第10話 同類
夢を見ていた。
握った剣は重くて、両手で持っても切っ先が下がっていく。
小さい手を、後ろから大きな手が包んで、柄の握りを直した。
「構えが低い」
すぐ後ろ。頭の上から降ってくる声だった。
低くて、少しも怒っていない。俺の癖を見透かしたように的確な指示。
「もう一度」
親指の位置。手首の角度。体が覚えていく。
この声に何度も名前を呼ばれた。それが嬉しかった。
目を開けると、ミリザが唇に指を当てていた。
喋るな、ということらしい。
聞こえるのは、馬の鼻息と、誰かが息を詰める音だけだ。
荷台の奥では、エルザがシャーリーの肩を抱いている。二人とも御者台の向こうを見ていた。
体を起こすと、頭の芯がぐらりと揺れた。熱がまだ体の中に居座っている。
カイェンは前を向いたまま、後ろ手に手のひらをこちらへ向けて、動くなと合図していた。
その肩越しに靄のかかった街道が見える。
道の真ん中に、人が一人立っていた。
赤い髪の女だった。
燃える村で、斧の男のそばに座っていた女だ。あの時と同じ長い剣を腰に下げている。
なんで、こんな所に。
「……村にいた女だな」
「ああ。ティルって呼ばれてた女だ」
カイェンも、声を落として答えた。
兵も連れていない。ティルは髪を耳にかけながら、急ぐ様子もなくこちらへ歩いてくる。
傍らの剣を掴むと、ミリザに袖を引かれた。
黙ったまま、首を横に振っている。
その手をそっとほどいて、荷台の縁から街道に降りる。足に力が入りきらないが、立てないほどじゃない。
「お急ぎのところ、引き止めて悪いわね」
口ぶりは柔らかい。それなのに、刃を喉元に当てられている気がした。
「構わないが、手短に頼みたい」
「手短に済むかどうかは、そちらの出方次第かしらね」
「出方次第?」
ティルは口の端を上げた。
「いるんでしょう? お姫様」
相手はシャーリーがここにいると分かったうえで道を塞いでいる。
たった一人で来たのは、それで足りると思っているからだ。
だからといって、はいそうですかと渡すわけにはいかない。
「お姫様? こんな荷車に乗ってるわけがないだろ」
「困ったわね。面倒事は嫌いなのだけど……」
ティルが腰の剣に手をかけた。
「一人ずつ、肉を削いで確かめないといけないのかしら?」
抜かれた刀身が、靄の中でふわりと宙を切る。
片側にしか刃のない、細く長い剣だ。あの腕で振るには長すぎるように見えるのに、切っ先は少しもぶれていなかった。
こいつはやばい。
一歩近づかれるごとに、心臓の音が大きくなっていく。
肌がひりつく。全身が、逃げろと言っている。
膨らんでいく鼓動が、耳の中でほかの音を押しのけていった。
「私はここよ! シャーロット・ウィズニア。貴方の目的はこの私でしょう?」
鼓動を掻き消すように、後ろから声が響いた。
振り返ると、シャーリーが荷台から降りていた。胸に手を当てて、ティルをまっすぐ見ている。
「シャーリー……!」
「私は大人しく捕まるから、他のみんなには手を出さないでもらえる?」
「あら、やっぱりいるんじゃない。お姫様はお利口ね」
シャーリーは気丈に振る舞っているが、胸に当てた手が震えている。
ここで渡してしまったら、きっと後悔する。
俺はシャーリーを背にかばって、剣を構えた。
「……でも残念。ナイト様は違うみたい」
ティルは少し嬉しそうに笑ってから、地面を蹴った。
速い。
気づいた時には、もう目の前にいた。
振り下ろされた剣をどうにか受け止めると、ギィンと鳴って火花が散った。
受け止めた、と思った次の瞬間、腹に鈍い痛みが走った。
視界の端に、自分の腹にめり込んだ拳が見える。
剣じゃない。素手だ。
体が浮いて、そのまま後ろへ吹き飛んだ。
「クシェルさん!」
背中から地面に落ちて、息が止まる。
剣だけは、離さなかった。
荷台から飛び降りたミリザが、手をかざした。
「エクレール!」
ティルの頭上から、稲妻が落ちる。
ティルが飛び退いた隙に、シャーリーとミリザが俺の前へ割って入った。
「天津甕星の盾」
シャーリーが両手をかざすと、ガラスのような湾曲した壁が、俺たちの前に立ち上がった。
倒れたまま、俺はその壁を見上げていた。
シャーリーが術を使うところなんて、初めて見た。
「ふーん。簡易結界かしら? 珍しいわね」
ティルは剣を下げたまま、壁の向こうで首を傾げている。
荷台から駆け寄ってきたエルザが、俺の腹に手を当てた。
「大丈夫ですか? 今、手当てを」
当てられた指先で、小さく雷が爆ぜる。
痛みが少しずつ引いていった。
「女の子達に守られて、いいご身分ね。ナイト様」
「……少し油断しただけだ」
起き上がって、再び剣を構える。
「応急手当てしかできていません。あまり無理はしないでください」
「ありがとう、エルザ」
シャーリーが壁の向こうへ声を張り上げた。
「あなたの言う通りにするわ! これ以上、他の人を傷つけないで!」
「無駄だぜ、嬢ちゃん。みんなあんたを行かせたくないんだとよ」
弓を引き絞ったまま、カイェンが言った。
「同時にかかって来なさい。少し遊んであげるわ」
「言われなくても、そのつもりだ」
剣を握り直して、足の裏に風を溜める。
「シャーリー、解いてくれ!」
「……わかったわ」
壁が消えると同時に、地面を蹴った。足元から風を放って、その勢いのままティルとの間合いを一気に詰める。
一撃、二撃、三撃。
全部いなされて、返しの一振りが頬をかすめた。
ティルは笑っていた。俺の剣ではなく、どこか別のものを見ているような目で。
「サルターレ・ライトニング!」
飛び退いた俺と入れ替わりに、ミリザの雷が再びティルを襲う。
今度は、剣のひと振りで払われた。
ミリザの指先で、細い雷が弱々しく瞬いて消えた。
「痺れてるんでしょう? そんな中途半端な術じゃ、髪の毛一本焦げないわ」
ミリザへ踏み込んだティルの刃を、とっさに張り直したシャーリーの壁が弾く。
「油断してると痛い目見るぜ。アルドスティーリア!」
弾かれて開いたティルの脇へ、カイェンの矢が飛んだ。
氷をまとった矢は、返した剣の柄頭に叩かれて砕けた。
「ふふふ。油断しているように見えたかしら」
「……マジかよ」
集中しろ。集中しろ。
ありったけの風を剣に集めると、刃のまわりで風が鳴って、手のひらが痺れた。
「はあああっ!」
全部をこめた一撃を叩き込んだ。
ティルが両手で剣を持ち、正面から押し返してくる。
刃が噛み合った瞬間、耳の奥がぐっと詰まった。
鳴っていた風が、ふっと途切れる。体が急に重くなって、何かに引っぱられた気がした。
ティルも同じものを感じたのか、大きく後ろへ飛び退いた。
ティルはそれ以上踏み込んでこなかった。
剣を下げたまま、自分の手をじっと見ている。
「……そう。貴方も私と同類なのね」
誰に聞かせるでもない声だった。
ティルは剣を鞘に収めた。
「気が変わったわ。やめにしましょう」
「どういうつもりだ」
「そのままの意味よ」
髪を耳にかけて、ティルはシャーリーのほうへ目をやった。
「よかったわね、お姫様」
それだけ言って背を向けると、靄の中へ歩いていった。
さっきまで肌を刺していたものが、嘘みたいに消えている。
足音が遠ざかって聞こえなくなるまで、誰も動かなかった。
荷車がまた動き出した。
シャーリーが、隣から俺の顔を覗き込む。
「クシェル、大丈夫?」
「ああ。……悪い、心配をかけた」
「……謝るのは、私のほうよ」
「シャーリー、術が使えたのか」
「……ええ。でも私の術、少し変わってるでしょ? 属性とかもよくわからないし……それで秘密にしてたの」
「言われてみれば、不思議な術でしたね」
エルザがさっきの壁の形をなぞるように両手をかざしてみせた。
「あんな奴と戦うなんて、二度とごめんだ」
御者台のカイェンが、手綱を握ったまま天を仰いでいる。
俺は自分の手を見た。
今思えば、あいつは精霊術すら使っていなかった。剣と素手だけで、全員でかかった俺たちをあしらったんだ。
同類……。
ティルが言ったその言葉が、ずっと頭から離れなかった。
柄を握っていた右手が、小さく震えている。
体の奥では、熱がまだ燻っていた。




