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ウィズニア ~記憶をなくした剣士は、厄災の魔女を追う~  作者: 景都 (けいと)


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第14話 枝分かれ

 窓に手をかけて、押し開けた。

 蝶番が軋んで、思ったより大きな音が夜の坂に響く。

 男の首が、かくりと横に傾いた。

 それから男は背を向けて、灯りの外へ走り出した。

 剣を握り直して、窓枠に片足をかける。

 二階だ。飛び降りられない高さじゃない。

 廊下の向こうには、シャーリーの部屋がある。今夜は、あの女もそこで寝ている。

 窓枠から足を下ろした。

 足音は坂の下へ遠ざかって、すぐに聞こえなくなった。


 廊下に出て、カイェンの部屋の戸を叩く。

 二度目で、中から低い声が返ってきた。


「……今度は何だ。一晩に二度も起こされる覚えはねぇぞ」


 戸が開いた。

 窓の下に男が立っていたこと、こっちが見ていると気づいて逃げたことを話す。


「夕方、坂でミリザに声をかけてきた男だ。木箱を担いでた」

「……雷の嬢ちゃんの知り合いか」

「ああ」

「言うのか、あいつに」


 すぐには答えられなかった。

 あの男は嬉しそうにミリザの名を呼んでいた。


「……まだだ」


 カイェンはそれ以上は聞かず、壁に立てかけてあった弓を取った。


「で、どこで見張る」

「シャーリーの部屋の前だ」


 二人で廊下の床に腰を下ろす。

 階下は静まり返っていて、時々、宿のどこかで梁が鳴るだけだった。

 夜半を過ぎた頃、カイェンが欠伸を噛み殺した。


「代わる。少し寝てこい」

「いい」

「熱でぶっ倒れてた奴が言うな」

「もう引いた」


 カイェンは鼻を鳴らした。

 しばらくは隣で弓を抱えていたが、そのうち頭が壁にもたれて、寝息が聞こえはじめた。

 代わると言ったのは誰だったか。

 窓の外が白むまで、坂を上ってくる足音は一つも無かった。




 朝の食堂には、焼いたパンの匂いがしていた。

 宿の主人が卓に皿を並べていく。腹の出た、よく笑う男だ。


「パンはおかわりもあるからね。遠慮しないで」


 フィズはもう二つ目のパンに手を伸ばしていた。肘には、シャーリーの手巾が巻かれたままだ。


「ここのパン、美味しいわねー。ゆうべ、何も食べてなかったのよ」


 シャーリーが黙って、自分の皿のパンをフィズのほうへ押しやった。


 向かいの席から、ミリザが身を乗り出した。


「あの、フィズさん。昨日の光、あれ何だったんですか?」

「光?」

「路地で、私の横から飛んでいった……」

「あー、あれね」


 フィズはパンをちぎりながら、にっと笑った。


「乙女の秘密よー」


 ミリザが口を開けたまま、次の言葉を探している。

 隣でエルザが小さく吹き出した。

 フィズが二つ目を食べ終えて、伸びをした。


「さーて。調べ物の続きに行かなきゃ」


 俺は皿から顔を上げた。


「今日は宿から出るな」

「えー。まだ途中なのにー」


 口ではそう言いながら、フィズはもう三つ目のパンを手に取っていた。出ていく気は無いらしい。

 カイェンは黙って口を動かしている。


 ミリザが椅子を引いて立ち上がる。


「私は門に行ってきます。昨日は行けなかったので」

「俺も行く」


 俺も椅子を引くと、フィズがパンをくわえたまま目を細めた。


「あらー? 朝からお二人でおでかけー?」

「はい。フィズさんは、お留守番ですからね」


 ミリザはにっこり笑って、先に戸口へ向かった。


「……はーい」


 追いかけようとして、戸口で振り返る。

 カイェンと目が合った。


「……今度は寝ねぇよ」

「すまない。任せた」




 門の脇には、朝から荷馬車が列を作っていた。

 門番は顎髭の濃い中年の男で、槍を壁に立てかけたまま、通る荷を眺めている。

 ミリザが前に出た。


「すみません。ドルナから逃げてきた人を見ませんでしたか? 見習いの修道服を着た、茶色い髪の……」

「ドルナ?」


 門番は顎髭を掻いた。


「ウィズニアのほうから来た荷車なら、何組か通したがね。ドルナって名は聞いてねぇな」

「……そうですか」


 ミリザの肩が少し下がった。


「三日前の夕方に、ドルナの司祭が荷馬車で発った。ここを通ってないか」

「荷馬車なんざ、日に何十台も通る。いちいち覚えちゃいねぇよ」

「夜はどうだ。何か変わったことは」


 門番が顔をしかめた。


「夜番の若いのがな、明け方、持ち場で突っ立ったまま目ぇ開けてやがった。寝ぼけるにしても器用すぎる」

「瞬きはしてたか」

「瞬き? そんなもん数えるかよ」


 門番は鼻で笑って、次の荷馬車に目を戻した。

 ミリザは門のほうを見ている。

 荷馬車が一台、また一台と門をくぐってくる。御者台の顔を、ミリザは一つずつ目で追っていた。

 どの顔の前でも、ミリザの目は止まらなかった。


「……行きましょう」


 振り向いたミリザは、いつもの顔をしていた。


「……平気って顔だな」

「平気ですよ」

「平気って言う奴ほど、長引くんだろ?」


 ミリザが目を丸くした。

 それから肩掛けの端を直して、坂のほうへ向き直った。



 坂を上りはじめてすぐ、上から木箱を担いだ男が下りてきた。

 昨夜の男だった。


「あ、ミリザ。おはよう」

「おはよう、トーマ」


 彼は木箱を道の端に下ろして、額の汗を拭った。


「教会で聞いたよ。ドルナ、大変だったんだってな」

「……うん」

「何か要る物があったら言えよ。運ぶくらいなら、いくらでもやるからさ」


 トーマが一歩、こちらへ寄ってくる。

 俺は右手を柄にかけた。

 彼はこちらを見て、目をしばたたく。

 柄にかけた手を離す。


「そっちの人は?」

「……護衛の方です」

「へえ。よろしくな」


 屈託なく笑って、木箱に手を伸ばす。

 その前に、俺が箱の縁を掴んだ。


「持つ」

「いいって。仕事だからさ」


 向こうの手が箱の反対側にかかった。

 手の甲がすぐそばに来る。

 皮膚が赤く引きつれて、細い筋が枝分かれするように走っていた。


「トーマ、その手どうしたの?」

「ん? ああ、竈でやった。間抜けだろ」


 笑いながら、俺の手から箱を引き取って、肩に担ぎ上げる。

 ミリザの眉が一瞬だけ寄った。

 それきり、ミリザは何も聞かなかった。

 俺も何も言わなかった。


「じゃあな、ミリザ。教会のおばさんにもよろしく」


 木箱を担ぎ直して、坂を下りていく。

 その背中が角を曲がって見えなくなるまで、ミリザはその場を動かなかった。

 それから、自分の指先に目を落とした。

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