
彼女は少し考えてから、ぱっと顔を上げた。
「さっきの、精霊術よね?」
「そうだけど」
「森を一つ倒せる精霊術なんて、聞いたことないわ。……ねぇ。あれ、他の人に見せたことある?」
「あんたが初めてだと思う」
「……そう。じゃあ、決めた!」
胸を張って、人差し指をまっすぐ俺に向ける。
「私の護衛になりなさい!」
「いきなりすぎないか?」
思わず苦笑いが出た。
「追われてるの、見たでしょ。あんな連中がまだいるの。あなたは強くて、記憶もなくて、どこの誰にも仕えていない。ちょうどいいわ」
ちょうどいいってなんだよ。
さっきまで追われて泣きそうな声を出していた人間の切り替えじゃない。
「ただ働きはしないぞ」
「ただ働きとは言わないわ。あなた、自分が誰か知りたいんでしょ? 人のいる所に行けば、あなたを知ってる人に会えるかもしれない。私はそこへ行くの。一緒に探すわ。それなら対等でしょ?」
知りたいんでしょ、と言われて、すぐには頷けなかった。
知りたい。
知りたくない。夢の手応えが、まだ手に残っている。
それでも、分からないまま歩き続けるよりはいい。
「そっちは当てがあるのか?」
「半日ほど歩いたところに村があるの。そこに行こうと思ってる」
「なら一つだけ。村に着いたら、俺を知ってる奴がいないか先に聞く」
「いいわ。約束する」
半日か。
追手はまだ近い。放っておける距離じゃない。
「わかった。ついていくよ」
「そうこなくっちゃ!」
近づいてきた彼女が、俺の目を見ながら手を差し出した。
「私の名前はシャーロット。シャーリーでいいわ」
濡れた手を握りながら答える。
「俺は……」
クシェル。
誰かにそう呼ばれていた気がした。
「クシェルだ」
「よろしくね。クシェル」
握った手を離して、彼女はもう村の方角を見ていた。
川上の森の中に、松明の火が揺れている。
二つじゃない。
数えるのをやめて、剣の柄に手をかけた。
お読みいただきありがとうございます。
記憶をなくした剣士と、追われる少女の旅が始まりました。
ずっと書きたくて考え続けて来た作品です。
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けいと




