第18話 灰の跡
ミリザがトーマのそばへ駆け寄って、膝をついた。
返事の代わりに、投げ出された手を両手で握りしめる。
目を覚ました人たちは、自分がなぜ祠の前にいるのか分からない顔をしていた。
祠の光に気づいたのか、教会のほうから修道女が真っ先に駆けつけた。
ミリザがベルトランの名を告げると、修道女は皺の寄った手で口元を押さえた。
気づけば、坂の下の屋根の形が見分けられるほど明るくなっていた。
坂の家の戸が一つ、また一つと開いていく。
出てきた人たちが名を呼びながら駆け上がってきて、まだぼんやりと座り込んでいる者にしがみついた。
広場のまわりには、いつの間にか人垣ができていた。
トーマの肩にも、年配の女が泣きながら縋りついている。
ミリザは握っていた手をその人に渡して、黙って立ち上がった。
坂の下から、守備兵が上ってきた。
脛の曲がった仲間を見つけて、二人がかりで担ぎ上げる。
残りの槍はこちらを向いた。
修道女と坂の家から出てきた男が事情を話すと、守備兵たちは顔を見合わせて、槍の先を下げた。
張っていた肩から、ようやく力が抜けた。
一人が板を取り出して、居合わせた者の名を書きつけはじめる。
広場の向こうで矢を拾い集めていたカイェンが、弓を担いで戻ってきた。
エルザは足の裏が裂けた男の前に膝をついていた。
「大丈夫ですか?」
かざした指先で雷が爆ぜる。
一人終えると、すぐ次の怪我人へ移る。
エルザは手当てを続けながら、灰の跡を振り返った。
「あの人、最後まで意識がありましたね」
隣で布を裂いていたシャーリーの手が止まる。
エルザは指先をかざしたまま続けた。
「魔力に呑まれた人は、意識も言葉も無くすはずなんです。それなのに、話せる状態のまま、ああなってた」
シャーリーが、エルザのほうへ顔を向けた。
「じゃあ、あの人は……自分の意思で、あんなことをしてたっていうの?」
「分かりません。あんな状態のまま呑まれた人なんて、聞いたこともありません」
エルザは手元に目を落とした。
「魔力を扱って、それでも正気でいられる人がいるとしたら……それは魔女だけです」
布を絞るミリザの手も、止まっていた。
石畳に残った灰の跡が、風に押されていく。
シャーリーが裂きかけの布を握りしめる。
「やっぱり、探さなきゃ。魔女の手がかりを」
朝の光が桃色の髪の先を透かしている。
その横顔を見て、黙って頷いた。
ミリザはエルザの隣にいて、一度もこちらを見なかった。
俺も、ミリザの方を見れなかった。
「いやー、助かったわー。ほんっとに」
フィズが両手を上げて伸びをした。
ミリザたちから少し離れた石垣に腰をかけて、足をぶらぶらさせている。
「見てよこれ。掴まれた足首、まだ痕になってるんだから」
裾をめくって見せた足首に、指の形が赤く残っていた。
「命の恩人よー、あんたたち」
「ああ」
「お礼に今度、何か奢るわー。どこで会えるか知らないけど」
「ああ」
「……あんた、それしか言わないのー?」
口を尖らせて、それから吹き出す。
フィズは石垣から飛び降りた。
「じゃ、またねー」
手をひらひら振って、坂の上の教会のほうへ歩いていく。
その背中が坂の上へ遠ざかったころ、板を持った守備兵が人垣の端からこちらへ回ってくるのが見えた。
まわりから話し声が聞こえる。
「踊りの一座も、まだ暗いうちに門を出たってよ」
「ああ、あの棒の。もう一度見たかったなぁ」
隣で、カイェンが弓を背負い直した。
「俺もここで抜ける」
シャーリーが振り返った。
「野暮用だ」
「待って。急すぎるわよ」
「お前らは街を助けた側だ。俺一人消えたって、どうってことねぇよ」
カイェンはシャーリーの頭に、ぽんと手を置いた。
「嬢ちゃんは危なっかしいからな。こいつから離れんなよ」
「……子ども扱いしないで」
シャーリーがその手を払う。
「それと、お前」
カイェンが俺を見た。
「ひでぇ顔してんぞ。どっかで寝とけ」
言い返す前に、カイェンはもう背を向けていた。
その背中に、声をかけた。
「借りは返してもらった」
カイェンが一瞬だけ、こっちを見た。
「……おう」
口の端が上がっていた。
編んだ銀髪が、人垣の中へ紛れていく。
隣で弓を背負い直す音は、もうしない。
シャーリーは払った手を胸の前で握ったまま、カイェンの消えたほうを見ていた。
「名と、住まいを」
板を持った守備兵が、もう目の前に立っていた。
シャーリーが、ほんの少しだけ間を置いて、先に答えた。
「シャーリー。宿は、坂の途中の青い戸の所よ」
守備兵の筆が止まる。
その目が、シャーリーの髪の上で一度だけ留まった。
息を詰めて、筆先が動き出すのを待った。
やがて筆が動いた。俺とミリザたちの名も書きつけてから、守備兵は黙って次の者のほうへ移っていった。
エルザは肘を抱えて泣いている娘の前に移っていた。
その指先で、また雷が爆ぜる。
坂の下が、ざわついた。
人垣の向こうから、槍の穂先が並んで上ってくる。
守備兵のものとは違う、濃紺の揃いの外套。裾が泥で重く汚れていた。
坂の下では、乗りつぶされた馬が白い湯気を立てている。
板を持った守備兵が、慌てて脇へ退く。
人垣が割れた。
「……王都の兵だ」
「なんで、こんな所に」
囁きがあちこちから漏れる。
エルザの指先の光が、ふっと途切れた。
娘がしゃくり上げる声だけが、やけに大きく聞こえる。
シャーリーは裂きかけの布を握ったまま、動かなかった。
その前へ、ミリザが黙って半歩出る。
眠っていない頭が、急に冷えた。
槍の列が広場の口で止まる。
先頭の騎士が一歩前へ出て、広場をゆっくりと見渡した。
倒れた人、泣いている娘、灰の跡。
騎士の目が、一人ずつ顔をなぞっていく。
「この広場に、桃色の髪の娘がいるはずだ。出てこい。国王陛下のお召しである」
いつもお読みいただきありがとうございます。
レイナードの長い夜が、ようやく明けました。
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クシェルたちの旅は、また大きな展開を迎えます。
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けいと




