蒼い瞳の少女
長らく間が空いてしまいましたが、投稿再開します。
「…………」
「…………」
しばらく、無言の見つめ合いが続いた。
……誰だ、この子は。
ぱっと見、歳は私とそう変わらない…………せいぜい一つか二つ上ぐらいだと思う。肩で揃えた髪の毛もくりっとした瞳も見事に蒼く、その眼でこちらを見つめてくる。あれだ、空の色というよりは、夜の湖や海の色って感じだな。
もしかして、フーディエが会いに行った誰かは、この子なんだろうか。どこか他の場所から迷い込んできたっていうには、軽装過ぎる気がするし。彼女の服装は、淡い白色の……なんていうんだっけ、肩が出た……カットアウェイショルダーのふわっとしたシャツに、これまた淡い色合いの膝丈スカート……いや、キュロットかな。それに似た色合いのサンダルを履いたスタイルだ。屋敷の人はみんな和装だったから、洋装の人もいることに驚いた。……まあ、サシャさんも最初に会ったときは洋装だったけど。
「……?」
なんだろ、着れてるんだからサイズは問題ないんだろうけど、この歳の子が着るにはちょっとブカブカというか、持て余してる感はあるな。
「あの……」
「……」
声をかけたら、胸元に抱いていたぬいぐるみらしきものをギュッと抱きしめてビクッと体を強張らせた。
いかん。警戒させちゃったか。
顔だけを向けてた体勢から、全身で向き直す。扉からも離れた方がいいかな。
「……!」
突然、女の子がハッとしたような表情をし、何故かこちらへかけてくる。
「え……」
どうしよう、無表情ではないみたいなんだけど、どことなくぼんやりとした顔でこの子の表情から意思を読み取りづらい。ただ、敵意はないことぐらいは分かるので、動くに動けない。
女の子は、すぐそばまでかけてきたと思ったら、その場にしゃがみこんだ。
「······?」
何を見ているのかと思えば、私がさっきもののみごとに転んで擦りむいた膝だった。
「······」
もしかして心配してくれてるのかな。
とりあえず何かアクションでも起こすかと思って見下ろしていると、どう見ても恐る恐るといった様子で手を伸ばしてきたのでさてどうしようか。流石に素手で触っちゃうのは擦り傷といえど衛生的には良くない。どんな怪我でもまずは洗浄から――――と言うわけで止めようとしたら、横から出てきた別の手に止められていた。
······――はて? 目の前で女の子の腕を掴んでいる、この包帯をぐるぐるに巻いた干からびた手は誰のものだろうか。
「······」
「······」
私達のすぐ横に、いつの間にか身体中に包帯を巻いた袈裟懸け姿のミイラが立っていた。
······うん? ミイラが包帯巻いてるのは当たり前だって? いやそうなんだけどそっちじゃなくて、どっちかと言うとあれだ、即身仏的な方のイメージに近い。
とにかく、夜中に会ったらホラー展開まっしぐらになりそうなくらい怖い見た目の男·····男性? が、女の子を掴まえながら、おちくぼんだ眼でこちらを見下ろしていた。
これは……どういう状況なんだろうか。
男性は女の子の腕を掴んだまま何も喋らず、女の子の方も男性をじっと見上げたままだんまりである。あ、こっちに視線が向いた。
「……」
敵意、は感じないと思う。どちらかと言えば観察されているような……。
「あ」
男性の背後から、見覚えのあるものがひらひらと飛んでこっちに来た。フーディエだ。
『(T_T)』
てか君、(多分)無機物のわりに、結構感情理解してるね。教えた私がいうのもなんだけど。
泣いてるってことは君、私と一緒にいた子なの?
『(`・ω・´)』
おお、そうなのか。いやごめんごめん。
そういえばフーディエが一緒にいるってことはこの人達が私が会っても問題ない人たちなのかな?
フーディエに尋ねてみたら、それに応えるようにそれぞれ男性と女の子の懐からフーディエがもぞもぞと飛び出してきた。
もしかしてここに住んでる人みんな一……匹? 頭? 枚? 数え方がわかんないな、とりあえず一匹にしとこう……一人一人にフーディエがついてるんだろうか。
あ、男性が女の子の体を、その細腕、というかぱっと見骨と皮しかなさそうな細さの腕一本で抱き上げた。もう片方の手は番傘のようなものを広げてかざしている。…………日傘?
ていうかもしかしなくても、フーディエが案内しようとしてた人ってこの人たちだよね。のわりには結局こっちに何の反応もなく歩いていっちゃってるんだけど。
「……ついていってもいいの?」
『(`・ω・´)』
いいらしい。
二人が歩いて行くのについていくと、その先には、小さな泉とそのわきに建つ離れ家があった。
どうやら二人はこの建物で暮らしているらしい。男性は家の手前で女の子を降ろすと、女の子に手振りで泉を指差し、女の子がそれに頷いてそちらへ走っていくのを見ると、家の中に入って行ってしまった。
この場合私はどうするべきなんだろうか。立ってればいいのか?
あれ、すぐに男性が家から出てきた。両手にそれぞれ何かを持ってる。片方は手ぬぐいかな。
じっとこっちを見てくるけど、何がしたいのかがわからない。クレスならともかく、さすがに初対面の人の表情は読めないな。
女の子は何をしに行ったのかと思えばどこからか桶を持ち出してきて水を汲んできたらしい。ほー、あのアイコンタクトだけで、以心伝心だね。え、クレスとならできるんじゃないかって? クレスだと伝える前にやってきちゃうんで伝える必要がないんだよねえ、これが。
その場から動かずに女の子を見ていたら、しびれを切らしたように襟を掴まれ引きずられた。ちょ、苦しい。女の子を抱き上げた時と扱いの差がひどくないだろうか。とりあえずあの視線はこっちに来いという意味だったらしい。
縁側に強制的に座らせられ、何なのかと思いきや、汲んできた水で濡らした手ぬぐいを膝にあてられた。これは……もしや、怪我の手当て?
手早く膝の汚れが拭われ、貼り薬らしきものが貼られた。やけに手慣れた動作でよどみなく行われたので、反応する暇がなかった。
「あ……りがとう、ござい…ます?」
お礼を言ってみたけど、男性は桶を片付けている間もその後もまったく声を発しない。女の子のほうも水を汲んできてくれたあたり、敵意はないんだろうけど、男性の裾を掴んだままこちらをじっと見てきているだけだ。
困った。フーディエには手の空いている人がいたら教えてほしいと言ったらここへ来たのだから、ダメもとで用件だけでも伝えてみようか。ていうか今更だけどこの人たちで本当に合ってるんだよね?
『(`・ω・´)
ナンノヨウダ』
「……」
うん?
いきなりフーディエの顔文字の下におかしな文章が。
もしかして……。
男性の前には別のフーディエが飛んでいる。もしかして、今のはこの男性からのメッセージじゃないだろうか。それなら意味も理解できるし。
「あの……、この敷地内の案内をしてもらえないかって……、フーディエに聞いたら、ここへ案内してもらいました」
「……」
うーん、喋らないなあ、この人。クレスも無口ではあるけど、こちらに伝えようとする内容は顔に出るからすぐわかる。女の子のほうだってそろそろ見慣れてきたからか、どこかぼんやりとした表情ながらも、こっちを好奇心いっぱいの視線で見てきているぐらいのことはわかるようになってきた。けどこの人はだめだ。元々包帯ぐるぐるなうえにあらゆる脂肪や筋肉が落ちたガリガリな分、骨に皮が張り付いてるような見た目で、表情の変化が分かりづらい。雰囲気から察してもせいぜい敵意はないかなってぐらいだ。
『スコシマッテイロ』
んむ? 新たなメッセージはこれどういう意味だろう。もしかしてOK出たの?
男性が女の子のほうへ目線を下げると、女の子はこくりと頷いて、家の中へ入っていった。ほどなくして戻ってきたその姿は、大きなつば広の帽子をかぶり、抱いていたぬいぐるみは肩からさげたポシェットにおさまってその顔をのぞかせている。うん、まごうことなき外出スタイルだ。
とことこと小走りで近づいた女の子の体を、やはりさっきと同じように苦も無く持ち上げ、男性の背中に背負うように後ろへまわした、と思ったんだけど、女の子が首に手を回したのを確認すると、そのまま女の子を支えていた手をパッと離した。え、もしかして自力のみで掴まれと? けどそれそのままじゃどっちもつらいんじゃ……。
男性が手を離すと同時に、女の子の下半身はふわっと持ち上がり、男性の肩あたりで地面と水平になる態勢で浮かんだ。魔法も魔術も使った様子はなかったけど……、自力で浮く手段をもってる種族の子なのかな。まあ、確かにあれなら首に掴まっててもそんなに負担はかからない体勢か。
『コチラヘコイ』
まずはこの視界の悪い森を抜けるには、はぐれても面倒だしね。そばに引っ付かせてもらいます。
さて、どの方角が正しいのか……、あれ、行かないの? ていうかどうしてしゃがんで私の膝裏に手を回して抱え上げたのだろうか。病み上がりとはいえまだ歩く体力ぐらいは残ってますよ?
女の子は女の子で上をクイクイと指さしてるし、フーディエたちもそれぞれの懐にもぐりこんでいる。
…………うん?
なにをするのか聞こうとした直後、男性が深くかがむ。あ、やばい。慌てて口を閉じて歯を食いしばり目をつむる。次の瞬間、急な重力の負荷を感じると同時に、勢いよく上へ飛び出す感覚がした。
バサッという音と重力の負荷が弱まるのを感じて、目を開く。足元には濃い緑色が広がっていた。
「ええ……」
跳んだのか、もしかしなくても跳んだのね。自分の姿が微妙に暗く見えたので、首をひねって上を見上げると、さっき男性が片手に持っていた番傘が開いていた。もしかして妙に滞空時間長くてゆっくり落ちてるように感じるのこれのせい? うわあ、丈夫だね。
しかも落ちているのに、ある程度高度が下がるとまた上昇している。足元をのぞいてみたら、ちょうどその高度の落下予測地点に、次々と水の塊が形成され、そこの中心をタイミングよく踏みつけて、一瞬の間に跳ぶということを繰り返していた。確かにこれなら目指す方向に一直線に進めばいいだけで、迷う心配はない。
しかしあいかわらず魔法や魔術を使っている気配はない。つまりこれらはすべて自前の能力のみで行っているということだろうか。ほー……。
やっぱり世の中にはすごい人がいるもんだねえ。ところで今は少なくとも森より高い位置にいるってことだよね。なのに屋敷の外の景色がわからないってのはどういうことだろうか。いや、別に屋敷の敷地が視界が届く範囲よりも広いってわけではない。現に、森の向こう側に塀らしきものが見えるし。でもねえ……、その塀の向こうは一面霧に覆われていて、木がどのくらい生えてるのかすらわからない。その霧の向こうに見えるのも、いくつも連なった山脈の山肌で、ぶっちゃけこの敷地の周辺には、人が住んでいる場所はなさそうだ。というか……うん、うすうす変だなとは思ってたけど、もしかしてサシャさんの家って、結構高いところにある? 周り見てみると山脈のほうに雲みたいなのが見えて、ここ、どっかの山の中腹ぐらいに位置してる気がするんだけど。
しかし塀の向こうは視界が利かないレベルの濃さなのに、塀より内側には入り込んでないって、どうみても人為的……。
ん? 高度が上昇することなくそのまま下がってる…………森を抜けて、屋敷の前まで戻ってきてたらしい。湖と屋敷の間のひらけた場所に軟着陸した。
ポイっと地面に降ろされる。……まあ、移動中は落ちないように支えてくれたりしたし、面倒見はあるんだろう、一応。
『スキニウゴケ』
番傘は閉じずにそのままで、女の子も下りずにそのままだ。とりあえずこちらの動きに合わせてついてくるつもりらしい。……まあ、いいか。人様の家で一人勝手に冒険するのが気になるから、手の空いてる人が必要だったんだし。来てくれるだけで御の字よ。解説はフーディエがやってくれるよね。
サシャさんの屋敷は、広かった。そして、使用してない部屋も多かった。そもそも、屋敷の構造自体が屋敷の持ち主が家族と使用人の住み込みを前提として使うような規模なのだ。使用人用の部屋だけでも二桁はいくらしい。けれど、屋敷の主はサシャさん一人だけ。ほかの家族はいないのか聞いてみたけど、禁則事項に当たるらしく、困った顔が返ってきた。家庭にもいろいろあるらしい。
女の子とはいつの間にか手をつないで歩いていた。正確には女の子に引っ張られながら、どうやら彼女が優先的に見せたいものを見せてくれているらしい。そして困ったことが。男性の方もそうなんだけど、いい加減、名前を聞いておくべきなんじゃないだろうか。向こうから聞かれず、そしてこちらからも聞く機会がなかったため、一緒にいて1時間ほど経った今でも聞けていないのだ。けどしかし、今更このタイミングで名前なんですかと聞くのもあれだしな……。
あれ、渡り廊下がある、のはいいんだけど、その渡り廊下の向こう側、中庭を挟んだ反対側なんだけど、そっちにも渡り廊下がある。しかも2階にも。この屋敷、平屋建てかと思ってたんだけど上の階あったんだ。
「……あそこって、行ける?」
『(´・ω・`)』
ありゃ、困り顔。だめか。そっか。ん?
「……!」
女の子が二階の渡り廊下を指さし腕をぶんぶん振る。……どうも私に向けて伝えているわけじゃないな。てことは……。
むんず、と腹に手を回され抱え上げられる。ぐえ。
ぐい、と再びの浮遊感よこんにちは。だがしかし数秒の邂逅だった。どた、と降ろされたのはすぐ直前に見上げていた2階渡り廊下の手すりの内側。手すりの上に着地した男性の首にはまた女の子が掴まっていた。……うん、どうやらこの男性、世話を見ているらしき女の子に対してだけはものすごく甘いらしい。サシャさんはいったいこの二人とどういう関係なんだ。また主従関係みたいなものなのか?
男性から降りた女の子が2階の奥へ引っ張る。いいの?
『(´・ω・`)』
困り顔だけど、だめってわけではないらしい。どうしてもだめな場所だと『×』って出たからねさっき。
二階の部屋は一階の部屋と趣が違っていた。具体的に言うと部屋が和室でなくて洋室だった。
女の子はどういう部屋があるのかは把握しているのか、扉を開いて中を見せる部屋と見せない部屋がある。一度開かれなかった部屋に手を伸ばそうとしたら、フーディエの顔が『×』になった。
最後に案内された部屋は、どうやら図書室みたいだった。個人所有の蔵書としてはなかなかのものだと思う。
「……普段って、ここは出入り自由なの?」
『(`・ω・´)』
てことは、多分読むこと自体は禁止されてないはずだよね。後でサシャさんに読んでいいか聞いてみよう。
その前に、ちょろっとどんな本があるのかのぞいてみようかな。うわ、カーペットがふっかふか。本が落ちても傷つかないようにかな。あ、本棚の間隔が狭いうえに背が高い。ちょっと上の本の題名が見づらい……。
――ゴツッ
「いっ……!?」
たーっ。後ろの、後ろの棚に頭がぶつかった。痛い。
「……!」
「だい、じょうぶ」
音に驚いて女の子が駆け寄ってきた。ああ、いや、うん、ぶつけたっていっても軽くだから、そろそろ痛みも治まってきてるんでだいじょぶ。それよりも、音はしなかったけど、頭ぶっけたときにぶつかった本棚から何かが落ちるような感覚がした。本棚の向こう側へまわると、予想通り本が1冊落ちていた。
拾い上げたそれは、とても古そうなうえ、量産品ではなさそうだ。手作業で紙を綴じてるみたいだし。どっちかといえば論文のほうに似ているかもしれない。題名の下に署名と本文が続いてるみたいだ。やばいもん落としちゃったのかもしれない。
「……これ、見たことある?」
「……?」
知らないみたいだ。てことはあまり読まれない――上のほうにでもあったのかね。
題名は――――なんだこれ、インクが滲んでいるのか、字がぼやけてまともに読めない。古いものだから昨日今日のことではないと思うんだけど……。
じーっと見つめていると、そのうちその文字が何の形をしているのかだんだんとわかってきた。これなら、題名もわかるかもしれない。
文字を一つ一つずつ見つめ、なんとなくわかった文字をひとつの分にまとめる。出来上がった文章は……。
『――一人のためだけに創られた歪で完璧な世界について』
コツリ、コツリと、廊下を歩く。足音に気付いたのか、突き当りの部屋を心配そうに覗いていた少女はびくりと振り返る。その襟首は、包帯を巻いたガリガリの男の腕に掴まれ、中に踏み込まないようにされている。
「……」
《……そう心配そうな顔はしなくていい。今回のは私の落ち度だ、ネロ。半日足らずで封印は破られ、一度自ら引っ込むという舐めた真似をした上で再び現れるとはな》
先に戻るよう二人には命じ、サシャは書庫に足を踏み入れる。
自ら集めた蔵書を収めた書庫には、普段己以外はめったに訪れない。せいぜい長時間居座りすぎたときに己を呼びに来る者程度である。
そのため、少々管理が杜撰だった自覚はある。しかしそれでも、あれだけはそう簡単に見つからないよう、細工をしていたはずだが……。
(あれが本当にあの神であるならば、この程度の小細工は無駄か……)
書庫の中には、一人の少女が一冊の冊子を読みふけっている。その表情は、普段の彼女を知る者からすれば信じられないほどに喜色満面だろう。しかし普段の彼女は浮かべる感情の起伏こそなだらかなものの、基本的に素直な表情であるのに対し、今の彼女は、楽しいなんて感情は理解できていないのに、今は笑うべき場面だからというだけで笑みの表情を作っているようだ。口元だけが吊り上がった、歪で不気味な無表情。
間違いない。あの少女は今――。
《――読めているのか、それを》
「――うん、我らが大本は、こんなことをしていたんだね」
かけられた言葉に疑問を持つ様子もなく、冊子から目を離して返事を返す。以前聞いたかの神の特徴を考えるに、今の彼女の表情はデフォルトなのだろう、多分。
《改めて、自己紹介は必要か?》
「いらないよ。私はあの子の記憶を知ることができるから、あの子の記憶にある情報と私の知識を合わせれば、あなたが何の神かは検討がつく。――初めまして、サシャさん?」
《二重人格……ではないな。あくまで人格は一つだけか》
「そりゃそうだよ。私はあの子だし、あの子は私。記憶だって本来はつながって覚えてる。ただ単にあの子が自覚していないだけで」
《あちらも自覚したらどうなる?》
「……別にどうにも。私があの子で、あの子が私に戻る。境界線がなくなるだけ」
《話を聞く限りでは、神についての知識を持っているのはお前の方か》
「そう、神としての側面が強く出ているのが私。人としての側面が強く出ているのがあの子」
《聞いたこともない症状だ。最も、例外扱いで二度と現れはしないだろうがな》
「そうだね。我らが大本は、不穏分子をいたく嫌うようだし」
《嫌うどころか恐れているのさ。だから徹底的に排除する》
「ありゃ、それじゃあなたもいろいろと例外的な存在なんだね」
《……何故、そう思う?》
「これ、書いたのあなたでしょう?」
少女――メルティアは、ついさっきまで読みふけっていた冊子をひらひらと振る。
《よくわかったな》
「だってこれ、ヒトと神の混じりものになった代理神ですら、下手をすれば発狂するものじゃない? ヒトとしての性質が少ない私はさして影響はないけど、他に内容を知れるなんて当事者たちか書いた人だけでしょ。その言葉を出せるのもね」
《む? その理屈でいえば、いつか一つに戻った時危なくないか?》
「危ないよ。だから後でこの記憶は消す」
《そうか》
「……で?」
《で、とは?》
「――あの子に恩を売るのは何が目的?」
《……》
無機質な瞳で見上げてくる。元の状態よりも口調は明るく穏やかなほうであるのに、それでいてどこか空っぽな声。
《――情で助けたとは思わなかったのか?》
サシャの返答にメルティアはきょとりと目を丸くする。よほど驚いたのか、ここで初めて、わずかにではあるが表情に感情が現れた。
「……驚いた。そういう冗談も言えるタイプなんだね」
《……あながち冗談というわけでもないんだがな》
「じゃあ、よっぽどの変わりものなんだね」
《そう見えるか》
「だってサシャさん、私自身には大して興味を抱いてないんでしょ?」
口調こそ疑問形ではあるが、それは事実だとばかりに断定していた。
それをサシャは――――否定、しない。
《……目の前で誰かが死ぬのを見ているよりは、助けたほうが気分はいいだろう。それに、お前に対していくらかの関心を抱いているのは事実だ。言ったろう? ――お前のことが、『いかに生きていくか、楽しみで仕方ない』と》
「それは――そっちのほうが面白そうだからでしょう? そういう意味での関心なら、私もサシャさんに持っているよ。私、サシャさんのこと気に入ってるから」
《ほう? 私も驚いた。てっきり、お前も私に対してはさして興味は抱いていないように見えたが》
「もちろん、本当の意味ではね。けど、気に入ってるのも本当。私の性質として、サシャさんみたいな人にはどうしても少なからずひかれちゃうんだよね」
――そこでいったん言葉を切り、メルティアはさらに笑みを深くする。目を細め、口の端をさらに吊り上げた、まるで仮面のような笑顔。
「私の干渉以外で、未来を変えることに成功したヒトはとくに、ね」
(……やはり似ている、な)
ふと、知識としてのみ知っている、ある記憶の映像を思い出す。顔の造形はまったく違うというのに、目の前の少女と同じ笑みを浮かべていた、あの姿だけは人に似せ、姿以外はまるで人を真似られていない、忌々しい奴らの内の一人を。
《……お前は、――を司る神か?》
「――? そうだよ。なんだ、確信はなかったの? てっきり知ってるから、わざわざこんなに干渉してきたものかと思ってたんだけど」
《無論、予測はたてていた。しかしどのみち、神であることには変わりなく、まだ人としての面が強い。ならばあとは、貸しを作るだけだろう》
「わあ、打算まみれ。でも、そうだね。そっちのほうが代理神っぽいよね」
メルティアはわざとらしくパチパチと手を叩く。それまでメルティアが動かしていたのは顔や指先だけだったため気付くのが遅れたが、その動きは妙にたどたどしい。
《……動けないのか》
「あの子が魔術に慣れた弊害、かな。ほとんど日常的に小出力の身体強化を使っていて、多少体が疲労状態でも問題なく動けるようになってるから。今はそういった補助をすべて解除した分、反動が一気にきているところ。私はこの体を動かすのに慣れてないし、魔術も使えないから、事態を把握した誰かが来るのを待ってたんだよ。戻っても意識失ってるままだから」
《随分と過保護だな。同一人物なら、お前が表に出ていても問題はないんじゃないか?》
メルティアは目を閉じ胸に手をあてる。さきほどの仮面のような笑みとは打って変わって、とくに表情をつくってはいない。しかしサシャからすれば、それが一番素直な表情に見えた。
「確かに私はあの子で、あの子は私だけど、あくまで根本はあの子で私は派生。あの子が無意識のうちに拒否した、理解不能の力を管理するために押し付けられて分かれた薄っぺらい自我がわたし。あの子が最優先になるのは、本能なんだよ」
《拒否したということはやはり望んで得たものではなかったか》
「――そうだよ。私がこうなったのはすべて外的要因のせい。私は、望む望まない以前の時点で、巻き込まれた。だからどうってことはないけどね」
メルティアはとくに気負っている様子もない。本当に何も思うことはないのだろう。
《……それは、人としてのお前もそう思うのか?》
「持っている知識や情の量で判断は変わるけど、前提が同じなら思考自体は私もあの子も同一だよ。基本、私が良しと判断したものはあの子も良しとするし、あの子が否と判断したものは私も否とする」
《……そうか、それは安心した》
「?」
サシャはメルティアの膝の上に置いてあった冊子を持ち上げ、パラパラと最後までめくった後、懐へしまった。
《本当はもう少し時間をかけて、神としての判断が可能となったら伺おうと思っていたのだが、今でも可能なようだな》
「神としての判断? もしかしてヒトではなく神としての私にでも頼み事? 叶えるかどうかは内容と対価次第だよ」
《重々承知さ。私の願いは――》
「……――結論から言うと、あなたの頼みをきくことは可能だね。面白そうだし、協力してもいいよ」
《そうか。では、対価を…………いや、ううむ》
メルティアの返事に、サシャは口元に手をあて、少しうなる。
「どうしたの?」
《神というのは、取引を交わすにはとことん向かないものだった、と思い返していただけだ。大抵は富や見目や寿命で話はつきやすいが、お前はそんなものに興味はないだろう? かといって、望みのものを用意してもキレるのが神だからな》
「ああ、そんなこと…………じゃあサシャさんに求める対価は、私が望んだ時にちょっとした手助けをしてもらう、でどう?」
《手助け? 具体的には》
「その時になればわかるよ」
《ふむ……だが、生者を傷つける類のものは容認せんぞ》
「もちろん、生きてさえいれば新しい物語を見せてくれるのがヒトってものだもの。機会を潰すような結末にはならないよう、努力しましょう」
《では、成立か?》
サシャの問いに、今度はメルティアが疑問を口にする。
「…………こっちは具体的な期間や量を決めてないのに承諾するの?」
《今更十年百年かかったとしてもかまわんさ。ずっと、待っていたのだからな。……まあ、叶えることはできるが協力はできない、と言われたほうが困ったな》
「……その場合は、どうしてた?」
《誠心誠意、頷いてくれるまで交渉をしていたさ。だが、それでも駄目だったら…………心変わりするよう、多少の嫌がらせはしたかもな》
「……たとえば?」
メルティアはその質問を投げかけた時点で若干、体が冷や汗をかいてることを自覚していたが、どのみち動くことはできない。
そのメルティアの首に、サシャが手をかける。
《そうだな。例えば、この首を……――引きちぎる、というのはどうだ?》
首に触れるサシャの指は、ひどく冷たい気がした。
「それは……とても痛そうだね。あと死んじゃうんじゃない?」
《そうだな。だが、どうせまた生まれてくるだろう?》
「――そうだけどさ」
サシャの指が離れ、首の圧迫感が薄れる。
「……で、それがどう嫌がらせになるの?」
《生まれるといっても、次の肉体を得るまではそれなりに時間は経過する。その間に発生するヒトの物語を、お前は観賞することができない》
一拍、メルティアはサシャの言葉を考え、そして納得する。
「そりゃそうだ。それはまごうことなき嫌がらせだね」
《だろう。あとはお前が心変わりして了承するまで、繰り返そうかと》
「あっはっは。とことん必至だねえ。どっちにしろ、それを承諾するしか選択肢がないじゃない。ずるいなあ。やっぱり神の執着ってのは、碌なものがないね」
《お前も持てばわかるんじゃないか。人であるを完全に忘れたくないなら、どのみち持たなければならないしな。あの坊主に向けて持てば、矢印はお互いだ。外に迷惑がかかる確率は低いぞ》
メルティアは頬に手をあて、窓から外を眺める。
「クレス、ね……。まあ、そうなるだろうねえ。どのくらい時間がかかるかは知らないけど」
《なんだ、不満か?》
「さあ。これに関しては、私が理解することはできないし、あの子は知らないから。……あの子が私を自覚するか、それともクレスへの気持ちを自覚するか、どっちが早いか賭ける?」
《そうだな……》
サシャはメルティアにならって窓から外を見下ろし、やがてゆるく頭を振る。
《……やめておこう。私もそのての情は人に誇れるほどのものではないのでな》
「そっか」
《だが》
「?」
《お前が自覚しようとしまいと、あの坊主の行動は変わらないんじゃないか?》
「それもそうだね……。あ、さっきの嫌がらせ、実際にやったらクレスが報復に行きそう」
《……可能性はあるな》
「……返り討ちにしちゃう?」
《……どうだろうな。到底敵わないのを理解すれば、お前を探し出すほうを優先するかもしれん》
「かもねえ…………ちなみに、クレスとぶつかって怪我ってする?」
《残念ながら擦り傷でもできれば上出来、というレベルだな》
「……強いんだね、サシャさん」
《私は、そうあれとして生まれたからな》
「ふうん…………ま、いいや。これでほんとに契約する?」
《無論》
「……そう。じゃ」
メルティアの差し出した手を、サシャが力強く握り返す。
――契約成立。
《……しかし、いずれ統合するとはいえ区別が面倒だ。ややこしい》
「そう? それじゃ……そうだね、私はこれからティアと名乗るよ。見た目は……」
《ん? …………眼、が蒼くなったか?》
「ちょっとした手品、ってとこかな。これで区別しやすいでしょ。…………少し長く出すぎたかな。そろそろ限界だ。しばらく眠るから、多分数年は起きないよ」
《…………そうか、長話をしてすまなかったな。ゆっくり休め》
「ふふ……たしか寝るときはこう言うんだっけ? ――――おやすみなさい」
《――ああ、おやすみ。よい夢――を見れるかはわからないが、平穏な休息を得られるといいな。……神としての側面を押し付けられ、人であることを取り上げられた、哀れな幼子よ》




