第20話 蝋燭の火
坂の上から転がるように駆けてきた男が、俺たちの手前で止まった。
くすんだ紺のローブの裾が、まだ揺れている。
「探しました! ご無事だったのですね!」
声が裏返っていた。
男の目に、みるみる涙が溜まっていく。
「リュオン……あなたこそ、無事だったのね」
「……誰だ?」
シャーリーに聞いたのに、口を開いたのは男のほうだった。
涙の溜まった目で俺をにらみ、指を突きつけてくる。
「お前達こそ誰なんだ。姫様に指一本でも触れてみろ! この私が塵も残さず消し飛ばしてやるからな!」
坂を行く人たちが、また足を止めた。
「リュオン、少し声が大きいわ。あと、街中で姫様はやめて」
「はぁ! すみません」
謝る声も、坂の下まで届きそうだった。
「……話は宿で聞く。ここじゃ人目につく」
返事を待たずに、宿のほうへ歩き出す。
宿の階段を上がる間も、リュオンはシャーリーの半歩後ろから離れなかった。
部屋に五人も入ると、寝台と小さな卓だけで足の踏み場がなくなる。
「改めて紹介するわね。リュオン・フィリス。私に術を教えてくれた先生よ」
「先生? この男が?」
リュオンはコホンと咳払いをして、胸を張る。
「こっちはクシェル。それから、ミリザとエルザ」
「ミリザさんに、エルザさん! お美しい! このリュオン、お二人のことは完全に記憶しました!」
エルザが小さく会釈を返した。
ミリザは少し遅れて、目を伏せたまま頭を下げる。
リュオンは、もう俺のほうを見ようともしない。
王女の先生だというなら、腕は確かなんだろう。
今のところ、そうは見えないが。
「それで、リュオンはどうしてここに?」
シャーリーが聞くと、リュオンの背筋がすっと伸びた。
「精霊の力が弱まっている原因を探って、各地を回っていたのですが、その間に城が……。姫様の行方を追って、ここまで参りました! ……私が、おそばについていれば!」
握り込んだ拳が、小さく鳴った。
「リュオンのせいじゃないわ」
シャーリーは、詰め所で王に言われたことをかいつまんで話した。
帝国に引き渡す、のくだりで、リュオンは声を上げかけ、慌てて自分の口を押さえた。
「……十日、ですか」
「ええ。でも、証を持ってこいって言われても、何を持っていけばいいのかも分からなくて……」
エルザが、迷いながら口を開いた。
「……テテル博士なら、分かるのではないでしょうか? 精霊や魔力のことにも、詳しい方ですから」
「テテル……あの石を作ったって奴か」
「はい。この坂の柱の灯りも、博士の発明を使った仕組みなんです!」
この街に着いた時も、誰も火を入れて回らないのに、柱の灯りが次々と点いていた。
あれは博士の仕掛けだったのか。
「なら、その博士に会えばいい。どこにいる?」
「あ……それが」
エルザは目を伏せた。
「各地を回って研究される方だと、聞いたことがあるだけで……」
「……そうか」
「ありがとうエルザ。一緒に考えてくれるだけで心強いわ」
それまで黙っていたリュオンが、静かに言った。
「証になるかは分かりませんが、心当たりがございます」
「どこ?」
「旅の途中で耳にした話です。ここから北東の森の奥に古い城があって、ウィズニアと関わりがあるかもしれない、と」
寝台の端に座っていたシャーリーが、腰を浮かせた。
「ウィズニアと関わりって、どういうこと?」
「申し訳ございません。そこまでは……噂で聞いただけなのです」
浮かせた腰が、ゆっくりと寝台に戻る。
「北東の古城……リンドルアル城、でしょうか」
エルザが小さく呟いた。
「知っているの?」
「はい。……『ルアルの森の魔女』という、おとぎ話の舞台なんです」
少し考えてから、シャーリーが顔を上げた。
「おとぎ話でも、魔女に関わる場所なんでしょう。それがウィズニアとも関係があるかもしれないなら……行きたい」
おとぎ話の城、か。
雲をつかむような話だ。
それでも、ほかに当ては無い。
シャーリーが、ミリザとエルザに向き直る。
「二人は、どうする?」
ミリザはしばらく、床の板目を見ていた。
「……少し、考えたいです」
エルザは何も言わずに、姉を見ている。
「とりあえず、夜通し動いたんだ。今日は休もう。出発は明日の朝だ」
シャーリーに目を向ける。
「それでいいな?」
「ええ。……そうね」
ミリザが立ち上がった。
「今夜は、教会でお世話になります。修道女様のそばに、いたいので」
エルザが黙って、その後に続く。
戸口で止まったミリザの背中に、言った。
「行くなら、明日の朝、坂の下の門の前で待ってる」
ミリザが、肩越しにこちらを振り返る。
今日初めて、ミリザと目が合った。
返事は無いまま、戸が閉まった。
目が覚めた時には、窓の外が茜色になっていた。
横になったのは、昼前だったはずだ。
廊下に出ると、シャーリーの部屋の戸の脇に、リュオンがいた。
宿から借りたらしい椅子に背筋を伸ばして座り、戸から目を離さない。
「まさか、昼からずっとそこか?」
「当然です」
胸を張った拍子に椅子が鳴り、リュオンは慌てて戸のほうを振り返った。
戸が細く開いた。
「……二人とも、何してるの」
寝起きの声だった。
髪の先が、片側だけ跳ねている。
「外を見回ってくる。ここは頼む」
「言われるまでもない!」
リュオンは椅子に座り直し、目を戸に戻した。
「気をつけてね」
廊下を行くクシェルの背中を見送って、戸の脇のリュオンに目を向けた。
坂で顔を見た時から、聞きたいことがあった。
皆の前では、どうしても口にできなかった。
「リュオン。入って」
寝台に腰を下ろすと、リュオンが部屋に入って後ろ手に戸を閉め、私の前に膝をつく。
卓の上の蝋燭が、その顔を照らした。
「お呼びでしょうか、姫様」
笑っていなかった。
何を聞かれるのか、もう分かっている顔だった。
「お父様のこと……何か聞いてる?」
「……はい」
リュオンは一度、床に目を落とした。
「ネメアの近くまで戻った折に、落ち延びた兵たちと会いました。陛下は、最後までお逃げにならなかったそうです」
知っていた。
あの夜、お父様は最後まで城に残ると言った。
「……そう」
膝の上の手を、握り直す。
「お兄様は?」
答えを待つ間に、蝋燭の芯がじりっと鳴った。
「……これだけは、私の口からお伝えしなければと思っておりました」
リュオンが顔を上げる。
「フューレン様は、亡くなられました」
最後に会った夜、お兄様は私の髪を一度だけ撫でて、背を向けた。




