森の中で
――転がり落ちました、森の中で。
うん、何のことだかわかりませんよね。
順を追って話しましょう。
まず、広間に取り残された一人と一匹なんだけど、すぐには動かなかった。自由にしていいと言われたからって、人様の屋敷を勝手に歩き回るようなことはできないからね。
しかし五分待っても、十分待っても、ニ十分待っても、誰も広間に戻ってこない。いや、正確に言うと廊下を歩く足音は聞こえてくるんだけど、皆部屋の前まで来ることなく遠ざかっていってしまった。思ったよりもこの屋敷に人がいたことに驚きつつ、そしてなんで誰も姿を現さないのかを不思議に思いつつ、手持ち無沙汰にフーディエの翅をいじっていた。
――フーディエの触感は、まんま紙に触っているのと変わらない手触りだった。つい好奇心でえいっと破こうとしてみたら、どうやら自分から裂けたようで、抵抗なく二つに分かれたあとすぐにくっついた。
一応ごめんねと謝ったら、フーディエは気にするなという感じで周りをパタパタと飛び回った。ふむ、ニュアンスって結構わかるもんなんだね。
見たとこサシャさんが言ってた通り、フーディエにも自我が存在するようで、こちらの言葉に反応してパタパタ動いたり短いけど文字が浮かび上がったりする。
しかしいちいち文字を書いて意思表示っていうのもなあ。いや伝言なんかのときはそっちのほうがいいんだろうけど、普段の簡単な返事にまでってのは……。動いてってのも手足があるわけじゃないから大雑把だし……。表情でも描ければ…………と、あんまり多くは書けないんだっけ? だったら簡単で、尚且つ表情豊か…………あ、あれでいいか。
「……なぞったところに、線を書いてもらえる?」
フーディエの表面を指でなぞる。これなら絵心がなくてもそれなりにうまく描けるしね…………と、できた。
「え、と……それが通常、ね」
『(`・ω・´)』
いわゆる、前の世界でいう顔文字というやつだ。まあ顔ごとに意味があったりするけど今回は置いといて、とりあえず見ればなんとなくわかる、というニュアンスでチョイスした。
「これなら、描ける?」
『(`・ω・´)』
私が描いた線を消して、フーディエが再度同じものを浮かび上がらせた。このぐらいの量だったら問題ないみたいだ。
「じゃあね……他にはこんなので……」
ちょっと調子に乗ってしまい、他にも簡単な顔をフーディエに仕込…………教えてみた。
多分五個ぐらいだったかなあ…………、さらに次の表情を描こうとしたところで、廊下から足音が聞こえてきた。
軽やかな音をたてる足音は駆け足のようで、ようやく誰か来たと身構えていたら、あと少しで部屋の前、というところで「え゛っ!?」という誰かの驚愕の声と共にドタッ、という急ブレーキをかけたような音がしたと思ったら、何故か足音が引き返して行ってしまった。
「ええ……?」
え、なに、もしかして避けられてるのか? 私は。
「……なんで」
『(´・ω・`)』
『キマリ』
フーディエが早速教えた表情で教えてくれた。これは……『説明しづらい内容で困る』ときにと教えた顔だ。きまり……決まり? えっと、つまりここではそういう決まりになってるってこと?
あー、いまいち決まりの内容がわからないからなんとも言えないけど、要はあれだ、この屋敷では私が顔を合わせることが出来る人っていうのは限られてるのかな?
『(´・ω・`)』
ああごめん。困らせちゃったかな。いや、無理なら無理で構わないんだけど、できればこの屋敷の住人一人でも捕まえて案内してもらいたかったな……まさか、顔を合わせられる人が限られているとは。とはいえ、サシャさんやユアさんが戻ってこないのをみるに何か作業してるんだろうから、わざわざ頼みに行くのもなあ。
「…………誰か、私が会える人で、手の空いてる人は、近くにいない?」
『(゜ー゜ ≡ ゜ー゜) 』
あっちへパタパタ。こっちへパタパタ。何か探すようにぐるぐると回り始めた。
『(`・ω・´)』
見つかったのかな。フーディエは内側の廊下ではなく、外回りの廊下へと飛んでいく。
「……待って!」
フーディエは廊下を飛び越え、そのまま外――湖の方へ飛んでいく。
慌ててついて行こうとして、足が止まる。勝手に出歩かないために案内できる人がいないか探してもらっていたのに、探すために敷地内を歩くってそれ矛盾してるじゃないか。けれどそれでフーディエまでもがそばにいなくなるっていうのは、それはそれで……。
「うー……」
仕方ない。言質は取ってある。そう思うことにしよう。
素足で外に出る訳にはいかないので、何か履物がないか探す。幸い、近くに散歩用のものらしき簡素な履物があった。少しサイズがブカブカだけど仕方ない。後で謝らないと、と考えつつ、履物をはいてフーディエを追う。
どうやら、フーディエは湖の向こうに広がる森の方へと飛んで行ったようだ。
湖に沿って走る。サイズの合わないものを履いているせいか、時々転びそうになる。これなら空を飛んだ方がよかったかもしれない。
「…………」
いや、大丈夫大丈夫。飛べる、問題なく飛べるはずだ、多分。あの時はサシャさんが言ってた通りの理由があるんだから、今使ったところでちゃんと制御できるはず。
………………でも、まだ本調子じゃないし、一応控えておこう。少しは、運動した方がいいしね。
フーディエは森の中へ入ってしまったみたいだ。湖自体がそれなりに大きいせいか、それに沿うように広がる森も緑豊かで奥が深そうだ。
草木をかき分けて入るのもあれで少し森の入口を探せば、ぽっかり空いた獣道のような感じの道があった。
踏み固められて作られたその道は、整備をあまりしていないのか苔が所々に生い茂っている。けれど、丁度真ん中――人一人分が歩けるぐらいの歩幅分は、草木がまったく生えていない。
どうも誰かが定期的にこの道を利用しているらしい。
てことは、この道の先に誰かがいて、フーディエはその人の元へ向かったのかもしれない。
一歩、森の中へ足を踏み入れる。
途端に、濃い緑の気配が辺りを包み込んだような気がした。
この森からは、強い生命力を感じる。だけど――――だけど、何だろう? 同時に何か違和感がある気がする。森の奥へ進むたびにその感覚は強いものとなっていく。
陽の光も木々の隙間から差し込んでいるので、森の中といってもうっそうとした印象はない。温かな陽射しが舞い降り、太く、高く育った樹齢何十年、何百年かもしれない木々がまっすぐと立ち並ぶ森の深層部。自然が作り上げた豊かな森。
目をつぶるだけで生命の気配に包まれそうなほどに豊かな森。なのに――――なのに、どうしてさっきから動物の鳴き声が少しも聞こえないのだろうか。
この森は、緑の生命の気配はむせかえる程に強い。けれどその反面、生き物の生命の気配はまるでない。
方法はどうあれ、森と動物は本来共生関係にあることが多いはずだ。わかりやすいのが鳥で、彼らは寝床や食料を用意してもらう代わりに、花粉や種子を運ぶ。
お互いに利があるからこそ、互いに利用し合い共栄していく。そうして生態系は整えられているんじゃなかったの?
院の近くの森だって、ルックさんが結構頻繁に罠を張り替えて危険地帯になってるけど、それでも鳥や小動物はいっぱいいた。
罠があるわけでもない、眼に見える危険があるわけでもない、補給できるような栄養が不足しているわけでもない。決して、この森は他者の存在を拒否していることはない。なのに、どうして皆近づこうとしないんだろう。
歩いているうちに、いつの間にか森の奥深くに入り込んでしまったみたいだ。周りの草木はさらに瑞々しく成長していき、どれも私の背丈よりも高くなっていた。
当然、視界は悪くなっており、辛うじて見える獣道を枝や葉を除けながら歩いている。
これは……ちょっとこれ以上進んだら方向感覚おかしくなるかもなあ。どうにか目途ぐらいはたてたいところかもしれない。
しょうがない。少し危険だけど最終手段、木に登ろう。がっしりした――……ここらの木、みんながっしりしてるな。ともかく、人が登っても問題なさそうなのはいっぱいある。表面を覆っている苔に気をつければ登るのに苦労はしなさそうだ。え、木登りの経験? ちゃんとありますよ。木の上っていうのは場所によっては静か、人に見つからない、陽射しが気持ちいいと昼寝に最適の場所なのです。そこに毛布を持ち込んで惰眠を貪ることに味を占めた時期が一時期ありまして。
その後? 春の始めを過ぎた頃からあれが発生しまして、木に近づくのを禁止にされて以来それきりです。あれが何かって? 春先になると木の近くに大量発生するあれですよ。
とにかく、登るのに手頃な木はないかとその場でぐるりと回る。つるっとした表面ではなく、適度に凹凸のある表面で、ついでに蔓なんかがあるとありがたいんだけどそんな木は…………っと、あったあった、あれなんかよさそう。
裾をたくし上げて帯に挟み、ついでに履物もポイポイッと脱いで足を出す。まあはしたない格好かもしれないけど、誰も見ていないだろうし、いいよね。
蔓の強度を確かめる。……うん、大丈夫かな。蔓を支えに、表面の窪みに足や指を引っ掛け、結構簡単に一つ目の枝へたどり着いたと思う。高さ的には、下の草木の高さの少し上ぐらいで、もっと広く見渡したいなら、もう少し上へ登る必要がありそうだ。
「……しょ」
枝を足場にし、次の枝へと手を伸ばす。背伸びとジャンプでなんとか枝に手をひっかけてぶら下がる。ここからどうするのかって? ふふふ、身体強化の魔術には、いろいろなところの筋力増加の効果も含まれていてね。強化量にも限界はあるけどこの程度なら…………よっ、と。
――クルンッ
この通り、振り子の原理+腕力や腹筋背筋で、くるりと回って着地成功。
これで大分見通しは良くなったかな。
緑ばかりの視界の中、白一色の存在を探す。
「…………」
右腕、ちょっと動かしづらいけど、特に痛みもなく問題なく動かせたな。どんな方法なのかはわからないけど、サシャさんが言ってた通り、もう大体治ってるんだろう。だけど多分、ただ聞いただけじゃ、教えてくれないんだろうな。サシャさんが教えてくれると断言したのは船での事件に関して私たちが知りたがったことのみ。それ以外に関しては教える気はない。そういった態度に見えた。これは、きっと外れていない。知りたいことは、自分で調べるしかないんだろう。……まあ、それが道理ってものだ。
それに、サシャさんの態度については特に何も疑問や不満を抱こうとは思わない。……ムシロ、本来ノ役割ヲ考エレバ、コノ待遇ハ破格ナ程ダ。
破格な程? あれ、どうしてそんなことがわかるんだっけ? ……ダッテ、私タチニハ優先スベキモノガ決マッテイルジャナイカ。
――ああ、そうだっけ? うん、そうダッタかもしレなイ。……ナニシロ、私タチハ――――、
「…………っ」
頭ガ痛ム? 何カ仕込マレテイルヨウダ。コレハ…………忘却ノ呪?
コノ程度、破レナイトデモ?
『――――思ってはいないさ。だがな、それはまだ早い。わかるだろう? …………だからもう少し、眠っておいで』
――――アア。私ガ起キルトイウコトハ、モウ今ノ場所ニハイラレナイノカ。……ソウカ。ソレハ…………ソレは、嫌だな。
――じゃあ仕方ない。もう少し眠っていてあげよう。どうせ、いつかは必ず戻ってしまうんだから、問題の先送りにしかならないけどね。
「――――…………?」
あれ、今何考えてたんだっけ…………あ、そうそうフーディエだよフーディエ。そのためにこの木に登ったんだから。いかんいかん、ちょっと脱線してたみたいだ。
目を凝らすと、一面緑色の彩色の中、場違いなようにポツンと浮かんだ白い点が、視界の端をウロチョロしていた。
「いた! …………あ」
ズルリ、と足が木の表面にびっしりと生えていた苔を踏み、そして見事に滑った音がした。
「………………いたた」
なんとか枝に身体をひっかけ勢いを弱め、受け身も一応できたので、頭からいった割には怪我は軽微だ。しかし、警戒はしてたのに結局これかあ……。ジール先生にばれたら本格的に禁止にされそうだ。くわばらくわばら。
「……フーディエ!」
呼びかけてみたけど、フーディエの姿は草木に隠れてしまっていて、木の上から見つけた方角に呼びかけるしかない。しかも聞こえたとしても、フーディエ自体に返事をする機能がついていない。
…………よし、いくか。
自分の背丈よりも高い草木を前に、そう意気込む。
靴を履き直し腕を顔の前まで持ち上げて、眼に入ったりしないよう守りながら茂みの中へ突入する。
枝や葉をかき分けながら進むが、それでも服や髪がひっかかりまっすぐには進めない。
腕で視界を封じてしまっているので、もう片方の腕を前に伸ばして安全確認をしながら進む。
「…………、……?」
伸ばした手の先に、何も触れる感触がない。どうやらここで草は途切れているようだ。
あともう少し、ということで少々強引に突っ切ることにした。顔を腕で覆ったまま前かがみになり、若干前のめりの状態で勢いよく草木――藪の中を突き抜けた。
周りで圧迫感を与えていた草木の気配から解放され、一息つこうとした瞬間、勢いよく踏みしめようとしたはずの地面が、存在しなかった。
「……え?」
前のめりになって体重をかけていたのもいけなかった。思いっきり足を踏み外した体は、その勢いのまま、わりと急な角度だった斜面を転がり落ちてしまった。
―――――――――とまあ、これが今までの経緯である。
いやまさか、藪を抜けた先が大きな坂になっているとは考えていなかった。
幸い、坂はそれほど長くはなく、でんぐり返しを二回ほどしたぐらいで底に到着した。落ちた場所は窪地のようで、それまで高く太い草木ばかりだったというのに、ここには私の膝にも届かない――低い草ばかりが生えていた。そのかわり高台にはぐるっと囲むように高い草が生えている。
通りで木の上からも藪の向こうが見えなかったわけだ。もっと高い位置ならともかく、あの程度の高低差ではこの、高い草木に囲まれ、まるで隠されるように存在していた広地は視界に入らない。意図的なのか自然になのか。見当をつけようにも、ここはどう見ても手入れがされている様子もなく、草が茫々と生え茂っている、ただの野原である。
で、私と言えば転がり落ちた間抜けな状態のまま、現実逃避をしていたのでした。
いやいや、周りに誰もいない状況でよかった。私だって見栄を張りたい気持ちもある。特に、私に何故か懐いてくれているクレスには、こんな阿保ともいえる格好は見られたくないのだ。
さあいつまでもこんな格好をしている訳にはいかない。のっそりと体勢を入れ替え立ち上がる。
立ち上がって裾についた土を払いながら肘や膝小僧を見る。……あーあ、道理で痛みを感じる訳だ。皮膚を擦りむいたのか血が滲んでいる。しかし、かすり傷だ。動くのに問題はないし、痛みだって無視できる程度だ。それよりも靴が脱げてしまった。近くにあるはずだと周りを見回す。
「…………?」
さっき、ただの野原だといったけど、だからといって何もないわけではなかった。いや、何もないからこそ、その異質さが目立つ。
野原のほぼ中心に、妙なものが見える。いや、最初は特に目新しいものではなかったんだけど、歩き回って見る角度が変わったせいで、それが妙なものだということがわかった。
この場にはひどく不釣り合いで、しかし何故かとても馴染んでいる妙なもの。
――そこにあったのは、扉だ。
柾目材の板、真ん中の辺りに金属の取っ手。
どう見てもドアにしか見えない物体が、そこに鎮座していた。
「……」
近づいてよく見ると、その奇妙さがよくわかる。
大きな岩が切断されたらしきその断面につけられているそれは、どうやら長いこと使用された形跡はないみたいだ。
まず、扉を含めて岩全体に細い蔦と苔がびっしりと覆いかぶさっている。しかしかぶさっているだけで、少し力を入れれば簡単に剥がすなり千切るなりできる程度の強度だ。にもかかわらず、扉にかかっている蔦も苔も不自然に途切れた断面もなく、扉の縁の形を模った部分もない。つまり、この扉は長い間使われることなく、ただここに存在してたんだろう。……多分、年単位で。
しかし見れば見るほど奇妙な扉だ。扉があるということはその向こうに入れる場所があるはずだ。けれど扉は建物じゃなくてどう見ても岩にしか見えない物の、すっぱりと斬ったかのような綺麗な断面にはめ込まれている。けれど、仮にこの岩の中身が空洞だとしても、せいぜい子供が数人……大人も一人か二人入ればぎゅうぎゅう詰めになってしまう程の大きさしかない。
物置にしたって非効率だ。
見たところ鍵穴は見当たらないので、鍵とかはかかってなさそうだ。
…………ちょっと、ちょっと触れるくらいならいいかな?
そんな好奇心に任せ、錆付いたドアノブに手を伸ばしたとき――――。
ガサガサッ
背後の高台の草むらから、そんな音がした。
「…………っ!?」
今の今まで人の気配は全く感じていなかったので油断した。そうだよね、よくよく考えればフーディエがこの方向に飛んで行ったんだから誰かいるはずだよね。
「……」
つい、息を止めて音の出ている方向を見つめる。
草の揺れと音はだんだん大きくなっていき、やがてそこからひょこりと、女の子が顔をのぞかせた。
「…………」
「…………」
……………………。
……初めまして?




